第一幕 18話 牧場主と上客と……_2



「おっと、話し込んでしまってなんの持て成しもしておりませんでした」

「お気遣いなく」


 ゼッテスが何事かドアの傍に立っていた使用人に申し付けると、彼女は扉を開けて出て行った。


「あれも、そうですね」


 使用人ではなく、奴隷。

 ゼッテスの商いの中で、数は多くはないが、金額的にはかなりの部分を占める商品。


「あれは野良から買ったもので売り物にはならんのです。冒険者ギルドから流れてくるのですが、最近では野良もすっかり少なくなりまして」


 だから必要となる。牧場、養殖場が。



 ロッザロンド大陸とカナンラダ大陸では風土が違う。

 未知の病いなどを保有していたらという懸念から、先住民の奴隷を忌避する考えがロッザロンドにはあった。

 既に百五十年が経過して、あまり問題になっていないことを考えれば無用な心配だっただろうが。


 それでも不安が拭えるわけではない。ロッザロンドでしか暮らしたことがない人間にとっては特に。

 だから、野良の……牧場で生育した奴隷ではないものは、商品としてロッザロンド大陸に出荷することはなかった。


 この牧場で生まれ育ちました、というブランドも箔になり、商売に於いて信頼は金になる。

 ゼッテスは強欲な男ではあったが、信頼を失うことの損害の方が大きいという計算も出来る商売人だった。



「繁殖は――」


 キフータスの眉は動かない。

 動かさなかったから、ゼッテスは確信した。

 この話は間違いではないと。


「どうもあれら影陋族の繁殖は、このカナンラダでなければうまくいかぬようでして」


 聞きたい話だったのだろうと。


 オスとメスの番で買っていくのだから知られるのも承知の上だったと思いながらの話題だった。


「そういうものですか」


 表情を崩さないキフータスだが、それでは本音は隠せない。


 本当に興味がないのなら、振られた話に対して、少しは興味があるような顔をした方がいい。とゼッテスは思う。

 別に隠したいわけでもないのかもしれないが。


「風土というのか、魔神の呪いなのかもしれませんが、ロッザロンドで繁殖に成功したとは聞きませんな」

「なるほど、確かに」


 オスとメスを揃えれば、わざわざカナンラダまで買いにくる必要もない。

 ロッザロンドで繁殖させて、それを売れば今度は自分たちの利益になる。


 そんな思惑があるのかもしれないが、それではゼッテスのような商売人が困るのだから。



「どうでしょうか、ゼッテス殿」


 キフータスが、世間話のような顔で続けた。

 ちょっとした提案だけれども、という何気ない様子を装って。


「ゼッテス殿が、ロッザロンドでそれを……影陋族の繁殖、生育の事業を試みてみるなどというのは」


 今までにない事業を興す。

 それが成功した場合の利益は、いったいどれほどのものなのか。


「ほう……」

「ラドバーグ侯爵も、その話なら協力を惜しまないでしょう。私からも後押ししますが」



 地盤がないゼッテスの為に、ルラバダール王国の重鎮が後ろ盾になると。

 そんな条件を提示してみせて、ゼッテスの反応を窺うキフータス。

 本気で言っているのか、戯れなのか。


 話に乗ってくるのならそう対応するだろうし、そうでなくてもいいという態度だった。そう取り繕っているだけだろうが。



「それは面白そうな話ですな」


 無下にはしない。


「ですが、先ほども申し上げた通り、どうもロッザロンドでは繁殖が難しいようですからな。キフータス様のお気持ちはありがたく」


「いえ、考えの足りぬことを申しました。無礼に感じられたらお許しください」

「とんでもない……おお、遅かったな」



 話を流したところで、膳が運ばれてきた。

 運んできたのは、先ほど出て行った奴隷ではなく。



「これは……」



 キフータスに表情が浮かぶ。意図せず、驚愕の表情が。


「……」


 その顔を見たゼッテスの表情は満足げに。

 驚くのも無理はない。



「これも……失礼、影陋族なのですか?」

「ええ、そうです。驚かれたでしょう」

「……はい」


 どう答えたものか少し迷った様子のキフータスだったが、別に誤魔化す必要はないと考えて首肯する。

 驚いた。

 思わず声を上げてしまうほど。



「銀糸とは……瞳の色も違うのですね」

「親もこれに近い容姿でしてね。影陋族の中でも珍しいそうで」


 一般的な影陋族の容姿は、陶磁器のような白い肌に黒い髪、赤い瞳。


