第一幕 45話 母の影_1
さらに二日ほど進み、小雨の降りやんだ朝。
西側は緩やかに下っていき見晴らしがよい。
荷車を押しての移動なので、なかなか速度は上がらないが、それでも人間の町などからはかなり離れた。
この辺りにあった小さな集落は、ルゥナとアヴィが最初の頃に滅ぼした。ここは黒涎山から近い。
西を見れば、その遠くにかつては黒涎山の頂が見えただろうが、今はもう見当たらなかった。
東、北側は少し木々が多くなっていき、その北には高く聳えるニアミカルム山脈の峰々がうっすらと見えている。
これより北には人間の集落はない。
あっても、猟師や何かが森で休憩する小さな小屋程度。
滅ぼした集落で一度休憩を取り、当時は必要なかった旅に使えそうな物を回収する。
村の外れに少し沈んだような地面があるのは、滅ぼした時に埋めたからだ。
いらないもの、不要な物。死体や、どうにも使い道のない命石をまとめて。
黒涎山近くから流れる川は二つある。
一つはくねりながら南に延びていく川。ルゥナが氷の橋を架けた川だ。
もう一つは、山脈伝いに東へ伸びていく小さな川。
山脈から流れる別の小川と合流しながら、東に向かって大きな川になっていく。
この集落から北に、坂を少し下ってその川を渡れば次は山脈の領域に入っていくことになる。
追手は来ないかもしれない。
ルゥナがそう思える程に順調で、だからこそ不安も感じさせた。
「人の気配です。二人……だと思います」
ユウラの言葉に足を止めた。
彼女の感覚の鋭敏さは誇張ではなかった。ある程度の大きさの生き物が動いていれば離れていてもそれを察知する。
木々で視界が悪い中でその能力はとても有用だった。
「こんな場所に?」
滅ぼした集落から逃げ延びた人間か、そうでなければ冒険者か。
二人組で探索に臨むような冒険者であれば、相応に優秀なのかもしれない。
アヴィと共に前面に立ち、他の者には息を潜めるように指示した。
引き合う力というのはあるのかもしれない。
偶然とは言えず、意図せずに思いもしない形で過去の何かと関わり合いになる。そういう経験は多くの者にあるだろう。
それを思えばラザムの襲撃もそうだった。
正気を失った後、黒涎山から近い場所を彷徨い続けていたのだとすれば、ルゥナたちと出くわしたのも不思議ではないと言える。
だが偶然ではなく、運命の歯車と呼ばれるような何かがあったのだとすれば。
似たような巡り合わせが繰り返されることは、必然だったのだろう。
「……まさか、そんな」
「見間違い、ではありませんのね。印象はだいぶ違いますけれど」
ルゥナの驚愕の声に対して、マルセナはそれほど驚いた様子には見えなかった。
ボロボロの……所々破れ、着替えもないのか濡れて乾いてを繰り返しくたびれた服で、マルセナはそれでも不遜と感じさせる姿勢で溜息を吐く。
今ならルゥナの方がまだマシな服を着ているように見えた。
「生きていたのね。呪枷が外れて……?」
同行しているのはイリアだ。
ラザムが生きていたことを考えれば、予想は出来たことだった。
勇者シフィーク、闘僧侶ラザム、強襲斥候イリア、そして天才魔法使いマルセナ。
彼ら四人は、シフィークの奴隷だったルゥナを伴い黒涎山の洞窟に入り、その崩落の巻き込まれた。
ルゥナはアヴィにより山を出ていたが、他の面々もそれぞれ生き延びていた。
(とすれば、シフィークも……)
生きていると考えた方がいい。むしろ最も力のあった勇者が死んだとは思えない。
(そうか、イリアは……)
かなり腕の立つ斥候だ。これだけの大人数で移動していたら察知されないはずがない。
彼女は武器を失ったようで、手にしているのは森で調達したらしい木の棒だが。
「……まさか、私たちとやる気? じゃないわよね」
「……」
正気を失っていたラザムとは違う。上位の冒険者で、戦う手段の心得は多い。
(それに、あの魔術杖……)
どうせ武器が失われているのなら、むしろ逆が良かったと思う。
マルセナの手には、彼女の愛用の魔術杖が。
魔法は物語。世界に染みついた言い伝えなどを紡ぐ。言葉と杖で。
魔術杖なしで魔法を使うことは、通常の数倍の負担があってまともにできない。消耗も激しいし威力も不足する。
イリアの短剣ならその届く範囲は限られるが、マルセナの魔法は違った。
「気を付けて下さい。あれは危険な魔法使いです」
「知ってる」
アヴィはマルセナの魔法を見ている。
それでも言ったのは、アヴィの手が震えていたからだ。怒りで。
母の仇の二人。
一人は殺したが、続けてもう二人を目の前にして冷静ではいられない。
「ずいぶんな物言いをしてくれるじゃない。奴隷の分際で」
「もう、違います」
ルゥナに震えはない。
先日のラザムの時のような失態はしない。アヴィの母が奴隷の首輪を拭い去り、アヴィが奴隷だったルゥナの心を解放してくれた。
そう思えば前回の遭遇戦は幸運だった。苦痛はあったが、乗り越えて戦える心構えが出来ている。
「たいそう勇ましいご様子ですわ、本当に」
「お前たちなどに、もう好きにはさせません」
やや楽し気なマルセナに強い視線を向けた。
我が侭な気分屋。時折、戯れのようにルゥナにも施しを与えることがあった。
その方がより屈辱だとわかっていたのだろう。
「マルセナを……よくもマルセナに対してそんな口を叩いてくれるわね」
「……」
「薄汚い影陋族が。泣いて命乞いしても許さない」
違和感を覚える。
ルゥナの知っている二人の関係は、友好的とは逆の、女の意地を裏でぶつけ合うような陰湿な敵対関係にあったと思うのだが。
勘違いだったか、表向きはそうでも陰では睦まじい関係だったのかもしれない。
マルセナを庇うように立つイリアの目の怒りは本物だ。
それは、まるで――
(愛しい伴侶のような……)
イリアも決して体格が大きいわけではないが、マルセナはそれよりまだ小柄だ。
可愛い恋人を守ろうとするように立つ姿に、やはりルゥナの勘違いだったのだと理解する。
「皆殺しよ。あんたたち全員」
そう宣言するイリアが突き付けるのは先端が尖った木の棒だが。
これで十分だと思っている。事実、イリアの力なら出来るのかもしれないが。
「……それは、こちらのセリフです」
ルゥナは手にしたショートソードでそれに応じる。
「人間は、皆殺しです」
「へえ……」
すうっと、イリアの目が細められた。
「武器があるから私に勝てるとでも思ったの?」
見た目の装備とすれば圧倒的にルゥナが有利だが、決して油断はしない。
「たとえ素手でも、人間に屈することはありません」
もう、二度と。
ルゥナの覚悟を感じたのか、イリアの方も口元を引き締めた。
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