第一幕 24話 戦いの前_3



 レカンの町。

 数万人が暮らす、この地域では大きめの都市。


 ここはルラバダール王国の影響下の町で、レカンの南にある港町もそうだった。

 川沿いに北から、黒涎山、レカン、港町ゴディ。


 それらよりも西に、ルラバダール王国がカナンラダに置く最大の都市があった。エトセンと言う。



 レカンの町には三千人の兵士がいるということは前述した。

 エトセンは、町の規模はレカンの三倍ほどだが、一般の兵士は同じほどしかいない。

 兵士とは別に、戦闘に特化した集団が別にあった。


 エトセン騎士団。

 カナンラダ大陸では最大の武力を誇る。戦闘を専業とする集団で、青と赤の二色に色分けされた二本柱の騎士団。


 その中には冒険者上がりの者もいるし、代々の家柄という者もいる。

 雑多な集まりの為、ロッザロンド大陸のルラバダール本国では、二等騎士団などと呼ばれることも。

 騎士とは言うより戦士団という方が実態に合っているが、とにかく呼び名はエトセン騎士団。


 重視されるのは強さ。

 家柄が良くとも、弱い者は所属できない。

 エトセン騎士団は、赤青合わせて千五百人から成る戦士たちの集まりだった。




「っとに、どうなってんだかなぁ」


 レカンの町でぼやく男。

 年齢は三十代前半で、その体躯は成人男性の平均と比べて大きい。極端にではないが。


「隊長が来るって聞いて逃げ出したんじゃないですか?」

「そんな可愛げのある奴だとは聞いてねえんだが」


 答えた若い青年にぼやきつつ、頭を掻く。



「噂の若い勇者様ってやつを見てやろうかと思ってきたんだが、何が起きてんだか」

「それに振り回される僕を労わって下さいよ」


 せっかくの休暇だったのにと口を尖らせる青年に、悪いな、と心にもない様子で口先だけで言って、遠くの空を見た。

 北方。黒涎山があったという方角を。



「俺は洞窟探索は嫌いだからわからんが、何十日も潜るもんなのかね」

「崩落したんだったら死んだんじゃないですか?」

「そういうので死ぬかぁ?」


 心から不思議そうに訊ねる上司に、青年は深く息を吐いた。

 何を言っているのだろうか、この上司は。

 洞窟探索が嫌いだと言っても、常識で考えてほしいと思うのだが。


 常識が通用しないのは知っているけれど、多くの人々は常識の範囲内で生きているので。



「普通はね、死ぬんですよ。知りませんでしたか?」

「お前、隊長を馬鹿にしてるだろ。ツァリセ」

「尊敬していますよ。ビムベルク隊長の非常識さは大陸一ですから」


 このやろ、と小突かれそうになったところを避ける。

 何しろ、大陸一の拳だ。軽い調子でどんな力が込められているかわからない。


 レカンの町の入り口に、血塗れの脳漿をぶちまけてしまうわけにもいかないだろう。その脳漿はツァリセの命と同義だ。



「避けんな、バカ」

「やですよ。そうやってこないだ新人を気絶させたじゃないですか」

「お前は新人じゃねえ」

「余計に嫌です。それよりも……どうします?」


 目的の相手がいない腹いせにじゃれ合おうとするビムベルクの意識を、再度北方に向けさせた。

 気にしていたのは黒涎山や若い勇者のことばかりではなかろう。



「どうするっても、なぁ。休暇で来てるんだが」


 面倒くさそうに見やってから、すぐに気分が変わったのか、にやりと口元を歪めた。


「面白そうじゃねえか」

「……いいえ」


 上司と意見が合わない。いつものことだが。

 ツァリセは常識があるから副官をしている。エトセンで隊長の不在を預かっている副隊長も、常識のある人だ。

 非常識な上官であり、エトセン騎士団赤の一番隊長ビムベルクを支える者として。



「っていうか、休暇なら僕は行きませんよ。拒否します」

「ルラバダール王国所属領で異変があったら、どういう状況でも対応するのが騎士の役割だろうが」

「こんな時ばっかり規則を持ち出さないで下さいよ!」

