第一幕 19話 道を選ぶ_1
「人間がするように魔物を使役できたら……」
ふとそう言ったセサーカの言葉に、アヴィの足が止まった。
「……」
よくないかもしれない。
「セサーカ、やめなさい」
「ルゥナ」
制したルゥナに対して、アヴィの声音は平坦だった。
「聞きたい」
魔物に育てられたアヴィにとって、どう受け止められたのか。
興味を持つだけならいいが、何かのはずみで逆鱗に触れたりすることも考えられる。
「ええと……」
「聞きたい」
ルゥナを気にするセサーカに対して再度、アヴィが要求した。
そう要求されてしまえばルゥナも無理には止められない。いずれ目にすることもあるかもしれないから、聞かせてもいいか。
ルゥナが頷くと、セサーカもおどおどと頷き返した。
「私とミアデは、小さい時に捕まって少しの間、牧場……清廊族の収容所にいました。そこで見たんです」
「何を?」
「人間が、魔物をそこの警備に使っていたのを……」
アヴィの表情は変わらない。
だが、少しだけ瞳が揺れている。
魔物と人間が共生していると聞いて、アヴィの心に波が立つ。
「違います、アヴィ」
その波を止めるように、アヴィの手を取って首を振った。
彼女の思う関係とは全く違う。
「使役されているのです。奴隷として」
ミアデの手が自分の首を擦った。そこにかつてあったものを示すように。
首輪。
呪枷と呼ばれる呪いにより、無理やり従わされているのだと理解して、アヴィの肩から力が抜けた。
「……そう」
「セサーカ。私たちは人間とは違います」
アヴィの手を握ったまま、出来るだけ冷たく言った。
下らない話をしてアヴィの気持ちをざわめかせたと。その反面、敵として現れる前に知らせておいて良かったとも思う。
何も知らないまま、魔物が人間の言いなりになるのを見たら、アヴィが戸惑ったかもしれない。
「私たちは、あんな物を使わない」
「あ……はい、そうです」
忌むべき呪いだ。その卑劣で絶対的な支配力は知っている。
清廊族として、たとえ何があろうとあんな力に頼ることはない。
(もし、使うとすれば)
ルゥナがそれを選ぶのだとすれば。
(人間に)
それだけは許されるのではないか。
「違う、のね」
アヴィが、ルゥナに握られた手をすっと抜いてしまう。
逃げていくそれを惜しむルゥナに、逆にアヴィが手を握り返して、自分の口元に持っていった。
「ありがとう、ルゥナ」
指先に熱い吐息と共に感謝の言葉が届く。
アヴィと、その母親の関係性とは大きく異なるのだと、ルゥナは知っていた。
「母さんとは……うん。違う」
ふふっと、アヴィの顔に笑みが浮かんだ。
「……」
ルゥナも、ミアデもセサーカも、その表情に言葉を失う。
美しいということもあるが、あまりに優し気な微笑みだったので。
満ち足りた微笑み。
普段、無表情なアヴィが不意にそんな顔を見せたことに驚き、目を奪われた。
「……なに?」
皆が息を飲んでアヴィを見つめていたら、いつものように感情を感じさせない顔に戻ってしまう。
わずかな時の、夢のように儚い美しさ。
それを惜しみつつ、訊かれたルゥナは、先ほどアヴィの吐息を受けた指先を自分の唇に当てながら、そっと首を振った。
「いえ……そんな風に笑うのは珍しかったので」
「そう、かしら?」
自覚がないのか、本当に不思議そうに思い返すように首を斜めに傾ける。
ミアデとセサーカは嬉しそうだった。アヴィの笑顔が見られて。
ルゥナとて嬉しくないわけではないが、いったい何がアヴィを楽しませたのかわからない。
「母さんは、首輪をかけられない……から」
「ああ」
粘液状の魔物だったので、確かに首輪はつけられないだろう。
それを思い出して笑ったのか。思い出の中で冗談を言い合うような想像もあったのかと。
(幸せな記憶を……)
もう帰らない日々を思い返して、その優しさが笑顔を零した。
アヴィの心の暖かな部分が向いているのは今ではない。その過去にだけ。
現在、未来に向けては、凍り付いたような表情と共に、温度のない瞳だけが向けられる。
「でも、でもさっ」
ミアデが少し早口になりながら言葉を挟んだ。
アヴィの瞳を自分に向けるように。
「清廊族にも……ほら、魔物と心を通わせるってお話があったはずですよ。ね、ルゥナ様」
うろ覚えの記憶から持ち出した話をルゥナに振ってきた。
何かしらアヴィの関心を持たせて話したかっただけなのだろうが、続かない。
知らなかったらどうしたつもりなのか、アヴィに興味を抱かせておいて無責任なことを。
ルゥナが知っていたからよかったものの。
「《
「い……づの?」
鸚鵡に返すアヴィが可愛い。
彼女は時に随分と年上のようにも見えるし、振舞い方によっては幼子のような時もある。
「そうです。壱角……額に一つだけ角がある生き物は全てそう呼ばれます」
ルゥナの言葉を受けて、聞いていた三人が三人ともに自分の額に手を当てて確認していた。
あるはずがないのだが。
