第一幕 28話 牧場襲撃



「獣でも近づいてきましたかな」


 ゼッテスが慌てなかったのは、ずっと襲撃を受けたことがないからという理由が第一だ。

 盗人や荒くれものが多少は何かトラブルを起こすことはあっても、そうそう滅多な事態が起きたことがない。

 幼い頃から、父から家を継いでからもずっと。


 気まぐれのように客人を連れて訪れた時に、ちょうど襲撃があるなどという巡り合わせは、偶然というより悪意があるとしか思えない。


 計画的な何かでなければ、突発的な事態。

 迷い込んだ冒険者や、野生の生き物と考えるのが妥当だった。


 冒険者が牧場を襲うことは考えにくい。

 一つは、それなりに実力を備えた冒険者でなければ、警備の人間や魔物に撃退されてしまう。


 それなりの実力の冒険者であれば、わかっている。

 仮に牧場の襲撃が成功したとしても、その先の未来がない。

 牧場主は大抵、地域を治める支配階級と付き合いがあり、そこら中に手配書が回るだろう。


 せっかく高額な商品を手にしても、移動にも手間取るし、売りさばくこともままならない。

 いずれ捕まり、処刑される前に存分に拷問でもされるだろう。

 治癒の魔法なども使って、何度も、何度も。


 牧場を襲う者などいない。

 としても、客人のいる時にただならぬ様子の声が響けば動揺もするが、だからこそ慌てたりはしない。



「すぐに収まるでしょうが……」

「いや」

「違う、ぞ」


 ゼッテスの楽観的な発言を否定したのは、二人だった。

 キフータスとガヌーザがほぼ同時に、否定の言葉を。


(この呪術師、確かに……)


