第一幕 25話 牧場。飼われるものども1
夕刻を選んだのは理由がある。
夜目の利く清廊族であれば、夜襲の方が適している場合もあるが、今回は事情が違った。
獣型の魔物が配備されている牧場。
黒い首輪をつけたそれらがいるのでは、夜襲に利がない。
ここの主が人間をあまり信用していないのか、人間の警備兵よりも魔物の数が多い。
そうとなれば、夜襲を選ぶ必要はない。
次に考えるのは逃走のことだ。
全ての人間を抹殺できればいいが、逃げられる者もいるだろう。
夜であれば、人間の足は遅くなる。
他の町に応援を呼ぶにしても、追ってくるにしても、夜の間に距離を稼げたらその方がいい。
自分たちだけでなく、他の同族も増えることになるのだから。
だから襲撃は夕刻にした。
多少は強くなったとはいえ、ミアデとセサーカでは単独で魔物に立ち向かうのに不安がある。
基本的にはアヴィとルゥナが魔物の相手を、ミアデとセサーカには囚われている清廊族の解放と人間の始末の役割とした。
「あれはグワンですね」
ルゥナが遠目に魔物を見て確認する。
四つ足で人間の臍くらいの頭の高さの獣。
犬よりも大きく、尾が二つに割れている。
見た目の通り牙と爪が主な攻撃手段で、あまり多くの群れを作る生態ではない。
「いいですか、貴女達は一緒にです。単独行動にならないように。難しいと判断したら逃げて、私かアヴィを呼びなさい」
「はい」
「わかりました」
頷く彼女らを置いて、再度建物の方を確認した。
グワンは土のような毛色を地面に伏せたまま。とりあえず見えた範囲で六匹いる。
反対側などを考えれば倍の数はいるだろう。
人間は、入り口らしいところに一人だけ寄りかかっていた。
魔物の感覚として、こちらの存在は察知されているだろう。
だが、おそらく命令で、ある程度の距離まで近づかなければ反応しない。
近くに生き物が行き来するたびに吠えかかるようでは誰も気が休まらないだろう。
あくまで施設内への侵入を防ぐ為の武力だ。
「アヴィ、あれを助けることは出来ません」
念の為にと言われたアヴィが、少し不服そうに無言で頷いた。
「首輪を切っても、今度は命令とは無関係に暴れるだけですから」
「わかってるわ」
何度も言わなくてもいいと、口を尖らせた。
しつこかったかもしれないが、心配なので。
「じゃあ、行きます」
ルゥナとアヴィが駆け出すのを、ミアデとセサーカは見送る。
まずは敵を引き付ける。ルゥナ達が敵の目を引くのと同時に、ミアデとセサーカは状況を確認。
もし施設からどこかに走り去ろうとする人間を見つけたら、先にそれを始末する。
アヴィとルゥナだけの時は回らなかった部分を補うことは、ルゥナのストレスを少しだけ軽くしていた。
※ ※ ※
「こんな所までご足労いただいた甲斐はありましたかな」
レカンの町からは徒歩で一日半ほど北にいった森の中にゼッテスの所有する牧場はあった。
川沿いの街道から外れて入っていった場所。
街道沿いにあると、不届きな輩だけでなく普通の旅人が迷い込むかもしれない。
魔物も置いているし、扱っているものも特殊だ。
他にも理由はあったのかもしれないが、ゼッテスが先祖から受け継いだいくつかの牧場は大抵がこういう立地に位置していた。
夕刻前に到着して、ゼッテスとキフータスは施設を一通り見て回った。
少し早いが、移動による疲れもあるだろうと早めの食事にしているところだ。
夜は、どうせなら長い方がいい。
「この牧場だけで二十体ほど、ですか?」
キフータスが、今日見た牧場を思い返して訊ねる。
「ここは最高級の種類を扱っていて数が少ないので、今は十七体ですな。商品となるのは九体で、あとは繁殖用ですが」
三つ多く思ったのは、元の屋敷から連れてきた分だと、キフータスは食事中の自分たちの後ろで待機するそれらを思い出した。
繁殖に時間のかかるということとは逆に、これの良い点は手間がかなり省けるところだ。
何しろ、世話係がいらない。
呪枷を施していない者が逃げ出さないように、不埒ものに盗まれれぬように警備さえしておけば、勝手に生活をする。
普通の生活の為に必要な最低限のことも、ついでに施設の掃除や補修なども。
繁殖用の個体には、時期を見て種付けをさせるだけで、生まれた子供については自分たちで世話をするのだから。
菜園などもあり、そこで食料の自給自足もある程度は出来ていて、魔物の餌代の方が高いくらいだ。
野菜以外の食料については、くず肉と安い穀物とを混ぜながら刻み、捏ねたような食事を用意する程度。
生育には二十年から三十年以上。
一体売れるだけでまともな人間が一生かけても稼げない金額になるのだから、採算とすれば十分すぎた。高級品に関しては、その倍以上にもなる。
「自生する金塊、などと呼ぶものもあるとか」
勝手に増えていく金の塊だと。ゼッテスのような成功者を妬む者も多いだろう。