「壱角は稀な生まれだと……いろんな生き物から、稀にそういう特徴のある者が生まれるということです。私も見たことはありませんが」
あらゆる生き物から、特に規則性もなく生まれる変異種。
魔物でもそうした特徴を持つことがあるし、清廊族にもそれがかつて存在したのだと。
「噂では、壱角同士はその角の為なのか、言葉を……意識を通じることが可能なのだとか」
「深い谷のヤヤだ! 思い出しました」
曖昧だった記憶を思い起こしてはしゃぐミアデに頷いて、落ち着くように促す。
「清廊族の御伽噺ですね。深い谷に落ちたヤヤは不思議な角を持つ蛇に助けられたと」
ヤヤは清廊族の少女だった。
彼女は清廊族なのに白い髪に黒い目で、村の子供たちからは敬遠されていたという。
色だけではなく、ヤヤの額には小指くらいの小さな突起があり、時折何か不思議なことを口にしていて、同世代の子からは気味悪く思われても仕方がなかった。
そんな彼女が、村の近くの深い谷に落ちたことを誰が見ていたのか。
黒氷の断渓と呼ばれる深い谷に落ちたヤヤ。
誰もが生存を絶望視していたところに、谷底から一匹の大蛇が現れる。
黒い大蛇の額には一本の角が。
その背に乗せられたヤヤが、皆の前でその角と自分の額とを合わせると、大蛇は静かに谷底へと帰っていった。
大蛇は村に伝わる守り神の言い伝えと同じ姿をしていた。
ヤヤは、大蛇が桃を好むと皆に伝えて、それ以降村では夏に谷に桃を供えるようになる。
桃を供えられると、稀に大蛇がそれを食べる姿が見られ、ヤヤの言葉が真実だと皆が知った。
大蛇とヤヤは心を通わせ、村は長く穏やかな時を過ごした。
村の者たちも、ヤヤと大蛇を大切にするようになったのだと。
「それが壱角です。他にも逸話はありますが」
今のは子供向けの御伽噺の一つだ。
端折った部分で、ヤヤが村の子に意地悪をされていたり、大蛇がいじめっ子を懲らしめたりという話もあるのだが。
その辺は教訓話なので必要ない。
「他にも壱角を持つ者同士が不可思議な意思疎通をするのだという話があります。魔物同士の場合は知られていませんが、清廊族の壱角と、魔物の壱角が」
「……」
「壱角の特徴がある場合、大抵は元の種族とも姿形の特徴が異なると言われますので」
突然変異として生まれるからなのか、種族的な特徴とは違った外見になると言われていた。
額を気にする三者の顔を見る。
艶やかな長い黒髪に深い赤い瞳のアヴィ。
短めだがやはり黒髪に、明るい赤色の瞳のミアデ。
少し茶色かかったうねるような髪に、ぼんやりした朱色の瞳のセサーカ。
ルゥナも含めて、清廊族の特徴から大きく逸脱していることはない。アヴィやミアデはまさに清廊族の代表例のような外見をしている。
「それに、角がないでしょう」
「そうなんですけど……ははっ」
額に触れて確認しているセサーカを笑うミアデだが、自分とて同じことをしていただろうに。
まだ気にしているアヴィは、自分が魔物と心を通わせた過去を考えて、可能性を捨てきれないのか。
少なくとも、奴隷の呪いによる繋がりなどという話よりは、可能性があるのではないかと。
「母さんにも、角はなかったと思いますよ」
「……そうね」
たぶんアヴィと母との関係は違う。そういう種類の何かではない。
自身の中でもそう結論づいたのか、額を擦っていた手を下ろした。
「普通の生き物が持つ角は一対、二本です。壱角はかなり特徴的ということになりますね」
「角のある生き物が壱角になる場合はどうなんです?」
「本来の二本の角はそのままに、真ん中にもう一本の角があるという話ですが」
そうしたら三本角じゃない、というミアデの呟きは無視する。
世の中で言われている話というだけのことなのだから、別に何と呼ぼうが構わないだろう。
「確かに、魔物を味方と出来れば心強いですが、そんな期待をしていても解決しません」
ありもしない戦力を夢見るより、やるべきことはある。
その為に進んでいるのだから。
「ところで、どこに向かっているんですか?」
ナザロの村を出てから北東に向かっていた。
村と村を繋ぐ道からも外れて山間に入っている。
「他の村で解放した者たちがこの先の洞穴に隠れているので」
この辺りは人間の支配領域になる。
特別な力のない清廊族がただ彷徨っていたら、また人間に囚われるか殺されるか。
清廊族の住む北部に逃がしたかったが、とりあえずいったん身を隠してもらっていた。
山間の洞穴。
一応、その近くにいた魔物は排除して、洞窟の入り口も出入り出来ないようにアヴィが塞いでいた。
食料は人間の村から奪ったものがあったので、それでしばらくは凌げる。
「そろそろ食料も乏しくなるでしょうし、いつまでも置いてはおけませんから」
人間が襲撃に気が付いて対応策を打ってくるのであれば、この辺りが安全とは言えない。
状況を鑑みて迎えに行くところだった。
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