第一幕 56話 再会する冒険者達_3
勇者シフィークが強いことくらい知っている。
こんな男に、若さゆえの気の迷いとはいえ、身を任せていたことを思うと吐き気がする思いだ。
「マルセナ、下がって!」
「そうさせていただきたい所ですけど」
転がっていた兵士の死体から小さな盾を拾い、マルセナに襲い掛かるシフィークの攻撃を受け止める。
「ぐぅぅっ」
「どけぇ!」
拳を受け止め、その直後の蹴撃をひらりと躱す。
猛烈な風圧が吹き抜けていった。
「炎よ!」
マルセナの放った二つの火球を、右と左の拳で打ち払われる。
いくら簡易詠唱とはいえ一流の魔法使いの火球なのに、素手で。
赤く焼けた肌に痛みを感じたのか、一度足を止めてマルセナを睨む。
「よくもこんな……僕を、僕をぉ!」
「シフィーク! やめなさい!」
「黙れぇ!」
聞こえてはいる。
マルセナへの怒りで我を忘れているようだが、イリアの言葉が聞こえないわけではない。
「イリアじゃないか」
突然、その顔が平静に戻った。
いつものように、かつてのように、若くして勇者と呼ばれるようになった人の良い青年のような表情。
「ああ、イリア。無事だったんだね」
「……」
どうすべきなのか。
本当に何事もなかったかのように、町の宿で目覚めておはようと挨拶でもするような調子で。
襤褸切れの服に糞尿の臭いまで染みつかせて、顔も泥と擦り傷で汚しながら、何事もなかったように。
歪み。
この青年は、歪んでいる。どうしようもなく。
「ちょうどよかった、イリア」
「……なに?」
脅威度の高い相手だ。少しでもマルセナが呼吸を整えられるなら。
気持ちの悪い相手と会話をすることも厭わない。
「あの女はもういらない」
同じパーティで冒険者をしていた頃の話だ。
若き勇者シフィークに近寄ろうとする女は少なくなかった。
シフィークも若い男だ。適度な発散のためにそれらを利用する。
長くは続かない。シフィークが飽きたり利用価値がなくなればそこまでのこと。
素直に去る者はよかった。
不満を言う者もいたが、勇者と呼ばれる男との差を感じて、イリアがそれを伝えて、去っていく者がほとんど。
稀にいるのだ。
勇者にとって不都合なことを吹聴するなど、どこの種かもわからぬものを勇者の子がお腹にとか言い出す者が。
イリアがそれを処理することは、さほど難しくなかった。
状況の見えていない女だ。死体が見つからないように処理することも容易い。
勇者のパーティに不穏当な噂が立つのはイリアにも不利益だったし、当時はイリアもまた状況が見えていなかった。
シフィークにとって都合の良い女として、そんなことをしていた。
今思えば、本当に吐き気を覚えるほど愚かな過去。
「僕が処分する。手伝ってくれ」
「……」
手が震える。
屈辱と怒りで手が震える。
臆面もなくそんなことを言うこの男は、洞窟で魔物に囚われたイリアを、魔物ごと斬り捨てようとしたのだ。切り捨てたのだ。
「処分されるのは……」
手にしたショートソードの柄を、痛いほど握り締めて震えを止めた。
腹に力を込めて、友人に話しかけるような調子で、歪みに満ちた澄ました笑顔を浮かべるシフィークに笑顔を返す。
「あんたよ!」
「っ!」
イリアは強襲斥候だ。
勇者のパーティの一員として働く冒険者として、若くとも相応の力量を有していた。
総合的な戦闘力で勇者シフィークには及ばなくとも、敏捷性であれば匹敵する。
イリアの剣が咄嗟に防御姿勢を取ったシフィークの腕を切り裂いた。
「……こ、の……イィリアァァァァァッッ!」
シフィークの顔が、それらしく憤怒と狂乱に歪んだ表情に戻る。
腕の傷は深くはないが、それでもいい。
「マルセナはあんたなんかに渡さない! 殺させない!」
「そうですわね」
腕の傷も構わずに襲い掛かってくるシフィークから、ひょいっとイリアの体が後ろに運ばれた。
マルセナの肉体強化はまだ続いている。
時間が短い、というのはちょっとした騙し。駆け引き。
実際には四半刻ほど続く。
それを長いとみるか短いとみるかは別として、ごく短時間というわけではない。
「どいつもっこいつもっ! このクソ女どもがぁ!」
マルセナに抱かれて逃げるイリアは、この状況をつい悦んでしまう。
愛する人に抱かれての逃亡。
こんなに嬉しいものだとは知らなかった。
「逃げられると思うな!」
追いかけてくるシフィーク。
マルセナの胸に抱かれる感触を惜しみつつ、イリアも降りて一緒に走る。
だが、マルセナの体力も限界に近い。肉体強化の制限時間も迫っていた。
(このままじゃ……)
勇者の方に時間制限はない。
怪我をしようが全裸になろうが、狂ったようにマルセナを追い、殺すだろう。
(……私が、盾に)
そうするより他にない。
マルセナに抱かれた至福の時の代償だと思えば、それで……
「はしゃぎすぎだぜ、坊主」
イリア達を追う狂気の勇者の横に、その男はいつの間にか立っていた。
いつの間に追いすがったのか、いくら戦闘中だったとはいえイリアがその気配に気づかないことなど有り得ない。
一瞬だった。
その男が近くに存在していたのは認識していた。その場所からシフィークの隣までの移動が、瞬きをするような一足のみ。
「少し眠っとけや」
イリアの視界の端で、膝が入るのが見えた。
シフィークの脇腹にめり込み、その体を歪ませて、近くにあった木の幹に叩きつけた。
「行きますわよ」
マルセナは振り返らなかった。
声をかけてくれたのは、イリアと二人で進むという意志があるから。
なんて幸せなのだろうか。
(マルセナと二人で……)
「うんっ」
イリアが振り返る理由もなかった。
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