第一幕 34話 失われたもの_1



 アヴィの体に外傷はない。

 考えられる限りのことを確認してみたが、健康に問題はなさそうだった。


 先ほどの呪術師の攻撃で、体力の大半を奪われた様子だったが、生命に危険があったり何か操られていたりという様子はなく、ルゥナはひとまず安心する。



 だが、アヴィは元気がなかった。

 ぐったりとしていた状態からは立ち直ったが、元気がない。

 雨に打たれて冷えたのかもしれない。


「……アヴィ?」

「……」

「乾いた毛布がありましたから、眠りませんか?」

「……」



 滅ぼした人間の集落の一つに戻り、一度全員を休息させている。

 夜通し歩き、全員が辛そうだった。

 雨も激しくなってきている。


(幸いに)


 大所帯になっているので、足跡などの痕跡が紛れてくれてよかった。

 魔物を使って臭いを追うにしても、雨である程度は薄まるだろう。


 助け出した清廊族は全部で二十名。

 その中には乳飲み子が一名と幼児も三名いる。

 これからどうするべきか。



「アヴィ……どうか、しましたか?」

「……力が、入らない」

「まだどこか……?」


「違う」


 アヴィの体調を気遣うルゥナに、彼女は不服そうに首を振る。


「うまく、力が……弱くなった」

「そんな……まさか」

「本当よ」


 アヴィは、少し涙目でルゥナの前に立った。

 悔しそうに、不服そうに。



「……アヴィ?」

「うぅっ!」


 突然、アヴィがルゥナに掴みかかった。

 襲い掛かるようにルゥナの両手首を掴み、今ほど誘った毛布に押し倒す。


「なっ、アヴィ!? なにを……っ」

「うぅ、うぅっ」


(操られて……?)