 自称などではなく本当に天才の部類なのだと認めた。

 本質が見えている。


「これはどうやら襲撃です。ゼッテス殿」

「ひ、ひゃ」

「なんと……」


 ゼッテスの額に汗が滲んだ。

 もともと脂肪分の高い肉質なので、最初からだったのかもしれないが。


 キフータスは、ルラバダール王国の英雄と呼ばれるラドバーグ侯爵家に仕えている。

 傍流になるが、その血族でもあった。


 ただの小間使いではなく、主家の為に戦うことを義務付けられる立場。

 五十を数えるようになって、体力的な衰えは隠せないが、培ってきた技術はその身に沁みついている。


「敵です」


 青くなるゼッテスと、なぜか楽しそうに体を震わせているガヌーザ。

 こんなタイミングで牧場の襲撃とは。

 キフータスに見せる為に、商品を全て屋内に入れていたことが良かったのかもしれないが、それにしても間が悪い。


「なんという……こんな時に、まさか」

「運の悪い、ことよな」


 ガヌーザが主人の言葉を続けたようにも聞こえるが、逆だ。


「我がいる日に、襲うとは」

「まさに、ガヌーザ殿の仰る通りです」


 カナンラダに来ると若返った気分になるのは、どうやら気のせいではないらしい。

 衰えたと思っていた体に熱が灯り、感情が戦いの荒々しさに向いていく。


「ラドバーグ侯爵にちょうど良い土産話になりましょう。槍働きをさせていただいてもよろしいですか?」


 判断を委ねられたゼッテスの顔に浮かんだ迷いは、外から聞こえてきた魔物の断末魔に消された。

 汗の浮いた頭が、肉の付いた首の上で縦に揺すられる。


「お、お願いいたしますぞ。キフータス様」


 魔物の群れを相手に仕掛けてくる敵の存在を、今更ながらに理解したゼッテスに断る選択肢はなかった。



  ※   ※   ※  



 扉に手をかけた所で、扉ごと蹴り飛ばされた。

 刺されたのではなくて良かったと思う。


 おそらく相手もちょうど駆けてきたタイミングだったのだろう。気配を感じて、その勢いのまま蹴り飛ばした。



「ぐ、う……」


 転がるミアデだがその無事を確信してか、セサーカの判断は正しかった。


「真白き清廊より、来たれ冬の風鳴」


 開け放たれた扉に向けての氷雪魔法。

 ルゥナやアヴィの魔法ほど広範囲ではないが、この状況ならそれでいい。



「女神が見ぬものはそれ全て寂虚の彼方に」


 氷雪が、掻き消された。

 強烈な勢いで吹き付けたはずの吹雪が、ドアの入り口あたりで嘘のように消えてしまう。


「な、んで」

「下がりなさい! 二人とも!」


 それでも一呼吸の時間は稼げた。

 転がったミアデが立ち直り、戸惑うセサーカと共に逃げ戻ってくる。



「魔法使いです。今の貴女達では無理です」


 打消しの魔法などルゥナも知らないが、そうでなければ説明がつかない。

 外にいたのとは別の、本当の戦力。

 出てきた二人を確認して、ここまでの敵とは違うのだと気を引き締め直した。


 ミアデとて常人より強い筋力を有しているのに、それを容易く蹴り飛ばすとは、格の違う相手だ。

 初老の、気品を感じさせる佇まいの男と、まるで正反対な邪悪さと醜悪さを煮詰めたような暗い灰色の外套の男。


「まだいるかもしれません。不用意には……」

「うん」


 アヴィを制して、相手の出方を見る。

 騒ぎは中にも伝わっているのだから、敵の戦力があれば出てくるだろうが。



「何と、影陋族が……」


 初老の男が、ルゥナたちを見て驚きの声を上げた。


「ひ、ひゃ……おも、面白い、ぞ」


 声というか、枯れ枝をこすり合わせるような音が発せられる。

 魔法使いはこちらで間違いないだろう。先ほどの詠唱の声もそうだが、見た目もドアを蹴り飛ばすような雰囲気には見えない。


「私が魔法使いを」

「わかった」


 役割を決めた所で、さらに出てくる者がいる。


「影陋族の小娘ども……が?」


 初老の男と不気味な魔法使いに続いて、さらに四名。


「あれは……違いますね」


 ひどく太った男と、その前に立つ三名の少女。どれも戦えるようなタイプには見えない。

 二名は清廊族だ。白い首輪を架せられ、主の盾となるように立たせられている。



 もうひとつ、首輪をつけていない少女もいるが……


(銀灰色の髪に灰色の瞳。呪枷もない)


 明らかに清廊族ではない。


(清廊族ではないとなれば、娘でしょうか。それを盾にするなど)


 戦士には見えない肥満男が、年若い少女を盾にしている。

 見た目以上に醜悪な生き物だ。

 清廊族を道具にするだけではなく、同族であるはずの人間さえ。



「二人はあの清廊族を。人間は殺して構いません」

「はいっ」

「させるわけにはいきませんが……本当に影陋族からの襲撃ですか」


 ルゥナの言葉を聞いていた初老の男が、自分の目を疑った光景に納得をする。

 力なく虐げられているはずの清廊族が襲撃をしてきた、と。


 彼らの常識では思いもよらなかったのだろう。

 この牧場を何十年この男が守ってきたのか知らないが、今までになかったことのはず。


「問答は、無用です!」


 横に滑るように動き出した魔法使いに対して、追ってルゥナが駆け出す。

 魔法使い相手に距離を空けたくない。

 飛び込み、刃を振るった。



「ひ、間違って、おる、ぞ」


 ルゥナの剣をぬるりと避けて、枯れ枝のような腕から杖が振り払われる。

 捻じれ曲がった枯れ木のような杖なのに、その先端の太くなった部分には赤黒く脈打つような何かが埋め込まれていた。


(宝石ではなくて、生き物のような……)


 ぬめるような質感と、杖が振られるとひしゃげるそれは、液体状のようだった。


「……」


 戯言に付き合うつもりはない。さっさと片付けて他に向かわねばならない。


「魔法使い……では、ない」

 

 剣士だとでも言うつもりなのか。

 ルゥナの剣戟を避けるのは確かに中々の体術だと思うが、その動きは決して肉弾戦闘を得意としている様子ではなかった。

 杖の振り払いも、ただ距離を空けるための。


「っ!」


 距離を詰めようとしたルゥナの足元に、茨が絡みつくような痛みが走った。


「ひ、ひゃ」

「くぅっ……」


 慌てて下がったルゥナに、気持ちの悪い嗤い声を上げる男。

 足を確認するが、傷はなかった。

 ただ、何かに掴まれたような跡が残っているだけで。


「呪術師、という……我、ガヌーザ、なり」

「……ふざけたことを」


 杖を振り払った際に、何らかの呪術を残しておいたということか。

 魔法使いとは違うという言葉は嘘ではなかった。


 呪術師ガヌーザ。


「名など聞いてはいませんが」

「ひゃ、ひゃ……」


 痛みを振り切り仕切りなおそうとするルゥナに、ガヌーザが気持ちの悪い嗤い声の音量を上げた。

 実に愉快そうに。


「今日から、ぬし、の、主となる。知れ……」


 実に、不愉快だ。


「ぬしの……毛穴の数まで、数えてやろ、う……ひゃ、ひゃ」

「楽に死ねると思わないことです」


 およそアヴィに関わること以外でなら、ルゥナの神経をここまで逆撫でする者もいないだろう。

 その声も、見た目も、発言もだが。



「呪術師、と言いましたね」


 切っ先を真っ直ぐに、存在自体が澱むガヌーザに向ける。

 真っ直ぐに。


「それこそが、清廊族にとって、最も忌まわしい邪悪です」

「ひ、ひゃっひゃっ」


 仇敵と相対したルゥナの目は、憎しみに染まっていた。



  ※   ※   ※ 




 アヴィは、疑っていなかった。

 一撃で、初老の男など輪切りに出来るだろうことを。


 わずか一足の踏み込みで距離を詰めて上段から振り下ろすだけの剣。

 甘く見ていたといえば、そうだっただろう。

 アヴィの剣技は、本来ならもっと冴えている。


 自分より明らかに弱い相手ばかりになっていて、それが当たり前になっていた。

 だから、防がれたことに気付くのが遅れるほど驚いたのだ。



 反対に受けた男、キフータスの方も驚愕していた。

 誰が影陋族を力のない種族だと言ったのか、常識が根底から覆される。


(当主に匹敵する……っ!)


 強者の極みを知っていたから、何とか防げたに過ぎない。

 英雄と呼ばれるキフータスの主家は、今もなおその力を伝えていた。

 そんな当主との模擬戦を思い出させるほどの剣撃が、影陋族から繰り出されるとは思いもしなかった。


 最初に交わした一合は、お互いを警戒させ距離を取らせるのに十分な判断材料になっていた。



  ※   ※   ※ 

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