第一幕 60話 同族の遠い言葉_2
結局、どういう手段を取ろうと追い付かれたのだろうと思う。
進みやすい平坦な川沿いを進むにしても、別の場所を進んだとしても。
まさか川の中を進んで追いかけてくるとは思わなかったが。
水飛沫を上げて迫ってくるそれに気が付き、ニーレ達に荷車の非戦闘員を任せて進ませた。
少し開けた場所でその追手を待つと、敵も少し距離を置いたところで止まった。
三人と、ロープでぐるぐる巻きにされたシフィーク。
適当な木を二本、その体の両側に結わえられて、水に浮かされているだけだ。顔も満足に動かせずこちらを見ることもない。
(目が合わなければ)
とりあえず、そこに存在するだけなら、気になるけれど先ほどのような恐怖までは感じない。
まるで動けそうな状態ではないのだが。
アヴィは、わかっていない。
元々シフィークの顔を暗がりでしか見ていないし、今のシフィークは当時とは別人のような有様だ。縄で体の大半が見えないこともあり、それが誰なのかわかっていない。
(今は、伝えない方がいいでしょう)
母の仇だと気付けば、平静ではいられないだろう。
逃げられる状態でもないので、ここで言うべきではないとルゥナは判断した。
「あー、ちょっと待て。話がしたい」
男の肩には、清廊族の女が乗せられている。
川を進む際に濡れないようにと気遣いを。
(清廊族が、人間などに……)
「人間と話すことなどありません」
「いや、まあそうかもしれんが……一応な。俺はビムベルク。人間の中じゃ英雄ってやつで有名なんだが、知らねえか?」
「……」
名前など知らない。
けれど、その名乗りは無視できない。
勇者シフィークを捕えているのだ。それに匹敵するか上回る戦力だとすれば、今の状態で戦えるのか。
「お前らの味方だなんて言うつもりはねえが、うちのな。スーリリャが、どうしても話がしたいってよ。わかってると思うが清廊族だ」
「……」
シフィーク以外の三人が川から上がり、女が下ろされる。
黒と灰色の間くらいの髪に、茜色の瞳をしている女。
清廊族だと言われればそうだろう。見た目だけでなく、何となく雰囲気というか、匂いが違う。
人間ではない。
「あの、私スーリリャです。貴女がリーダーの方ですか?」
「スーリリャ、近づきすぎるな」
歩み寄ろうとした彼女を、ビムベルクと名乗った男が肩を掴んで止めた。
迂闊な行動をする女だと思う。
そうだ。彼女が人間側の立場だというのなら、それに応じた距離がある。
「……人間と話すことなどありません。貴女も清廊族だと言うのならわかるはずです」
誰がリーダーか、と。
探ろうと、情報を聞き出そうとしている。
スーリリャがどのような演技をしても、後ろの男どもは耳を、目を、油断なく配っているのがわかった。
「ですが……聞きましょう」
スーリリャはルゥナに向かって話しかけている。
ルゥナが代表だと思われているのなら、それでもいい。アヴィが狙われる可能性が減るのだから。
休息を挟んである程度回復しているが、英雄と戦えるかと言われたら、わからない。
話を聞くだけならいいだろう。
「良かった。ええと、私はスーリリャです」
「……」
先ほども聞いた名乗りだ。こちらの答えを待っているのだろうが、名乗る必要はない。
無言のまま続きを促す。
「あの……そう、ですね。私も清廊族です。貴女たちと同じ」
「違います」
人間と手を取って歩む者と同じと言われては不愉快だ。
思わず反論してしまったルゥナだったが、見ればミアデもセサーカも同じ顔をしていた。
アヴィは相変わらず感情を殺した表情で、ルゥナの隣に立つ。
「ええ、違うわ」
お前など同族ではない、と。
「その、それは……だから、人間にも色々な考えの人がいて、ビムベルク閣下は違うんです」
「……」
自分の主人は素晴らしい人だ、と主張したいのだろうか。
それとも、素晴らしい主人に買われた自分は幸せだとでも。
幸せだ、とでも?
