第一幕 20話 道を選ぶ_2



「北へ……山脈越えですか」


 洞穴に隠れていた清廊族の無事を確認して、次の行動指針を示すと、予想通りだが渋い顔になった。


「時期とすれば無理はないでしょう。道具や衣類、食料もある程度は準備しましたが」


 季節は春だ。とは言っても、山脈を越えていくとなればかなりの低温になる。

 人間ならかなり厳しいだろうが、幸いにして清廊族は生来寒さには強い。


 西に回って山脈を避けて行くとすれば人間の目が避けられない。

 東は断崖だというのなら、北進するしかない。ルゥナの説明に、隠れていた清廊族の三名は納得するしかなかった。

 人間に捕えられるのは二度とごめんだ、というように。



(捕えて慰み者に……とは、ならないかもしれませんが)


 彼らの場合、殺される可能性も高い。

 他の集落で助け出したのは、少し年齢が高い清廊族の男女だった。


 傷を抉るようなことは聞けないが、若い頃に捕らえられたのだとしたら。本来なら最も華やかな年齢を陰惨な境遇で過ごし、年を重ねたので開拓村に安く売られたのかもしれない。

 くたびれた様子から、奴隷であった期間はルゥナよりずっと長かったようだ。



「困難でも、生きる為に山を越えるというなら、やる意味もあります」

「だけど……」


 女性の一人が暗い表情でぼそりと続ける。


「私は南部生まれです。北部に行ったところで、身寄りも誰もいません」


 辿り着いたところで暮らしていけるのかわからない。

 不安な気持ちが大きいという。



「それは私も約束できません」


 取り繕っても意味がないので、素直にそう言った。

 何でもしてあげられるわけではない。


「ですが、生きたいと思うのなら……人間に虐げられ続けるのではなく、自分の意志で生きたいと思う気持ちがあるのなら、進むしかありません」

「……そうだ」


 まだ不安そうな女に、別の男が声と共に肩に手を掛けた。


「あんな毎日を……どれだけの辱めを受けても何も出来ない毎日よりも、苦しくても自分で選べる未来に向かおう」

「……わかった。そうだったわね」


 女も頷き、唇を噛み締めてルゥナに向けて頷く。


「ごめんなさい。若い貴女達に助けられながら、つまらないことを言ってしまったわ」


 未来に向かう。

 暗澹たる日々から、違う明日を選ぶ。先は見えなくても。

 そう決めた意志に頷き返して、ルゥナは山越えの際の注意などを伝えていった。




(未来、ですか)


 話している間にも、彼らの中に希望がほんの少しずつだけれど芽生えていくのがわかった。

 より良い明日を目指す。当たり前の尊厳を取り戻して生きていく。


(アヴィは……)


 彼女の目は、未来を見ていない。

 目的はただ人間を地上から消し去るだけで、自分の明日を見ていない。

 幸せは失われた。もう戻らないのだと。


(私が、貴女の……)


「……」


 言い出さないだけの分別はあるけれど、願わずにはいられなかった。

 あの優しい微笑みを、自分に注いでもらえたら、どれほど――




「牧場……」



 アヴィの小さな声がルゥナを夢想から引き戻す。

 北へ向かった清廊族が残していった情報。

 南に牧場と呼ばれる清廊族の収容施設がある。


 黒涎山近くから流れる川は南の海に出ていく。その途中にレカンの町もあるのだが。

 生き物が集団で暮らすには相応の水源が必要だ。


 川沿いに町があるのは不思議ではないし、町の近くに農場や牧場のようなものがあるのも不思議はない。


 人間が牧場と呼ぶ施設が、清廊族にとってどれほど忌まわしい場所なのか。



「ルゥナ」

「……戦略的にはあまり意味がありませんが」


 牧場にいる奴隷を解放しても、生まれつき人間に支配されている彼らが戦力になるかと言われたらあまり期待が出来ない。

 戦線に近い西部であれば、その解放が全体の士気を高揚させる効果なども考えられるが、敵勢力の真ん中で足手纏いが増えるだけでは……



「……」

「……放っておくのも、気分が悪いですから」

「ルゥナ」


 人間どもの行いを許しておけない。

 知っていて放置するのも嫌だと思う気持ちもあるが。


(戦力の補充は期待出来ませんが、別に行動させればこちらから目を逸らすことは出来るかもしれない)


 ルゥナが目指すのは勝利することだ。

 解放した牧場の奴隷が逃げれば、人間はまずそれを追うだろう。数も多いはず。


 人間目を引き付け、その間にアヴィと共に西部に向かい、清廊族の前線と合流してまともな反抗作戦に出る方が現実的だ。


(すみません、アヴィ)


 アヴィは目先のことしか見えない。

 清廊族を助けたいという意志ではなく、憎むべき人間の存在を知ってそれをどうにかしたいという衝動に動かされてしまう。


 だが、その反面で彼女は情が深いようだ。

 解放された清廊族を囮に使うという考えには、きっとならない。



「牧場を潰して、清廊族を助けましょう」


(作戦は……汚れ仕事なら、私が。たとえ貴女を偽っても)


 清廊族の最終的な勝利と、アヴィとルゥナの使命である人間どもの抹殺とを為すには、どこかで犠牲も必要だ。


 全てを拾っていくことは出来ないのなら、ルゥナがそれを選ぶ。

 きっとアヴィはルゥナの言葉を疑わない。

 諦める。全部は、拾えないと諦める。その道を選ぶのはルゥナの罪過。


「ありがとう、ルゥナ」

「……」


 アヴィの素直な言葉に、後ろめたさから応えることが出来ない。


(……泣きたくなってしまうではないですか)


 涙腺が緩み、視界がぼやける。


 感謝の言葉などもらっていいはずがない。

 貴女の心を謀ろうとする、そんな私に。



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