第一幕 39話 川を渡って_2



 荷車を使うことにはあまり賛成ではなかったが、大所帯の移動の為に必要なのは仕方がない。

 わだちが残る。


 まずその問題をどうするかということで、とりあえず考えたのは、荷車を持ち上げて運ぶという矛盾。


 ルゥナが一台、アヴィが二台、ミアデとセサーカが一緒に一台。

 村に残っていた荷車の中、状態が良い物を選んで担いだ。



「アヴィ、大丈夫ですか?」

「重心が、難しいわ」


 右手と左手に掲げた荷車について、重さではなくその均衡の取りづらさを挙げた。

 ルゥナも一台持ち上げているが、空の荷車であれば重量の問題はない。

 本当に持っていきたい荷物については、今は全員で分担して運んでいる。



「大丈夫ですか?」

「辛かったら言って」


 ユウラとニーレが気にしているのは、牧場から一緒に逃げてきた女性。


 言い出さないのでわからなかったが、お腹に子供がいるのだと。

 言われてみれば確かにそれらしい体つきになっているが、ゆったりとした服でわからなかった。


「うん、大丈夫……平気よ」


 赤子以上に気を遣う存在だ。

 他に一緒に戦うと申し出た男たちには、身重の彼女や幼児、赤子の保護をするように頼んでいる。


 そうした役割も必要だと思ったことと、清廊族とはいえ男にアヴィの体液を分けたくなかったという気持ちもある。

 いずれそんな選り好みはしていられなくなるかもしれないが、今はまだ。


「もうすぐです」


 ルゥナが目指していたのは、川だった。




 状況が変わった。


 元々のルゥナの算段では、彼らを山越えルートで北方に逃がしつつ、自分たちは少人数で西部に向かうつもりだった。

 人間の追手は、解放された奴隷たちの足取りに北へ向かうはず。


 西部に向かう途中で敵に見つかったとしても、英雄級の力を有するアヴィがいれば十分に突破できるという目算もあったのだが。

 その状況が変わってしまった今では、アヴィにこれ以上の危険な道を歩ませるわけにはいかない。


 表向きは清廊族の為に。

 内実は、ルゥナがアヴィを失いたくないから。



 状況が変わったのならそれに応じて迅速に判断しなければならない。

 全員で山を越える。

 人間にとっては環境だが、清廊族には環境というほど。


 不十分な装備で向かうことに不安はあるが、何も最高峰を目指すわけではない。

 出来るだけ標高の低い場所を進んで北に向かう。季節は春から夏に向かう時期だ。


 気温や天候以外の問題もある。生息する魔物の群れや種類。

 これはアヴィやルゥナの力があればほとんど片付くだろう。

 他の者が少しずつでも力を得るのにも、適度になら出てほしいと思うくらいだ。


 人間でも、無理に山越えを試みて、おそらく越えられないことはないと思う。

 だが、強行すれば犠牲を伴うし、抜けた先は清廊族の領域になる。

 補給の目途も何もなしに山脈越えなどという作戦を立てる者はいなかった。


 腕に覚えのある冒険者が山に入り、無理のない範囲で珍しい魔物を狩ったりすることはあったようだが、労力の割に利益にならないので今ではほとんどいない。

 ルゥナたちは、その山を越えて清廊族の里に辿り着くことが最初の目的なのだから、困難だとはいえ他の道より意味があるように思えた。

 



「ここで……トワ、私にそれを」


 川のほとりで荷車を一度下ろして、トワが持っていた杖を受け取る。

 セサーカが荷車を運ぶのに手が塞がってしまうので、トワに渡していた。


 魔術杖に力を込めて。


「真白き清廊より、来たれ絶禍の凍嵐」


 猛烈な氷雪の嵐を、川の流れに集中させた。


 昨日の雨のせいか水かさが多く流れが強い。

 完全に凍らせるまで、少し時間がかかりすぎた。


「う……は、ぁ」


 眩暈を感じて杖で体を支える。


 魔法を使うと体力が減るのはわかるが、体力が減っていくのを実感するということもなかなかない。全力疾走をしている時の足の疲れのように、魔法を使い続けられる限界が体感でわかる。

 限界に近いところまで魔法を使い、一気に体が重くなった。


「ルゥナ様」

「大丈夫、です」


 密着して支えてくるトワに強がりを言って、川を見る。

 流れを完全に堰き止めたせいで、上流からの水が両岸に溢れていた。


「今のうちに渡りましょう」


 氷が濡れると滑りやすい。早く渡ってしまう必要があった。



 ルゥナが持っていた荷車はアヴィが引き継いだ。

 二台の荷車の上にもう一台を乗せて。両手を広げた姿で曲芸師のように凍った川の上を歩いていく。


「重心を取るの、難しいわ」


 言葉とは裏腹に楽々とやっているように見える。

 それを見た皆が驚きと感嘆の声を上げて、表情が明るくなっていった。

 アヴィも彼女なりに気を遣っているのか。



 他の者も皆で川を渡り、川辺からだいぶ森に入ったところで集まらせた。


「じゃ、壊す」


 アヴィはそう言うと、皆で使い回している木の魔術杖を構えた。


「……うん。極光の斑列ふれつより、鳴れ星振ほしふり響叉きょうさ


 一瞬考えるように宙に目線を泳がせた後に詠唱を謳い上げる。

 ルゥナも初めて聞く魔法だが、空から鳴り響いた星の声の童話の一節のようだった。


 特に何か目に見えるものはなかったが、凍り付いた川にぴしりと音が響いたかと思うと、次の瞬間には粉々に砕け散った。


「……できたわ」


 ちらりとルゥナに目を向けたのは、褒めてほしいのだろうか。

 実際、見事なものだと思うのでもちろん称えたい。



「すっごいですアヴィ様」

「どうやったんですか? 私にも教えて下さい」

「……」


 ルゥナの前にミアデとセサーカが入ってしまったので、言葉はかけそびれた。


(力の多くを失ったとは思えないですね)


 じゃれついてくる少女らを、困ったようにふいっと袖にして去っていくアヴィ。

 川の周りは水浸しだ。しばらく堰き止めて溢れていたのだから。


 これでまた足跡も紛れる。

 渡河するには川幅も広いし流れも強い。追手がかかっても対岸にいる可能性は低いと考えるだろう。


 川から少し離れた場所から荷車を使えば、轍も誤魔化せる。

 妊婦を荷車に乗せて、なるべく負担がかからないよう多くの布も集落から持ち出してきた。


 塩や持ち運びしやすい食料と、武器になりそうなものなども。

 ここからは荷車で運んでいける。


(これで追手を撒ければいいですが)


 時間を稼ぎたい。

 とりあえず今はまだ戦える状態ではない。


 森に生息する魔物なども狩りながら進むことにしているが、トワたちにそれが出来るかを考えると、まだルゥナの溜息は尽きなかった。



  ※   ※   ※ 

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