第一幕 26話 牧場。飼われるものども2



 アヴィと同時に、手近にいた魔物の喉を切り裂く。


 ルゥナの剣はグワンの喉笛を、アヴィはその頭ごと切り落としていた。

 直後に、建物の見張りをしていたたった一人の警備兵に向けて石を投擲する。


「なっうぼぁっ!?」


 石の大きさ自体は握り拳程度だが、常人の数倍の力を持つルゥナの投擲だ。その威力は岩を穿つほど。

 動いたことで顔面への狙いが逸れたが、顔を上げた為に喉に突き刺さり、その命を奪う。



「っ!」


 次を、と思った時には既にアヴィは次のグワンに剣を突き立てていた。

 喉から延髄へと突き抜ける剣。

 先だって冒険者から奪った剣は、それまで使っていた物よりは上等だった。


 グワンの体重は軽くはない。

 アヴィに躍りかかったそれを貫いた剣に、死体の重みがかかる。

 その横から、別のグワンが襲い掛かるのを視界の端に捕えながら、ルゥナは自分に襲ってくるグワンに切っ先を向けた。



『GURUAAAAAAA!』


 切っ先を向けられて止まったグワンが、体全体を振動させるような咆哮をルゥナに浴びせた。


「く、ぅ」


 音は避けられない。

 体が竦むことはないが、目や耳のような感覚器官にはその振動が直接伝わる。


 思わず目を閉じかけて、堪えた。

 目の前に迫るグワンの爪を、その前足に剣閃を走らせて切り払った。


『GYUOOO!』


 痛みと怒りの唸り声と共に飛びずさるグワン。

 浅い。

 体毛が硬く、刃がうまく入らなかった。


『KYAUNNっ!』


 甲高い声にちらりと目を向ければ、アヴィに襲い掛かろうとしたグワンが、剣に突き刺さっていた仲間の死体を叩きつけられて吹き飛ばされているところだった。


 アヴィの力は強い。グワン程度十匹単位でも持ち上げて投げてしまえるだろう。

 ルゥナにそこまでの力はないが。


「……」


 視線を逸らしたのは一瞬だけだ。

 アヴィの心配はいらない。動いている気配と唸り声から、別の一匹を切り裂いたことを察する。


 最初に見えていた六匹の半数は始末して、二匹は手負い。

 もう一匹は、ルゥナと対峙する手負いの一匹と別角度から襲い掛かる間合いを探っていた。



 こちらの方が弱い獲物だと思われたのか。事実だが。

 そうしている間に、建物の死角側から駆けてきたグワンがアヴィの方に向かう。


「っ!」


 迷っている暇はない。

 ルゥナは手負いになった一匹に踏み込み、剣を振るった。


 後ろに飛ぶグワンに、剣先が掠める。

 まだ浅い。

 そのルゥナの横から、万全の状態のグワンが襲い掛かってきた。


「このっ」


 振り抜いた剣をそのままの勢いで一回転して、横から飛びかかってきたグワンに突き刺す。

 脇腹辺りから背中に突き抜ける刃の感触。


「っくぅ」


 だがその重量と勢いに負けて、そのまま地面に倒された。

 圧し掛かってくる命を失ったグワンと、倒れたルゥナに襲い掛かる手負いのグワン。


「うぁっ」


 咄嗟に剣を手放して、横に転がった。

 頬に痛みが走る。

 死体の爪が引っ掛かったか。気にしている場合ではない。


 無様に地面を転がりながら、襲ってくる爪を裂ける。

 泥に塗れながら立ち上がったルゥナだが、武器を手放してしまった。

 投石用の石も、最初の一個しか持っていない。


「ルゥナ様!」


 かけられた声にグワンの目がそちらを向く。


「ミアデ! やめ――」

「うりゃあああぁっ!」


 ルゥナの静止よりも早く、ミアデがグワンに向けて体当たりをした。

 短剣を握り込み、グワンの顔を狙って。


『GURAAAAっ!』


 ミアデの突撃を跳ねのけるように、グワンが肩から体当たりを返した。


「きゃあぁつ!」


 短剣はグワンの背中に、衝突したミアデは跳ね返された、重量も違えば、相手は四足で踏み込むのだから。


 そのミアデに止めをと迫るグワン。

 倒れたミアデにそれを避けることは出来ない。


「天嶮より下れ、零銀なる垂氷たるひ


 約束通りだ。二者一組で。

 放たれた鋭い氷柱が、大きさは中指よりも少し長い程度だったが、グワンの目に突き刺さった。


『GA,A,U……』


 氷柱が目から脳髄まで達したのか、息絶える魔物。



 セサーカの手を借りて立ち上がるミアデと、それよりもと巡らせるルゥナの視界に、アヴィが襲ってきた最後の一匹を仕留める姿が映った。


 動いている魔物の姿は見えない。

 人間も、今のところではまだ。


「大丈夫ですか、ルゥナ様」

「私のことはいいです。それより……」


 駆け寄ってきたミアデを責めようとして、言葉を止めた。


「……助かりました」


 死んだら、アヴィと共に歩めない。

 そう思えば、これは感謝に値する。

 牧場の襲撃の成果よりも、ルゥナとて死ぬわけにはいかないのだ。今はまだ。



「はいっ!」


 と、唐突に。

 礼を言われて喜んだのか、ミアデが抱き着いてきた。


「な……」


 ちゅっと、頬に唇を。


「よかった、ルゥナ様」

「な……」


 もう一度、言葉を失う。

 今のは叱責してもいいタイミングだったが、言葉が出てこなかった。


「……ふふっ」


 少し呆けた隙に、セサーカもルゥナの頬に触れていく。唇で。



「な、何をやっているんですか。貴女達の役目は……」

「はいっ! 仲間を助けてきます!」


 駆けだすミアデと、少し含みのある笑顔を見せてからそれを追うセサーカ。

 思わずそれを見送ってしまってから、まだ危険が残っているのだと我に返ってルゥナも追う。


(私に触れていいのはアヴィだけなのに)


 ああでも、あの唇にはアヴィの唇も触れていて、そう思えば間接的にアヴィの唇だと言えなくもないけれど。


(そういうことではなくて、です)


 時間とすれば、わずかだったろう。

 襲撃開始から魔物を殲滅するまで。


 屋敷の中にいる者が、魔物の咆哮を聞いてから外に飛び出してくるのならこれからだ。

 警備兵なのか、さらなる魔物か、あるいは清廊族の誰かか。


 可能性を考えながら走るルゥナに、後ろから声がかかった。

 静かだが、はっきりとした声で。


「あとで、おしおき」

「う……」


 何を怒られているのか、やはり今の唇のことだろうか。たぶん。

 それは私のせいじゃないと言いたかったのだけれど。


(……いい、ですよ)


 すっかり貴女色に染まった私をさらに染めてくれるのなら、それはとても甘い時間になるので。


 状況も弁えずに緩んだルゥナの心を冷ましたのは、手をかけたドアから弾き飛ばされるミアデの姿だった。



  ※   ※   ※ 

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