第45話 母さんじゃないけれど_3
「母さん! 母さん、しっかりして!」
愛しい声が聞こえる。
ああ、聞こえているよ、と。
応じてあげたいのに、なぜだか声が出なかった。
(それは元々だったな)
いつも、必要なことが足りないんだ。俺には。
不十分で、不便で、不器用で。
それでも充足した気持ちになれたのは、お前がいたからなんだと。
満ち足りた命だったと。こんな穴蔵の底でも言える。
泣きながら必死で呼びかけてくれるアヴィ。
俺の体から零れていくゲル状の液体を必死で集めて、戻そうとして。
けれどその液体は少女の指をすり抜けていく。
「だめだよ、母さん! お願い……これじゃあ掬えない……」
零れ落ちる。
掬えない。
流れる体液を掬えないと嘆く。
(そんなことはない)
救ってくれた。
もうお前は、俺の心を救ってくれたんだ。
俺は、救われた。
(アヴィに会えて、救われたんだ)
「母さん! 私を、私を一人に……死なないで、母さん!」
泣きながら必死で搔き集めようとするアヴィに、俺の体からも涙が溢れる。
(ああ、泣けるんじゃないか)
我ながら、不器用だけれど。
光る泉があった。
零れていくゲイルから溢れた一部が、その泉に沈んでいく。
(ここ、か)
始まりの場所だ。
落ちてきて、こんな場所に来ていたのか。
(……)
アヴィは、怒るだろうか。
けれどこれだけは、譲るわけにはいかない。
「かあ、さ……?」
(勇者が相手じゃあ仕方ないよな)
滅びるモンスター。
勇者の一撃を受けて死ぬのは、モンスターとしては当然のことなのかもしれないけれど。
(でもな)
それでは、意味がない。
(俺は、勇者には……)
ゲイルが生きてきた意味がない。
アヴィの手を、震える触腕で掴む。
小さな手だ。
白くて柔らかくて、小さな手だった。
「何を……?」
その手を、泉に向けさせた。
求めるように。
「あ……」
そこで初めてアヴィは、不思議な光を放つ泉の存在に気が付いたようだった。
泉とゲイルとに視線を行き来させて、希望を見つけたように答えた。
「この水で……母さんの体が治るのね?」
ゲイルの希望を理解してくれた。
(俺は、勇者には殺されない)
光る水を掬い取るアヴィの背中に、謝罪の言葉をかける。
(ごめんな、アヴィ)
こんなことしか、してやれなくて。
言葉に出来ないけれど、受け取ってほしかったのだと。
いつかわかってくれるだろうか。
「母さん」
光る粒の浮いた水をゲイルの元に届けるアヴィに、笑いかけた。
表情はないはずだが、アヴィはそれが分かったように泣き顔のまま笑った。
視覚はないゲイルだけれど、その笑顔はわかった。
良かった。
(お前の笑顔が見られて、良かったよ)
受け入れるように体を皿にするゲイル。
そこに、愛を注ぐように、光る水を灌ぐアヴィ。
(愛している、アヴィ)
生きていて良かった。
お前に会えてよかった。
こうして、少しばかりでも自分の生きてきた力を、愛する人に遺せるのであれば。
(お前が幸せに生きる力になれるなら、それより幸せなことはない)
ゲイルのゲル状の体を、光が貫いていった。
(母さんじゃないけど、な)
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