 呪術師の何かかと考え、抵抗を試みる。



「え……」


 わずかに押し返すが、そこまでだ。

 アヴィの力の方が強いことはわかっている。けれどこれは――


「……本気、ですか?」

「本気、よ……」


 アヴィの瞳から涙が零れ落ちた。


 本当なら、本当に本気なら、ルゥナが押し返せるはずがないのだ。

 わずかにでも。

 それほどアヴィとルゥナの力の差があった。

 びくともしないくらいに強かったはずなのに。


「……アヴィ」

「母さんの……母さんの、力なのに……」



 彼女は悟っていた。

 あの呪術師の仕業で、アヴィの力が失われたのだと。

 大切な母から受け取った力が、全てではないにしろ奪われてしまった。


「呪術……力を、封じる……」


 得体の知れない呪術師だった。そういう力を持っていた可能性がある。

 考えなかったルゥナの失態だ。


「それで……戦っている最中も、それでうまく戦えなかった……あの、忌まわしい呪術師が……」

「もう、これじゃ……人間を、皆殺しに出来ない」


 涙を流す。


「アヴィ」

「母さんに、どうして……」

「アヴィ、聞いて下さい」

「いや」


 いやいやと、被りを振る。

 長い黒髪が乱れて、涙がルゥナの頬に落ちる。



「出来ますから」

「できない」

「やりますから」

「できない」

「アヴィ……話を聞いて下さい」

「いやっ!」


 一際大きな声で拒絶された。



「もういや。何も見たくない。聞きたくない」

「……」

「ルゥナはもういい。いらない」

「……」


「みんなで北の山を越えて逃げればいい。私は独りでできるから」

「さっきと違うじゃないですか」


 支離滅裂な言葉を重ねるアヴィに、溜息と共に首を振る。


「それに……いらないなんて、言われたら……」

「あ……」

「……いえ」


 アヴィの手の力が緩んだので、組み伏せられた状態から抜ける。

 気が抜けたのか、逃げるルゥナを無理には掴まえない。


 手首が赤くなっているが、本気だったら骨ごと砕かれるほどだろうが、やはり力が弱まっている。

 本当に力を失ったのか。



「……確かに、本来ならアヴィ独りでも出来たかもしれません」

「ち、ちが……」

「いいんです。私は……私の好きでやっているだけですから」


 立ち上がって向き直ると、アヴィの瞳からぼろぼろと涙が零れ落ちる。

 先ほどとは違った涙が。



「ちがう……」


 消え入りそうなアヴィの声。

 意地悪な性分ではない、つもりだ。

 他の者に対してはともかく、アヴィに対してだけは。


「……ごめんなさい、アヴィ」


 謝罪の言葉と抱擁を。


「わかっています。つい口から出てしまっただけで本気ではない、ですよね?」

「あ……う、ごめん、なさい」



 彼女の心は幼い。

 感情的になって、つい相手を傷つけるような言葉を発してしまっただけだと。

 それくらいはわかっている。


「ですが、アヴィ……私に対してはともかく、他の者にはいけませんよ」

「……」

「皆の協力がなければ、貴女の……母さんの願いを叶えることは出来ませんから」


 アヴィの力が失われたと言っても、それは彼女の戦闘力のことだ。

 ルゥナの力は変わっていないし、おそらくミアデもセサーカも。

 人間を殺すことで力を得る特性については、今まで通りだろう。



「貴女の力が不足するなら、私が力になります」

「……」

「清廊族皆で貴女の力になればきっと……必ずできますから」


 捨て鉢になる必要はない。

 独りで戦うこともないのだから。



「人間のいない世界の為に、皆で戦いましょう」

「……ルゥナ」

「言い方は悪いかもしれませんが、その為に他の皆を使います。目的を果たすまで、どんな汚いことをしても」


 最終的な目的を果たせるなら、何もアヴィの戦闘力に頼ることばかりが手段ではない。

 仲間を増やして、その中に英雄、勇者に匹敵するだけの力を持つ者がいればいい。作ればいい。


 アヴィの力だって、時が経つか何かすれば戻るかもしれない。呪いを解く方法もあるかもしれない。


「ただ、差し当たってはここを離れましょう。人間の追手が来る前に」

「ルゥナ」

「幼い子もいますが、どうにか」

「ルゥナ!」


 強く呼ばれて、口を閉ざす。


 早口で捲し立てている自覚はあった。

 彼女の言葉を遮るように話し続けた。


(私も、少しは……傷ついて、しまうので……)


 いらないと言われたことを、気にしないなどと言ってはみたけれど。

 やはり心は揺さぶられ、聞きたくない言葉がこれ以上アヴィの口から出てくるのを遮りたくて。


 動揺している自分を悟られたくなくて、わざと無視するように話を続けてしまった。



「……」

「……」


 無言のまま、視線が重なる。

 寂しそうな瞳だと、ルゥナは思った。

 アヴィがどう思っているのか、それはルゥナにはわからないけれど。




「大丈夫、ですから」


 もう一度、今度はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「全ての人間をこの大地から……この世界からなくしましょう」


 それが目的だ。

 失っていない。失われていない。


 アヴィは、自分の力が損なわれたことで道を断たれたと思っているかもしれないが。

 最初からルゥナはそれだけで人間を滅ぼせるなどと思っていない。



「どう……やって?」


 やっと、お互いに話が出来る程度に落ち着いた。

 ふと息を吐いて、頷く。


「西部で、人間と戦っている清廊族がいます」

「……」

「そこには、アヴィと同じくらい強い女性がいるんですよ。二つ並んで」

「……うそ」

「本当です」


 信じられないというアヴィ。

 無理もない。清廊族はあまり戦いに向いていない者が多い。



「清廊族にも言い伝えがあります。氷乙女ひのおとめという」

「……」

「人間どもの英雄に相当する彼女らがいるから、西部は戦っているんです」


 人間の侵攻が西部で食い止められている事実と、ルゥナの言葉とを重ねて、アヴィの瞳が少しずつ光を取り戻す。

 嘘ではない、と。



「私はアヴィに嘘は言いません」

「……うん」

「彼女たちや、そこで戦う清廊族の戦士たち。皆にアヴィの力を分け与えることが出来れば」

「あ……」


 目的への道筋は、途絶えていない。

 アヴィさえ生きていれば、人間と戦う手段はあるのだ。


「人間に勝利する。人間を滅ぼす。出来るんです、アヴィ」

「ルゥナ……」



 アヴィの個人的な戦闘力が問題なのではない。

 もちろんそれも一つの力ではあるけれど、それはただの一つに過ぎない。


「大体、アヴィだけで人間全てを滅ぼすなんて、出来るはずがないんですよ」

「う……」


 ルゥナの言葉に、小さく呻いて俯く。


 アヴィとてわかっていなかったわけではないだろう。

 復讐心や目の前のことに囚われすぎて、あまり考えていなかっただけで。

 だが、ルゥナは考えていた。


「どうすれば人間を滅ぼせるか。どうしたら母さんとアヴィとの誓いを果たせるか。私が考えますから……」


 ただの世迷言にしない。夢物語にしない。

 一緒に暗い洞窟の底で誓ったのだから、必ずそこに辿り着く。

 ルゥナがすべきことは決まっている。


「人間を滅ぼしましょう。そうして、母さんの下に行く」

「……ルゥナ」


 アヴィが顔を上げた。

 その瞳には、力が戻っている。

 戦う力はいくらか失われたままだが、それも無になったわけではない。


 出来る。進める。

 諦めない意志さえあれば。



「アヴィの力を取り戻す方法も探します。すぐには見つからなくても、仲間を増やして、人間を殺す力にしましょう。清廊族全てが貴女の力になる。だから」


 もう一度、静かに頷いた。

 自分自身にも言い聞かせるために。


「人間を滅ぼす。やるんでしょう、アヴィ」


 ここで泣き伏せていても出来ないけれど、進む道はあるのだと。

 ルゥナの瞳に映るアヴィが、小さく、だがはっきりと頷き返した。


「……接吻キスしても、いい?」


 接吻キス。ルゥナには聞きなれない口づけの呼び方。人間どものだろうか。

 彼女の言葉は真っ直ぐすぎて、その意図がよくわからない。

 今までそんな確認をしたことがあったないくせに。


 だが、アヴィの言葉に対して否はない。


「ええ、まあ……んっむぐ、ちょっあ、やっ」


 許可を出した途端に、襲い掛かってきた彼女に再び組み伏せられてしまうとは思わなかった。



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