第37話 人の魔手_1



 男は嫌いだ。

 中でも特にバカな男は嫌い。

 そういう男に限って、なぜだか自分に何かしら特別なものがあると信じていたりする。


 まるで根拠のないこともあれば、一応は理由がある場合もあった。

 高い戦闘能力、成長力。確かにそれはひとつ目を見張るものがあるとしても。



(愚かなことには変わりない。むしろ加速して愚かさを極めていますわね)


 成長が早いのは愚かしさの方向にもそうなのかもしれない。

 そう思えば滑稽だと言える。


 特にこの男の場合は、まだ若輩の頃から特別扱いを受けてきたことで、自分を英雄物語の主人公のように捉えているのがまたおかしい。

 どれだけ力があったところで、所詮は一人の人間に過ぎないのに。


 ――洞窟内で火炎系統の魔法は使わないでくれ。


 なるほど、ない頭でよく考えられたものだ。

 火炎系統の魔法は、うっかりこちらがあの黒いモンスターを倒してしまうかもしれないのだから。


 よほど自分の手であれ・・を始末したいのだろう。気持ちはわかる。


「……」


 声を出すと思わず笑ってしまいそうだったので、唇を結んで頷いた。


 あれを他人に倒されたら、この男はどんな顔をするだろうか。

 その間抜け面を想像するだけでちょっとした快楽だ。



(なぜ、それを知っているのが自分だけだと信じられるのかしら)


 本当の愚か者は、自分の愚かさには気づけないものか。


 濁塑滔。

 その言葉は神話伝承で語り継がれているのだから、マルセナが知っていても不思議はないだろうに。




 戦闘を終えて、足の治療を自らしているラザムと、体を丸めて震えているイリア。


 シフィークは落ち着かない様子で、だが一人で先行するつもりはさすがにないらしく、モンスターが逃げていった崖の辺りを右へ左へと歩いていた。



「イリア、大丈夫ですか?」


 震えているイリアに声を掛けるが、彼女は小刻みに首を振るだけ。


 ゲル状生物に飲み込まれかけて、信頼していたはずの勇者様に切り捨てられ、粘液塗れの体で吹雪に晒された。

 短時間でこれだけの目に遭えばショック状態になっても仕方があるまい。


 とても気分が良い。


(本当に、今日は善い日ね)


 彼女は少し前のこと、粘液に塗れたマルセナに、わざわざそのぬめりを肌に擦り付けて楽しんでいた。

 それはほんの少しだけマルセナの異常性癖を喚起する部分があって、ほんの少しだが悪くないと思ってしまったのだが。



(あの時のお礼をしませんと、ね)


 こちらが気付いていないと思っていたのか。その悪戯に。

 愚かな女だ。シフィークほどではない。まあ可愛げもあるとも言える。


 そこそこに険悪で、でも見た目は嫌いではない。そんなイリアの弱った姿を見下ろすことで、感情が高ぶるのは仕方ないのではないか。


 いずれ自分の足元に這いつくばらせて許しを請う姿でも見せてもらおうかと思っていたが、とりあえず惨めにうずくまる様子を見られたことは良い。



(ああ、呪枷を刻んで奴隷にしてあげたい)


 下に見てきたマルセナに見下される関係にイリアがどう感じるのか、そう考えるとマルセナに昏い喜びの炎がちらついた。

 呪枷は、もともとは魔獣を飼い鳴らす為の呪術だった。一応、人間に施すことは禁じられている。


 表向きは。

 結局は裏ではそうした行為も行われているということになる。



「イリア、しっかりして下さい」


 とりあえず今はそんな嗜虐心に酔っている場合ではない。


愁優しゅうゆう高空たかそらより、木漏れよ指窓ゆびまど窈窕ようちょう


 気を取り直して、冷えたイリアの体を温めるように体力回復の魔法を唱えた。


 ぼんやりとした光を浴びて、次第にはっきりとした目でマルセナを見上げるイリアの様子が悪くない。

 まるで天から遣わされた何かを見るかのよう。


(いつもそうしていればもっと可愛げもあるでしょうに)


 愚かでもマルセナを崇める気持ちがあるというのなら、少しは救いもあるだろう。

 救ってやってもいい。気まぐれにそう思う程度には。


(その顔は、嫌いではありませんの)




「あの影陋族を」


 珍しい。

 本当に珍しいことというか、マルセナは初めて目にした。


「あの影陋族を、殺さずにもらいたい」


 ラザムが何かを要求することなど、マルセナが知る限り今までにない。

 目を丸くして固まっているシフィークの様子から見ても、彼もそんなラザムを見たのは初めてなのか。


 驚かされる。

 要求の内容は、まあマルセナが知る限りラザムの嗜好と合致しているが。



「あの影陋族を?」


「ああ、出来ればで生かして捕えたい」


 決して不可能ではないが、意外な要求にどうしたものかとシフィークが戸惑っていた。



「どうして……いや、別にいいけれど」


 聞くのも野暮だと思ったのか、自分の言葉を否定してから続ける。


「あれが素直に大人しくするかわからないぞ」


「腕を落とせばいい。両腕を失えば抵抗もしないだろう」


 鳥の羽を捥ぐように、あれの手を落としてしまえば解決する。



「足は、あのままで」


 感情を感じさせないラザムの声だが、その言葉には熱がある。

 粗末な襤褸切れを纏っていた謎の影陋族は、すらりとした脚を見せつけるような姿だった。それを思い出しているのか。



(色々な性癖があるものですわね)


 マルセナも自分の性癖が普通ではないことを承知しているので、他人のそれも自分とは違っても理解しないわけではない。

 というかむしろ、ラザムの性癖とであれば近しい部分もあるのだ。


(私もいつか、気に入った者を従属させたいものですわ)


 冒険者なってすぐの頃に見たことがある。中年の女が連れていた美しい影陋族の少年奴隷。

 その光景はマルセナが冒険者として成功をしたいと思う端緒になっている。


 影陋族の奴隷は安くはない。

 なぜか少年の方が高いという傾向もあり、一介の冒険者風情が簡単に入手できるものでもないが、成功者であれば違う。


 二人――三人の少年奴隷をかしずかせ、それらと共に暮らす日々。

 そんな甘い日々を夢見たころもあるマルセナにとって、ラザムの希望は十分に理解できた。



 珍しいとはいえ欲望に素直なラザムの言い分を聞いて、シフィークはとりあえず納得したようだ。


「そうか……わかった、出来たらそうする」


「頼む」


 短く無感情に答えたつもりのラザムだったのだろうが、マルセナは見たような気がした。彼の口元が喜びに歪むのを。



(案外と、人間らしいところもあるのですね)


 ラザムは一流の冒険者だが、自分の成長の限界を感じてシフィークの仲間になったと聞く。

 強さを求めることについては諦め、勇者パーティの一員としての成果を求めるのか。



 暗い洞窟で昏い欲に塗れた会話を交わす人間を、影陋族の少女は唇を震わせながらただ黙って見ているのだった。



   ※   ※   ※ 

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