「管理するのも大変でしょう」
「まさに御慧眼。高額な商品ゆえに警備に使える人間も限られます。このガヌーザ殿のおかげでグワンを使うようなってからは心配事も減りましたぞ」
気を遣ったキフータスの言葉に笑いを返して、同席している暗い灰色の貫頭衣の男を視線で示すと、男の頭が小さく上下した。
呪術師ガヌーザ。
年齢は不詳。おそらく四十代にならないかというところだが、不健康そうな灰色の肌に骨格が目立つ肉付き。
肉を感じさせない頬と、そのせいか妙に目立つ澱んだ眼が、気味の悪い印象を際立たせている。
「呪術師、と……お若いのに、修得されていらっしゃるとは」
通常、呪術師の称号を名乗るのは、呪術関連の多くを修めた熟練者に限られる。
呪術見習いから始まり、呪い士として独り立ちして、呪術師となる。
ガヌーザの年代で呪術師と呼ばれるのは異例のことに思えた。
「ガヌーザ殿はロッザロンドの天才でしてな。知り合えたのは幸運でした」
「ほう、ロッザロンド出身でしたか」
天才と呼ばれる呪術師であれば、わざわざ海を渡らなくとも生活に困ることはなかっただろうに。
キフータスの疑問にガヌーザは喉の奥を鳴らした。
「ひ、ひ……人間の嫉妬というのは、何より、恐ろしい」
空気が漏れるような声で。
「もう学ぶことがないと、師は我を疎まれたゆえ……」
「……才があるというのも難しいものですね」
事情を察したキフータスが頷くと、ガヌーザはそれ以上は言わずに杯を口にした。
口調が奇妙なのは、だいたい呪術師関係の人間はこんなものだ。
何でも神と対話するとかで、人間相手には妙な喋り言葉に聞こえる。
王に対してもこんな調子なのだが罰されることもない。
特殊な職種だった。
「それ、に……」
不意に、ガヌーザが言葉を続けた。
意外に思ったのはゼッテスも同じだったようで、杯を持った手が止まったままガヌーザの方を見ている。
注目を集めたことに何も思わないのか、ガヌーザは再度酒を口にしてから。
「女神から賜った、影陋族……ここでなければ、味わえぬゆえに」
ロッザロンドにいる影陋族の数は少ない。当たり前だが。
ほとんどが貴族や富豪の囲われ者で、一般の誰かがそれに触れることはほぼないだろう。
このカナンラダであれば、上位の冒険者でも連れ歩くことがあるが、ロッザロンドでそんなことは有り得ない。
「女神の遺した恩寵……享受するのも、神への感謝よ」
きひっと、最後に笑い声をあげてから、杯を空にした。
「なるほど、女神レセナへの感謝ですか」
呪術師としての信仰心なのか、ガヌーザの欲望なのか。
おそらく師との対立でロッザロンド大陸を追われたのだろうが、こちらの生活も気に入っているのだろう。
「はは、まさにまさに。女神の恩寵これにありですぞ」
機嫌よさげにゼッテスが笑い、やはり杯を空にした。
おそらくガヌーザに影陋族の誰かをあてがうことも含めて雇っているのだろう。
雇い主として、金銭以外の部分での従業員への慰労を兼ねて。
呪術師が何に金を使うのかと言えば、その呪術の道具が大半だと聞く。
非常に忌まわしく、手に入りにくい材料。あるいはそれらを扱う為の道具を設えるのに金がかかると。一般に出回っているものではないのだから当然高価になる。
呪術を存分に使う為の金と、金銭以外の報酬。
技術のある者をうまく使うのも商売人の手腕か。
(福利厚生とか、そんな言葉がロッザロンドで言われていたな。労働者を健康に保つことで生産力が上がるとか)
ただ気味の悪い呪術師というだけでなく、割と人間的な部分も見えて安心する。
別に彼らは禁欲を是としているわけではない。
「確かに、女神の恩寵により心穏やかに過ごせるのはありがたいことです」
キフータスもこうしてカナンラダに来れば、その恩寵に感謝する気持ちに共感できる。
ゼッテスのもてなしは、ロッザロンドでは体面的にも金銭的にも難しいことを超えているのだから。
外面を気にすることのない享楽。
屋敷の離れに泊まった日だけでなく、ここへの移動の途中でも。
年齢的に全盛期ではないキフータスだが、カナンラダに来ると若返ってしまうようだった。
女神の恩寵という言葉に苦笑を禁じ得ない。
「まさしく、ですな」
その恩恵を最も享受しているゼッテスが高らかな言葉と共に杯を掲げると、控えていた者がそこに酒を注いだ。
三人の杯が、掲げられた。
「女神レセナに感謝を」
「感謝を」
その後ろに控える者たちが、その言葉をどう聞いているのか。
三人の杯が鳴る高い音は、彼女らの心の波など掻き消すように響いて――
『GURUAAAAAAA!』
同時に、終焉を告げる鐘のごとき咆哮が牧場に響き渡るのだった。
※ ※ ※
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