第一幕 33話 瓦礫に嗤う雨_3



 ロドは牧場の見張りだった。


 見張りだとは言っても、別に戦闘を生業なりわいとしているわけではない。

 荒事であれば、主人が用意した魔物がそれを担う。


 素人のロドがするのは、牧場で生活する商品が逃げ出さないように見張ること。

 また、同じ見張りの連中が、妙な気を起こして商品に手を出さないように見張るのが仕事だ。


 十体以上の魔物を切り裂くような襲撃者に対して、まさか立ち向かうような気持ちは全く起きなかったとしても無理はない。



 ロドは戦闘向きの人間ではない。

 一人で森を抜けるのも恐ろしかった。

 まして時刻は夕刻から夜になりかけた時間。

 運悪く雲も出てきて、月明かりさえ当てになりそうにない。


 屋敷から聞こえていた戦闘の音は、だいぶ前に鳴りやんだ。

 それでも隠れていたロドがそこから這い出たのは、もうすっかり暗くなってからだった。



「……ご主人は……無事だらうか」


 ロドの言葉が訛っているのは生まれの問題だが。

 彼は生真面目に、自分の雇い主の安否を気にした。


 滅多に来ない主人が牧場に来て、その日に襲撃があった。

 これは主人が厄介事を引き攣れてきたと考えてもいいのか。



「……屋敷は?」


 こっそりと、他に行く当てもないので、屋敷の方に戻る。

 逃げ隠れていたロドを見つけたら、主人は激しく怒るかもしれない。

 その場で魔物の餌に……そういえば魔物は殺されていたから、その心配はないか。




 戻った彼は、目を疑った。


 暗がりでも近づけばわかる。

 屋敷が半壊している。


 城のような堅固な造りをしていたわけではないが、家屋が巨大な落石でもぶつかったのかというような壊れ方をしているのは異常だ。

 恐ろしい魔物が暴れた後のような惨状。


 瓦礫の中に足を踏み入れ、死体を見つけた。

 おそらく寝台にでも隠れていたのだろう、同じ見張り番役の男の死体。

 屋敷が破壊されたついでに、一緒に壊されていたようだ。



「……」


 巡り合わせが違えば、そこで死体になっていたのはロドだったかもしれない。

 彼の運命に目を閉じていたら、瓦礫が崩れた。


「うひっ!?」


 飛びのくロド。少し離れた瓦礫から這い出して来る男が一人。

 誇り塗れでぼろぼろの状態。顔にも傷があるし、他も酷い様相だ。



「ぐ、う……誰か、いるのですか?」


 主人が連れてきた客人だ。

 初老の男で、名前は知らないが偉い人だということはわかっている。


「……」


 偉い人と話す時にどうすればいいのか、下手なことを言えばせっかく助かった命が失われるかもしれない。

 ロドは返答に迷い、だが何も言わないわけにもいかない。


「あ……」

「ひ、ひゃ」


 声は、ロドのすぐ斜め後ろからだった。



 心臓が止まるほど驚いて跳び上がり、尻をついて後ずさった。


「あわ、わ……」


 足をばたつかせて惑うロドが、ぐにゃりとした感触に行き当たったのは、同僚の死体だった。


「ひ」

「ガヌーザ殿、か……」


 今の悲鳴はロドだったが、声が裏返ってそう聞こえたのかもしれない。

 主人が使う呪術師だ。

 奴隷に呪枷を施すために何度か来ているのを、ロドも見たことがあった。



「あやつらは……?」

「ぬし、も……生き、のこるか……ひゃ、ひゃ」


 ガヌーザは質問に答えずに笑った。


 改めてロドが見てみれば、何か澱んだように視界を邪魔する外套でよくわからないが、呪術師は座りこんでいる。

 へたり込んでいる、と言った方が正しいか。

 何か力を使い果たしたように、ぐったりと。



「逃げ、られた、わ……ひ、ひゃ」

「……追わぬ、のですか?」

「追え、ぬ……い、まは……」


 瓦礫から這い出して満身創痍の初老の男と、全身から力を失っているような呪術師と。

 襲撃者を追うような状況ではないだろう。



「思うたよ、り……お、おきか……った、わ」


 陰鬱な声音で、楽し気に嗤う。


「……あれを退けるとは、それだけで尊敬いたしますが……く、ぅ」


 初老の男が左腕を押さえて呻く。

 折れているのではないだろうか。

 顔を顰めて、だがそれを表に出すまいと表情を引き締めた。


「何を、されたのですか? 今のは」

「ひ、ひゃ……呪術の神髄、聞き、たがる……か」

「これは失礼を」

「ひゃ、よい……よい。我はかわり、もの、ゆえ」


 ボロボロの状態で、なぜそんな世間話のようなことが出来るのか。横で聞いているロドにはわけがわからない。

 まず手当とかそういうことではないのか。



「泥濘と……懺睨ざんげい眸子ぼうし、と、な……」

「……女神のまなこということで?」

「しか、り……しかり、ぬし……呪術師に、むい、ておる、な……」

「ご冗談を」


 なぜこの状況で冗談を叩けるのか。

 本当にロドには意味がわからなかった。

 なぜ自分はここにいるのだろうか。



「発現すらばそれてきの力を半ばに減ずと」


 急にすらすらと、呪術師が諳んじるように言う。


「ひ、ひ……我、にも、分を超え、た……あ、れは……すこぉし、つよ、すぎた、わ」

ですか……」


「ひ、ひゃ……冗談、よ」

「でしょうな」



 ははっと笑いあう二人に、なんだかロドもおかしくなってきた。

 瓦礫の中で、同僚の死体も転がっていて、満身創痍の二人が冗談を言って笑いあう。


 泣きたい。

 たぶんこの二人は化け物だ。ロドから見たら。



「あの力を半分にとなれば、さすがと申しますか……して」

「……」


、ですかな? あるいは、と考えれば?」



「ひゃ! ひゃ!」



 一際狂ったような嗤い声を上げる呪術師。

 まさに我が意を得たりと言った風に。


 それから、曇り空からぽつりぽつりと落ちてきた雫に、枯れ木のような両手を広げて、その渇ききった喉を潤すように大きく口を開けて、また嗤った。



「女神の、眼……と、どくか、ぎり、よ……ひゃ!」

「それは……それは」


 初老の男も天を見上げて、口を開けた。


「それは、素晴らしい……はは、はははっ!」


「ひゃひゃ、ひゃっ! 、も、わら、え……ひゃ!」

「は、はひゃっ! ひゃひゃひゃ、ひゃあっひゃっひゃっ!」


 雨の降り出した夜の瓦礫の中で、三人の男の狂ったような笑い声が重なっていった。



  ※   ※   ※ 

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