「バカ野郎。俺が隊長なんだから俺の言うことがルールなんだよ」


 転職したいと思わないでもないツァリセだった。騎士団入団を喜んでくれた祖母には申し訳ないが。


 一人の戦士としては絶大な尊敬をしているし、人間的にも裏表のない性格で嫌いではない。

 上司としては、横暴で気まぐれで突拍子もないという、およそ最悪な部類ではあるにしても。



「それによ、放っておけねえじゃねえか。なあ」


 語尾を上げて声を掛けた。

 その対象はツァリセではない。

 その後ろで黙って控える――


「は、はいっ。閣下」


 灰色がかった黒髪に、茜色の瞳をした少女だった。



(少女……と言っても僕の倍くらい生きてるはずですけど)


 寿命が違う。

 だが見た目は人間と変わりはない。

 こうして普通の服装でいれば、気づかない人も多いだろう。

 首輪もなく、まるで人間のような服を着て付き従っているのであれば。


が関わっているってんなら、放っておけねえだろ。スーリリャ」

「はいっ」


 元気な返事をする。


 影陋族の娘がこんなに元気に返事をすることはない。

 少なくとも、ツァリセは知らない。



「よぉし、どういう事情かわからんが、俺が隊長としてしっかり調査してやろう」

「行ってらっしゃいませ」

「お前も行くんだよ、ツァリセ」


 渋い顔のツァリセに、スーリリャと呼ばれる影陋族がくすくすと笑う。


(笑う、か)


 それだって他で見ることはない。彼女の同族は陰鬱な表情ばかりなのが普通。

 笑顔のまま、腰に下げていた木板の間に挟んだ紙に何事かを書き込んでいた。



 記録係。

 休暇の最中でも、隊長の言葉を記録しながら追従している。

 奴隷でありながら、奴隷として扱われていない。


(本当に、非常識な人なんだよな)


 別にツァリセは虐待趣味があるわけではないので、どんな生き物に対しても加虐的な行いに喜びを抱くことはない。

 世の中的に、ビムベルクのやっていることは非常識ではあるが、このスーリリャの扱いについては別に不満には思わない。



「どこでもついていきます。閣下」


 書き終わったのか、そう言ってビムベルクに笑いかけるスーリリャの頭が撫でられる。

 恥ずかしそうに、だが逆らわずに頭を撫でられる姿は嬉しそうで。


 隊長の言葉を書き記し、いつか影陋族――彼女らの言う清廊族と人間との関係を変える日が来るのだと、スーリリャはそう言うのだが。


(甘い考えだ)


 ビムベルクとスーリリャの個人的な関係で、世界全体が変化するなど有り得ない。

 おそらくこの先もずっと、人間と影陋族の関係は変わらない。変えられない。


(……甘いとは思うけど、嫌いになれないんだよね)


 迷惑な上司の非常識な行動にいつも困らされるツァリセだが、ビムベルクのことを嫌いだと思ったことはなかった。

 気持ちのいい男で、頼れる上司。そして――


「英雄ビムベルクの戦いに、供の一人もいないんじゃ恰好がつかないでしょう」


 人類の、英雄。

 この大陸で現存する三名のうちの一人。

 そんな英雄の副官であることは、ツァリセにとっては誇りと言えなくもない。



「よぉし、じゃあ出発だ」

「駄目です。待ってください」


 意気揚々と出立の掛け声を上げた英雄にダメ出しをするのが仕事だが。


 あぁ、と胡乱な目を向けるビムベルクと、目をきょろきょろさせているスーリリャ。

 何も考えていない二人に溜息交じりに言った。


「闇雲に行ってもわかりませんから。ちゃんと襲撃のあった場所を調べて、相手の行動の予測を立ててからです」

「はぁ、そうですかぁ」


 頷くスーリリャと、子供のように口を尖らせるビムベルク。


「そういうのはお前の仕事だ。さっさと調べろ」

「はいはい」


 別に頭を撫でてほしいとは思わないが、少しは労ってほしいと思うこともあった。



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