第一幕 32話 瓦礫に嗤う雨_2



 崩れ落ちたアヴィに駆け寄るより先に、アヴィが手をついて体を起こした。

 震えながら、体を起こす。


「アヴィ」


 その反対で、呪術師が膝をついている。


「ひ、ひふ……ひぁ……」


 その額からねっとりとした汗と、鼻から血を流しながら。


「な、んと……こ、れほど、か……」


 荒い息で、どう見てもダメージを負いながら、だが狂喜を孕んだ声で唸る。

 


 呪術師のことなどどうでもいい。

 アヴィを助け起こすと、その体が濡れていることに驚かされた。

 彼女の全身の穴から汗が噴き出したように。


「だ、大丈夫ですか? アヴィ?」

「う……は、ぅ……ルゥナ……?」


 弱々しく答えるアヴィを抱えて、呪術師から離れた。

 ルゥナとて常人の数倍の筋力がある。アヴィの体くらいなら抱えて走ることに問題はない。


 呪術師は、追ってこなかった。

 あちらもかなりのダメージのようだったから、追えないのかもしれない。



「アヴィ、大丈夫です。私がいますから」

「ん……うん、うん……ルゥナ……ルゥナぁ」


 まだ震える手で、弱々しくだがルゥナの首にしがみつく。

 混乱している。

 自分の身に何が起こったのかわからず、その心の弱いところが剥き出しに晒されていた。



「ミアデ! セサーカ!」

「はい!」


 アヴィを連れて、建物の北側にいた二人を呼ぶ。


「呪枷は?」

「全員取れました。けど、一人……」


 と見るのは、最初から呪枷をつけていなかった銀髪の少女。


 動いていない。

 立ちすくんだ場所で、肥満男の死体の前で動かない。



「トワちゃん! 聞いて、トワちゃん!」

「目を覚まして、トワ!」


 少女を庇った二人が呼びかけるが、その声が届かないのか。


(……なまじ呪枷がなかったから)


 奴隷から解放されたというきっかけがない。

 意識が、変わらない。

 ただ混乱に飲み込まれているだけで。



「ここを離れます。すぐに」

「でもあの子が……」

「……」


 アヴィがこの状態では、これ以上ここにいるのはまずい。

 あの呪術師を殺したいが、ルゥナではまた返り討ちに遭うかもしれない。

 アヴィでさえ、勝てなかったのだから。



「……アヴィ、ごめんなさい」


 無理やりに口づけをする。


「ん、む……」


 彼女の体温が低い。体も震えている。

 だが今は時間がない。他に頼れる相手もいない。



「……ミアデ、セサーカ」

「はい?」


 とても、気が進まないのだけれど。


(……私の気持ちは、別です)


 気が進まないからやらないなどという甘えは、ルゥナには許されない。

 全てはアヴィの為に。彼女の安全が最優先だ。


「アヴィを……お願いします」


 引き渡すのは、とても嫌なのだけれど。

 本当はずっとルゥナが抱えて、独り占めにしておきたいのに。


「ルゥナ?」

「……わかりました」


 ミアデがアヴィのに肩を貸して、反対をセサーカが支える。

 ルゥナから離れる彼女の体を取り返したくなるが。



 ミアデらにアヴィを預けて、取り残されている少女たちの所に急ぐ。


 銀髪の少女――トワと呼ばれていた。


 彼女の目には何が映っているのか。

 その姿勢は、上を見上げたまま。

 先ほどルゥナが斬ろうとした時に見上げた姿勢のまま、凍り付いたように動かない。


 空は……曇り空が広がってきていた。

 夕刻に襲撃したが、既に空は暗くなっている。



「トワちゃん……お願い」

「すぐにここから逃げます。貴女達も川沿いに北へ」


 涙ながらに少女に声を掛けている二人に言うが、彼女らは首を振る。


「けど、トワが……」


 友の心が戻ってこないと嘆く。

 ルゥナはその灰色の瞳の前に立った。


 揺れている。

 僅かにだが、ルゥナを映すその瞳が揺れた。



「しっかりなさい」

「……」


 声を掛けるが、答えはない。

 彼女の雪のように白い首に手を掛けて、そっと顎を持ち上げた。


「トワ、貴女はもう奴隷ではありません」

「……ぁ」


 その頬を、両手で包む。


「生きなさい」


 命ずるように言って、その唇に触れた。

 ルゥナの唇が感じるトワの唇は、固く結ばれて、冷たい。


「……」


 少女の瞳が揺れる。

 ルゥナの瞳を映して、波打つように。


「……ん」


 冷たい唇に熱が伝わる。

 暖かさを取り戻して、少しずつ緩む。


「む、う……ふぁ……」


 トワの体内にまで、温もりを届けた。


「……」



 二人の少女は、ルゥナとトワの様子を息を飲んで見守っていた。

 ルゥナの唇が離れると、少し開いたトワの口から音が漏れる。


「あ……」


 名残惜しそうに、少し手を伸ばしかけて。

 そんなトワにルゥナは首を振った。


「貴女の友が心配しています。しっかりなさい」

「は……はい……あ、ああ……」



 意識を取り戻し、首を動かして横にいる二人の少女を見つめる。


「ユウラ、ニーレ……」

「トワちゃん!」

「トワ!」


 抱き合う姿は美しいが、浸る余裕はない。

 あの呪術師が戦意を取り戻して復帰してくるかもしれないし、まだ増援があるかもしれない。

 すぐにここを離れなければ。


「川沿いに北に向かいます! すぐに!」


 勝利とは呼べなかった。

 だが、当初の目的は果たした。

 これ以上はアヴィを危険に晒すだけになる。すぐに逃げてアヴィの容態をみなければならない。



「全員、続きなさい!」


 助け出した清廊族を率いるルゥナの号令は、清廊族の伝説に謡われる氷乙女ひのおとめのようだったと、見ていた者は言うのだった。



  ※   ※   ※ 

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