言ったら、それを言ったらルゥナは耐えられるだろうか。殺意を。
呪枷もない。着ている服も、人間の中でもかなり上等な縫製の部類だ。
肌に生傷も見当たらないし、肌艶などからしても健康的な食生活をしているのだろうと思う。
「貴女達の境遇はわかります。でも……」
「わかるって? はっ」
ミアデが口を挟んだ。
「何がわかるって言うのさ。あんたなんかに」
そんなぬくぬくした服を着て、甘ったるいことを。
「私たちは襤褸雑巾と同じ服を着て、人間の欲望のままに虐げられ、大した意味もなく叩かれ傷つけられてきました。そんな生活をしたことが?」
「それは……ない、ですけど」
セサーカの冷たい言葉に口籠るスーリリャ。
「では、わかるなどと言わないことですね。厭らしいですよ、貴女の言い方は……卑劣で、不愉快です」
同族であることを盾に、わかりもしないことをわかると。
わかるはずがないのだ。ミアデやセサーカがどれほどの月日を、苦渋と苦痛と屈辱に塗れて生きてきたのかなど。
「……ごめんなさい。貴女の言う通りです」
「言いたいことはなんですか?」
話が長引けば長引くだけ険悪になるだけだと、ルゥナが続きを促した。
別に打ち解けたいわけではないだろう。
話の前振りとしてそう言ったのだが、言い方が迂闊でこちらの神経を逆撫でするだけだ。
「時間稼ぎ……ならもう結構です。別動隊でも伏せているというのなら、こちらも」
「違います! そんなんじゃ」
「上辺の言葉を並べられるだけで、信じるに値しない。私はそう思っていますが」
スーリリャは開きかけた口を閉じて、一度言葉を飲み込んだ。
信用できないと言われて、自分の言葉を噛み締める。
「……すみません、そうですね」
「……」
「戦いを、やめてほしいんです」
後ろで聞いていたソーシャとエシュメノ以外の四人の口から、同時に溜息が漏れた。
甘ったるい、寝ぼけたことを。
「……」
「人間と戦っても何にもなりません。ただ戦いが続くだけで、たくさんの人が傷つきます」
「……」
「貴女達だけではなくて、他の……西部の戦いだって。こうして清廊族が人を殺したりすれば、もっとひどくなってしまいます」
「……」
「人間にも色々な考え方があるんです。ビムベルク閣下のように、清廊族だからって虐げたりしない。そういう人も」
「……」
「今すぐではなくても、少しずつ良くしていけるはずなんです。人間と清廊族の関係を、これから……」
「殺す」
我慢の限界に達したのか、ミアデの手が震えていた。
「それ以上喋ったら、殺す」
「ええ、そうしましょう」
セサーカも頷いて、魔術杖を上げた。
ビムベルクが一歩前に出ると、ソーシャが背中からエシュメノを下ろした。
前回は戦いの中から一歩引いていたソーシャだが、今度は手伝ってくれる気があるのか。
(……それだけ、この英雄が脅威ということですね)
「だから、こんな戦いでは何も……」
「私の気持ちもこの子たちと同じですが」
英雄と名乗ったビムベルクの力量がわからない。
確かに聞くに堪えない不愉快な言い分で、まるで現実の見えていない吐き気を催す甘ったるい言葉だが、短絡的に戦いを選ぶことも不安だ。
「私たちが戦わないと言ったとして、人間は……そちらはどうするのですか?」
「……」
「他の人間は、また襲ってくるでしょう。それに抗うこともやめろと?」
「……閣下」
困ったようなスーリリャの隣で、ビムベルクは首を横に振った。
「そうは言わねえ」
「あなたがた……いえ、ビムベルクと言いましたか。お前は私たちをこのまま見逃せるのですか?」
他の者はとりあえずどうでもいい。
この英雄とやらは、この場では剣を抜くのか、抜かないのか。
「そりゃあ……そういうわけには、いかねえんじゃねえか?」
なぜか自分ではなく、後ろにいた青年に判断を仰いだ。
若く見えるが、あちらの方が立場が上なのだろうか。
「見つけられなかったってことなら、見逃したことにはならないと思いますよ」
後ろの青年が、少しだけ物分かりのよさそうな言葉を返す。
この場は収める気持ちがなくはない。
本心かどうかはわからないが、そういう姿勢を見せた。
「できりゃあ、まとめてこっちの捕虜になってもらえれば助かるんだが……悪いようにはしねえ」
「それこそ、信ずるに値するものが何一つありません」
「だわな」
「閣下は嘘なんか言いません!」
声を荒げたスーリリャに、ミアデが拳を向ける。
「お前は喋るな。本当に、本当に……人間より胸糞悪いやつ」
「う……」
清廊族だからと交渉を買って出たのかもしれないが、完全に逆効果だった。
スーリリャにはわかっていない。彼女は何も知らず、何も見えていない。
虐げられたものの感情は、そうされたことがない者にはわからない。
知ったような口を叩かれるのが、何よりも腹に据えかねる。
「わかるって言うなら同じ目に遭ってから言いなよ。豚のような男に、汚物みたいな連中に、毎日犯されて嬲られて、それに逆らえない生活をしてからさ」
