第40話 勇者の剣_1



 黒い壁に覆われた聖域。


 天井も壁も黒く何かに塗られている。

 試すように剣を突き立てて、その硬さに驚きを示した。ただの土壁ではない。


 四人の冒険者と一人の奴隷。

 さすがにこの場所は何か感じることがあったのか、その足取りが慎重にならざるを得ないのだろう。


 松明の灯りでも魔法の灯りでも照らしきれないその黒い神殿のような場所に。



「まさか……魔神の神殿か?」


 見当違いなことを。

 ただのアリの巣穴だ。


「ま、マルセナ」


 一度は飲み込んだ女が弱々しい声で仲間を呼ぶ。


「ど、どこにいるの?」



 仲間の居場所を探しているわけではない。


 呼ばれた女が手にしている球体。それが探知の魔法なのか。

 やはり最初にあの魔法使いを倒していればと、歯軋りする。ゲイルの心中で。



「わかりません……この部屋は何か、変ですわ」


 呼ばれた女も戸惑いながら、きょろきょろと周囲を見回していた。



「おい、何か見えないのか?」


 強い語気で呼びかけられたのは清廊族の少女だ。

 同じように部屋のあちこちを見回すが、黙って首を横に振るばかり。


 見えない。何も見えない。

 ただとても広い黒い部屋があるだけで。奥の方までは見えないはず。



「あの女はどこだ?」


「それも……わかりません」


 大男の質問にも清廊族の少女は否定を返すだけ。



(探知されていたのはアヴィじゃないのか?)


 痛恨だった。

 そうとわかっていれば、アヴィだけ別の場所に逃がしたのに。


 今更遅いが、自分の迂闊さに臍を噛む思いだ。

 探知しているのは生き物ではない。印をつけた魔物を追うような魔法が使えるのだろう。



(……考えても仕方ない。とにかくここでこいつらを)


 見下ろしながら。

 ゲイルの下で、モンスターの姿が見えないと騒いでいる一行を見下ろしながら、その瞬間を待った。


 彼らが、天井一杯に広がったゲイルの体の中心に来る時を。



 見えていないのではない、見ているのだ。

 壁とほぼ同化した姿で広く伸びたゲイルの姿を彼らは目にしている。それと認識できないだけで。


 戯れのようにそこらに立つ柱に攻撃を加えてみたりしているが、そこはゲイルとは関係がない。

 鋼鉄よりも硬いメラニアントの分泌液で固められた材質の柱に、彼らの武器が傷むだけのこと。



「わ、わたくし……嫌です」


 言い出したのは誰だったのか。


 ゲイルが一度飲み込んだ女ではない。

 奴隷の少女でもない。奴隷にそんなことを言い出す自由がないのかもしれない。


 そう言ったのは、一行の中では年の若い魔法使いの少女。

 進む彼らから段々と遅れて、最後尾にいた清廊族の奴隷よりも後ろに。



「マルセナ、何を……」


(魔法使いだけ……)


 異常な強さの剣士と並んで始末しておきたい対象だが。

 離れてしまわれると一網打尽にしにくい。


(……いや、優先順位でなら二番目だ)


 真っ先に殺すべきなのは剣士の男。

 アヴィの安全を守る為に最善を尽くすのはもちろんだが、欲を出して何の成果も得られなければ意味がない。



 まず一つ。


 愚鈍な自分がこれまでやってこられたのは、そうした地道な姿勢を忘れなかったからだ。

 他に気を取られたりしない。あの剣士の男を殺す。



「マルセナ、ここまで来て」


(ここだ!)


 剣士の男が、怖気づいた仲間に声を掛けようと振り向いた瞬間だった。

 そのタイミングしかない。ゲイルにとって最高のタイミングでの仕掛けで、それ以上は望むべくもなかった。



 天井が落ちる。


 と錯覚するような、あるいは部屋が急速に狭まるような感覚に陥ったはず。

 黒い部屋が人間を飲み込むように、濁流のような黒い波が彼らを覆った。


「なっ!?」


 魔法使い以外を包み込みつつ、剣士の鼻や耳から中に入り込もうと――



「原初の海より来たれ、始まりの劫炎」


 怯えていたはずの魔法使いの、異常に澄んだ声。


 そして部屋は灼熱の地獄に。



 広間のほぼ中心で黒い粘液に飲み込まれた人間と共に、呪文と共に発生した劫火が爆発的に噴き上がった。

 怖気づいたはずの魔法使いの少女が、謡うように紡いだ言葉と共に。



「ぐあぁぁぁっ!」


「ぎゃあああぁ!」


 悲鳴が轟く。



 ゲイルの粘液に飲み込まれたはずの人間どもが悲鳴を上げた。飲み込まれていれば声を発せられないはず。


 飲み込まれなかったわけではない。呪文と共に吹き上げた爆熱により、ゲル状の液体はその大半が爆散、焼失した為に、中にいた人間が放り出されている。



(ぐぅぅ、これはダメだ!)


 混乱による暴走なのか何なのか、味方諸共に容赦なく焼き尽くそうとする灼熱の魔法。

 ゲイルに抗う術がない。




 ゲイルの体は、普段は身を引き締めるように生活していたので、その凝縮していた状態を解いてしまうと相当な体積になった。

 それを部屋の壁から天井全体に這わせて擬態しつつ、攻撃のタイミングで一気に凝縮したのだ。


 移動する速度は遅いが、自分の体を中心に集めるのはかなり短い時間で事足りる。

 人間の注意が逸れた瞬間に、混乱する状況を作っての攻撃。


 今のゲイルに出来る最も有効な作戦で、それは成功したはずだったのに。



「やめっ、マルセナァ!」


「うずくまっていなさい、イリア」


 悲鳴を上げる女に、魔法使いがかけたのは助言なのか嘲笑なのか。



「ぐぉぉぉっ、っぶぁ」


 大男が呻いた。その肺に熱が入って激しく咳き込み、さらに呼吸を苦しくしている。



「く、やめ……やめろぉ!」


 剣士の男が飛んだ。

 炎を切り払いながら、剣を掲げて魔法使いの少女の頭上へ。


 殺意を孕んだ瞳で、剣を振りかざして。

 狂気に酔った瞳の、仲間のはずの少女に。




(清廊族は)


 奴隷の少女はまだゲイルのゲルの中にいた。

 どうするのが正しいのかわからないが、とりあえず奴隷の首輪を断ち切るように環の一部を消化してしまう。



(助けられるものなら……アヴィ!)


 広間の中が蒸し窯のような高温になっている。今も残る炎の渦は広間の中央あたりだけだが。

 奥の壁に隠していたアヴィがどうなったのか、無事なのか。


 少なくとも最初の爆熱からはある程度の距離があったが、それに伴う炎熱が広間を支配している。

 酸素とてあるのかないのか。


(アヴィ!)


 熱で気流の乱れる部屋の中にゲイルが感知したのは、洞窟の壁際を走るアヴィの足音だった。


 

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