第一幕 21話 道を選ぶ_3
じゅろろろ、と音を立てる。
土に染み込むそれは、暗がりでも見えているのだろうか。
客に会わされた後は、いつもより妙な扱いを受けることが多かった。
普通の、ただの虐待ではなく、かなり偏執的な扱いを。
「ふは、ふはははっ」
脂肪の隙間から、汚らしい息が漏れた。
ほとんど同時に口の中に広がる苦み。
それから排出されるものも、その存在も、全てがこれほど汚いとなるといっそ統一感すら感じさせる。
汚い生き物で、汚い心で、汚い言葉を吐く。
女神とやらはこんなものを好んだのかと考えると、その女神というのもかなり変態的な性的嗜好があったのではないだろうか。
汚されると興奮する、だとか。
「情けないのぉ、トワ」
同意だ。
どれほど嫌悪しても、私はこれに従うしか出来ない。
他の方法を知らない。
「そのように汚れながら
膝を突いた私の両側には、同族の少女たちが涙を浮かべて立っている。
「……」
白い首輪をつけられ、下腹をどうにか隠す程度のチュニックを着て。
私の頬には、まだ生暖かい、生臭い臭いのする液体が滴っていた。
濡れた両肩の服は、先ほどまでは熱を感じていたが、今はもう冷えを感じ始めていた。
私の頬を汚させるために用意された奴隷の少女たち。
同じ牧場で育った彼女らに恨みはない。
呪枷を施された彼女らが、主人である肥満男に逆らえないことは知っている。
白い呪枷は、主人の命令を最優先に、他の人間にも抗えない。
黒い呪枷はそうではなく、主人の命令しか聞かないのだとか。いつだったかそんな話をしているのを聞いた。
「……ん、く」
苦い思いを飲み込み、見上げる。
私を汚すことを楽しむ男に、こんなことは何でもないというように無感情を作って。
作ってすらいないのかも。最近は痛みすらよくわからない気がしていた。
「お前は良い子だ。わしはわかっているぞ」
汚らわしい言葉を吐く。
「はい……」
客人の前に出されることは少ない。
たまにある。
私という生き物を他人に見せたいと思う衝動が、何か発作のように起きるらしい。
客人は、ほとんどは男だが、何度かは女の場合もあった。
どちらもが、私に向けてこの男と同じように、嗜虐的な視線を首筋あたりに向けてくるのだ。
触れたい、舐めたい、縊りたいというように。
その視線が、主人の心を高めるようだ。
私には迷惑でしかないけれど。
「明日は出かけるぞ。綺麗にしておくようにな」
自分の命令で私を汚したくせに、そんなことを言い残して去っていった。
「トワちゃん……ごめん、なさい」
「許して、トワ……私が洗うから……」
主人の背中が見えなくなってから、両側にいた少女たちが縋りつくように泣き崩れる。
「大丈夫です。ユウラ、ニーレ」
わかっているから。
この牧場で一緒に生まれ育った彼女らが、好き好んで私に排泄物をかけたわけではないことくらい。ユウラに至っては半分は同じ血なのだし。
主人の命令さえなければ、実際は気の優しい子たちなのだと知っていた。
ふと、物音のした方向に視線を送ると、木の影から蠢く何者かがあった。
今までそこにいたことを感じさせない希薄な存在感。
それでいて、気づけば目が離せないような気持ちの悪さ。
「……」
呪術師だと知っている。
今ほど去ったこの屋敷の主、ゼッテスに雇われている呪術師。
隷属の呪枷を施すにはこうした呪術に精通した者が必要だという。
数は少なく、雇っているのにもかなりの金銭が必要だという話を聞いているけれど、お金の話は私には関係がない。
ただ無性に気色の悪い男だと、そう思うだけで。
時折、主のいない所で、粘っこい視線をトワに向けることがあった。
枯れ枝のように痩せているが、年齢はゼッテスよりは若いはず。
「ひ、ひゃ」
今の様子を覗き見していたのだろう。
気味の悪い声を上げて、地面を摺るように去っていった。
「……」
「ごめ、ね……一緒に、井戸に行こう」
呪術師の様子に沈黙していた私に、ユウラがしゃくり上げるように言った。
怒っていると思わせたかもしれない。
「ええ、ユウラ」
断る必要もないし、どちらにしても彼女らも何かしなければ気持ちが収まらないだろう。
汚れた顔も口も体も洗いたいし、服も洗わなければならない。
どれだけ洗っても、あの男に汚濁された私の心のくすみが消えることはないだろうけれど。
(いっそのこと……)
言葉には出さない。
(私も、首輪をつけられていれば良かった)
命令だからという理由だけで、他は考えなくても済んだのに。
「……」
口には出せない。
それはきっと、共に育った姉妹のような少女たちを、深く傷つけてしまうだろうから。
月明かりの下で、外れにある井戸まで一緒に歩く。
月は綺麗だ。
恥ずかし気も遠慮もなく降り注ぐ太陽の光よりも、静かに申し訳程度に注ぐ月の光の方が好きだ。
冬の暖かな日差しは嫌いではないけれど、寒い夜の白々とした月明かりというのも格別に美しいと思う。
真白き清廊。
牧場にはトワの親の年代の者も多く囚われていた。彼らが細々と伝えてくれる、清廊族の御伽噺を想起させてくれる淡い月光。
「……月の世界に、行きたいね」
汚らわしい欲望も、荒々しい暴力もないような世界で生きられたら。
こんな悲しみも苦しみも、味わうこともないだろうに。
「静かに……生きたい、ね」
姉妹たちの瞳から溢れる涙は止まらなかった。
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