「……」
ミアデの言葉に、スーリリャは口を噤んで俯いた。
幸せな場所からは見えなかったのだろう。
言葉が通じる相手としか話したことがない。
呪枷を嵌められ、意志を奪われた奴隷の心など、普通に暮らしてきた彼女にはわからなかった。
話せばわかる。そんな幻想を抱いて。
もうそんな地点はとうの昔に通り過ぎたのに。
「……まあ、こっちも悪かった。それくらいにしてやってくれや」
英雄が謝罪した。
彼はそれなりにわかっている。こんな話が通る筋合いかどうか、見えている。
となれば、相応の考えもあるはず。
「……決裂、ですか」
ルゥナとアヴィの手が剣の柄を握る。
「いや、待て待て。いきなり殺し合おうっていうんじゃ、俺もこいつに面目が立たねえ」
意外なことに、本当に彼はスーリリャの心情を思いやっているようだ。
(確かに……こういう人間もいる、と)
だから許せるわけではないが、全てが同じ考えではないことはルゥナにもわかる。
清廊族にも色々な考えがあるように、人間もそれぞれだ。
「見逃すつもりはある。お前らがこのまま逃げるのを追うのはやめたっていい」
「そうですか」
本当に、戦うつもりではなく、話し合うために追ってきたのだと言うのか。
このスーリリャとかいう頭の中身がお幸せな女の為に、夢物語のようなお話を。
「だが、条件もある」
「……」
「そいつは……その壱角だけは、こっちに預けてくれねえか?」
条件は、エシュメノだった。
緊張した面持ちなのは、この交渉だけは本気だからなのだろう。
言葉にした瞬間、びりりとした空気がソーシャから発せられた。
当然だ。
エシュメノを人間に引き渡せなどと言われて、親代わりであるソーシャが頷くはずもない。
「まあ……ちょっと待て、一応だが見せておくぜ」
ゆっくりと剣を抜くビムベルク。
やはりこうなってしまうか。
彼は、横を向いて川の方に剣を構えた。
「ぬぅっ!」
上段から一閃。
いや、上段に構えた所も、振り抜いた瞬間も、ルゥナの目にはほとんど見えなかった。
ただ大きく川が断ち割られて、水飛沫と共に地面に深く亀裂が入った結果を見て理解する。
「……」
裂かれた大地に、巻き上げられた水飛沫と、上流からの水が流れ込む。
縄を岩に括り付けられ川に浮かんでいたシフィークも、突如出来た急流に引っ張られ、もごもごと泡を吹きながら溺れかけていた。
「なん、て……」
跳ね上がった水飛沫が、雨のようにルゥナたちにも降り注いだ。
「俺は戦いたくねえ。お前らを殺したいわけじゃねえ」
「……」
「その娘を渡してもらったら、それだけでいい。絶対に悪いようにはしねえ、約束する」
自分の力を示してみせて、剣を収めて再度の要求。
これで聞き分けてくれないかという。
英雄の交渉の札は、自分が戦わないこと。
こちらは、エシュメノを引き渡せと。
まだ仲間とも言い切れない彼女を、安全を約束した上で引き渡せば、英雄との戦いを回避できる。
『……其方らはいい。私がエシュメノを守るだけだ』
ルゥナの考えを察したのか、ソーシャは単騎で戦うと言う。
今の一撃でさえ英雄の本気ではないだろう。
あんなものと戦うことが可能かどうか。
少なくともソーシャが怖気づいた様子はない。
(アヴィの本来の力があれば……)
ないものを考えても仕方がないのはわかっているが、やはり口惜しい。
「ルゥナ」
アヴィが、それまで黙って話を聞いていたアヴィが、ルゥナの肩に触れた。
「あの子は……エシュメノは、私。だから」
口づけをされた。
アヴィの唇が、詫びるようにルゥナの唇に軽く触れる。
見捨てられない。
同じ境遇のエシュメノを見捨てて進むことは出来ない。
そんな彼女の気持ちは、聞くまでもなく知っていた。
「ええ、アヴィ。わかっています」
アヴィの気持ちはルゥナの気持ちだ。違うことなどない。
少しの時間でも、エシュメノとソーシャの関係には心打たれるものもある。
見捨てる考えなど全くなかった。
「ミアデ、セサーカ」
手招きする。
呼ばれた両者が、ビムベルクの方を気にしながらルゥナの元に来る。
「アヴィの唇をいただきなさい」
少しだけ物欲しそうな顔をしていたので、彼女らにも分け与える。
「いいんですか?」
「やった」
二人にも、
受けたミアデとセサーカが照れたように微笑み合って、続けて二人でキスを交わした。
様子を見ていたビムベルクだったが、深く溜息を吐いて頭を掻く。
こちらの気持ちを察したのだろう。
「やれやれ……やっぱり、こうなっちまうか」
スーリリャを後ろにやって、待機していた青年に預けた。
「人間は」
剣を抜きながらルゥナが言うと、アヴィが続ける。
「皆殺し」
既にそう決めているのだから。
『そうしよう』
ソーシャの三本角が淡く光ると、それが戦いの幕開けだった。
※ ※ ※
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