 それとはまるで異なる、銀色のさらりとした髪に薄いグレーの瞳の少女。

 肌の色は、色素そのものが薄いようで、まさに雪のような細く美しい首筋に見惚れる。


「……?」


 首が見えている。


「これは……呪枷をせずに?」


 傷一つない首筋を見て、再び声を震わせた。

 繁殖可能な大きさにまで育った影陋族は、購入先で呪枷を刻まれるか、それとも牧場で呪枷をつけて飼われるかのどちらかというのが通例だった。

 キフータスはそう聞いている。



「私が成人するより前に、生まれた頃からこれの世話をしておりましてな」

「……」

「さすがにそれだけの時をかければ、主人と己の立場はわかるようで……愛馬のようなものですか」


 その腹では馬には乗れまいに、と思うキフータスだったが口には出さない。

 他人を罵るような言葉を口にするような教育は受けていないし、そもそもゼッテスの言葉が右から左へ抜けていた。


 そんなことはどうでもいいと思えるほど、美しい。

 こうしてみれば、呪枷というものが無粋だとも思う。


「呪枷なしで……ですか」

「さすがにお客様には提供できませんが、これは牧場主である私の楽しみとでも申しましょうか」


 呪枷がなければ、逆らう可能性もある。

 自ら命を絶つこともあるだろう。高額な買い物に対して、それはあまりにリスクが高い。


 ゼッテスの言う通り、こうした経営主だから出来る道楽と言える。これは侯爵だろうが王だろうが簡単に手に入らない。



「トワでございます」


 鈴が、鳴った。

 雪のように白い喉から、鈴のように響く声に、何を言われたのかわからない。


 遅れて、名乗られたのだと知る。



「は……はは」


 思わず笑い声を漏らしてしまうなど、キフータスにとっては何年ぶりのことだろうか。

 主の冗談や機嫌を取り持つための笑い声ではなく、自分の制御を外れた笑い声など。


 抑えようかとも思ったが、諦めてそのまま流した。

 さすがは商売人。人の心の間隙を突いてくる。


「ゼッテス殿もお人が悪い」

「はてさて」

「素晴らしい牧場主でいらっしゃることを、このキフータスが疑っていたとでもお思いですか? 改めて確信させていただきましたが」



 影陋族の奴隷が、たとえ呪枷を施されていないとはいえ、自ら自己紹介するなど有り得ない。

 仕込まれている。


 よく飼い馴らされ、どのように振舞うべきかを知っている。

 客人に――おそらくゼッテスにとってある程度以上の客人に対して、さらに知らぬ世界があるのだぞと見せるための隠し玉。


 そうと見れば、また金を出すことを考える。そういう材料としての価値があった。


「では、キフータス様にもお気に召していただいたようですから、今回の商品はその手の容姿のものから選ばせていただきましょうか」

「そのお気持ち、主も喜びましょう」


 繁殖の実験のために二匹の奴隷を買って帰ること。

 それも目的だが、やはり珍しい見た目の商品であれば、主の覚えが悪いはずもない。


「出来れば、この……トワをいただきたいところですが」

「ははは、それはご容赦を。私もこれには愛着がありましてな」

「……そうでしょう」


 言ってみただけだ。


 もし譲ってもらえるのならいくら必要なのか。

 何なら、キフータスが個人的な資産全てを譲渡してでも手に入れたい。

 そう思う程度には、本気でもあったが。


「さて……段取りもありますし、また十日ほどはお待ちいただくことになるかと思いますが」

「お任せいたします」


 牧場は屋敷のすぐそばにあるわけでもない。

 それにゼッテスが管理する牧場は複数あった。その中から候補となるものを見繕って準備するのに時間がかかるのはいつものことだ。



「では、キフータス様には当家の離れに……いつもと変わり映えのない場所で退屈かもしれませんが」


 滞在中の宿泊もゼッテスが面倒を見てくれる。

 上得意客なのだから当然だとも言えるが、それはキフータスにとって有難い。


「とんでもない」


 今度は作った微笑で応じたが、その裏側など当然わかっているのだろう。


「いつも通り、おもてなしはさせていただきますので。どうぞ我が家だと思ってお寛ぎください」


 おもてなし。

 主から離れ、こんな僻地まで来ても、苦労を厭わない理由になっている。


「お言葉に甘えさせていただきます」


 ロッザロンドにいたら、こんな時間に甘える機会はないのだから。



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