第一幕 51話 いやし包丁_1



「仕方がねえ。ツァリセ」

「はい」

「スーリリャの安全の確保だけしてろ。いいか、他のことはするんじゃねえぞ」

「すみません……」


 小さくなって謝るスーリリャ。

 それなら最初から安全な場所にいてほしいのだが。自分と一緒に。


 顔を潰された冒険者らしい死体。

 何かの強力な魔法が炸裂した痕跡。

 そして、前方から聞こえる音は、間違いなく戦闘のそれだ。


 ここまで見てきた状況も、この先で待っている状況も、安全とは真反対に向かっている。


 ビムベルクが向かうのは別にいい。

 領内における正体不明の何者かによる戦闘行為の確認及び対処。エトセン騎士団の一員としての職務だろうし、英雄として当然の行動だ。


 そこにスーリリャが同行するのは危険でしかない。

 戦う力などない女。己の身を守ることさえ危ういのに。



「どうしても、ちゃんとこの目で見たいんです。私なら、清廊族も話を聞いてくれるかも……」

「はあ……気持ちはわかってますし、隊長の命令だからいいんですけどね。でも」


 通り過ぎてきた光景を思い返して、やはり溜息は尽きない。


「暴れている相手は異常です。武器を使わずに殴り殺すだとか、雨の後だったから燃え広がりはしませんでしたが、爆炎魔法を森で躊躇なく使うだとか」

「はい……」


「僕では守り切れないかもしれない。その時は自分で自分の身を守る気構えもしておいて下さい」



 ツァリセとて別に腕に自信がないわけではない。

 強者が揃うエトセン騎士団でも、半分より上だという自負はあった。

 だが、先ほどの魔法による破壊の跡を見れば、己の分を越えることはわかる。


(あれ食らったら本当に死ぬ。死んじゃう)


 正直な気持ち、その場に居合わせなくて良かったと思う。

 その魔法と使ったであろう何者かを追って行くのだから、緊張はもちろんある種の覚悟も必要だった。


 非力なスーリリャを守れというビムベルクの命令は、もちろん当然のことで従うのに異論はないが、やはり負担なのだ。 


 ツァリセの生存確率を下げる要素。

 足手纏いだという自覚があるから謝った彼女に、これ以上言っても仕方がない。



(ま、スーリリャの安全の為に自主的に退避する許可をくれたってことで)


 それはビムベルクの優しさか、気遣いか。


(……違う。本当にただスーリリャの身を案じているだけだよね)


 そういう気遣いが出来る人ではないとは知っていた。



「こんなことなら持ってくるんだったな。マウリスクレス」

「勘弁してください。女神の遺物、濡牙槍じゅがそうなんて持ち出したらさすがに始末書じゃ済みませんよ」


 団長の許可がなければ持ち出すことを許されない濡牙槍マウリスクレス。

 エトセンの宝物。ビムベルク愛用の武器ではあるが、休暇に持ち出していいようなものではなかった。


「言ってみただけだ」


 表情は違う。必要だと思っている。

 英雄をしても、この状況は楽観視できないということなのか。


「何が出るかわからん。危ないと思ったらすぐに逃げろ」


 軽口さえ出ないほどに。



  ※   ※   ※ 



 コクスウェル連合領トゴールトからレカン周辺村落への収奪作戦に来ていた部隊の部隊長ハラッド。

 彼は混乱していた。


 戦闘の跡は見た。見たこともない蹄もあり、何かの魔物に襲われたのだと理解した。


 なりふり構わず爆炎魔法を使ったのだとしても不思議はない。

 だとすれば魔法使いは消耗しているはず。

 荷車の轍や小さな足跡もあれば、避難民の集団と考えるのは当然だった。


 魔法使いがいるとしても、あれほどの魔法を何度も使えるはずがない。

 慌てて逃げている様子からしても、まともに戦える戦力があるとも思えなかった。なのに。



 最初に弓で射抜かれたのは、ハラッドの補佐を務める男だった。

 先頭の者ではなく、二列目にいた指揮を担う者の目を穿つ。

 と同時に、進んでいた部隊の横手から襲い掛かってきたのは、年若い少女たち。


 影陋族なのだから年若いように見えてもそうではないことはわかるが、体格的には成人男性の兵士たちより一回り小さい。


 兵士は胴体を守るよう硬めの皮革で出来た胴巻きを身に着けている。

 視界を広く取るために割と開放的な顔は、咄嗟に籠手で守るようにしているが、もちろん間に合わないこともある。


 包丁で喉を裂かれた者が血飛沫を上げて倒れるのと、手斧を下腹に深く叩きこまれる者。


 避難民から待ち伏せを受けて、尚且つその襲撃してくる敵が戦いに手慣れているなど考えもしなかった。

 さらに飛んでくる氷雪の魔法に視界も悪ければ身動きも取りづらい。


「逃げろ! 退却だ!」


 敵の方が高い戦力を有している可能性について、皆無だと思っていたわけではない。

 だが、子供を連れた避難民の影陋族にこうもやられるなど、ハラッドには想像もできなかったのだ。

 慌てて出した撤退の命令は、既に遅かった。



 自分こそが先に逃げようと、叫ぶ前に後方へ走り出していたハラッドの前に立つ少女。

 胸に晒し帯と短い丈のズボンで、惜しげもなく健康的な肌を晒している黒髪の少女が、逃げようとするハラッドに向けて笑う。


「行くなら地獄に行きなよ」


 握った拳の指の隙間から覗く小さな鉄の杭が、ハラッドの行き先を告げた。



  ※   ※   ※  

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