第32話 遭遇_3



 洞窟内には、当然のように広い場所と狭い場所がある。


 狭すぎる場所は人間などの生き物は入れない。

 広すぎる場所は、洞窟内なのにこんなに広い天井があるのかと不思議になる所もある。


 道はない。

 入り口からしばらくはなだらかな傾斜になっているが、少し進むとちょっとした崖のようになっている。


 4メートル程度の段差で、岩がごつごつと突起を作っているので、人間でも掴まりながら上り下りは可能だった。

 ゲイルのような体であれば別に落ちても問題ないし、アヴィは身体能力が高いのでひょいひょいと駆け下りていくことも可能だった。


 そこからしばらく進むと、非常に広い空間に出る。エントランスとでも言う所か。

 ただし、入ってきた方から見て、このエントランスの左側は断崖絶壁になっている。

 下は見えない。もともと暗いので見えにくいのだが、200メートルほど下まで次の地面がない。暗くて見えないので、人間が落ちたら一巻の終わりだろう。



 このエントランス風の場所は天井も高い。

 十数メートルの高さがあり、その天井には亀裂が入っていて、薄っすらとエントランスに明りを差していた。


 明りがあるせいで、その亀裂以外の場所は暗く見えにくい。天井の話だ。

 ゲイルは、その身をエントランスの天井の影に張り付けていた。



「かなり最近の足跡みたい……人間っぽいかな。一人ってのが気になるけど」


 女が地面を観察しながら、アヴィの足跡を見つけて言っている。

 這いずるゲイルの跡は、水の流れのようにも見えるのでわからないのだろう。


「暗くてよくわからないけど」



 エントランスまで進んできた彼らは、とりあえずそこでいったん小休止のようだ。


「ここは……少し見えるな」


「気を付けて、そっち崖になってるみたい。マルセナ、落ちるわよ」


 話しながら広くなった場所の中央辺りに固まり、一息つく形になっている人間たち。



「だ、大丈夫ですわ」


「強がるのもいいけど、あんたこういう洞窟二度目でしょ」


 女二人が何やら言い合いをしている。

 もう一人女らしい素足の者もいるが、そちらは会話に加わる様子はなかった。少し離れた場所に立ち止っている。



「バカにしないで下さい。私だってもうちゃんとした冒険者ですのよ」


「こういう視界が悪い場所は思っているより神経を擦り減らすんだよ」


 声の感じからすると若く聞こえる男が仲裁に入ると、二人の女は口を噤む。

 もう一人男がいるが、これは周囲を警戒するように無言で闇の中を見渡していた。


「僕だって普段より疲れる。大丈夫だって思っていてもいつもと違うんだ」


 若輩の少女を、先輩の男が諭す。

 未熟な者は自分自身を冷静に見ることが出来ないことがある。それを窘め、導くのが先達の役割。


 理想的な人間関係を形成した良いパーティなのだろう。

 以前にアヴィを連れていた冒険者どもとは違う。



(だけど、殺す)


 彼らの関係性などゲイルの知ったことではない。

 最初にどれを殺すべきか、それを品定めしているだけだ。


 魔法使い。

 ゲイルにとって一番警戒すべき相手になる。この一行の中では、先ほど文句を言っていた少女がそれらしい武器を手にしていた。


 もう一人の女は、短剣を二本腰にしている様子。斥候という印象を受ける。


 少女を諭していた男は、一振りの剣を背にしているので剣士と見ていいのか。


 周囲を注意深く見ている男は……よくわからない。

 武器らしいものは身に着けていないように思うが、大柄で動きやすそうな軽い服を着ていた。



(あの……ずっと昔に見た、防御の壁の魔法みたいなのを使っていた奴と同じかな)


 僧侶というか、モンクとかそういう系統のようだ。

 それも厄介だが、やはり一番に警戒すべきなのは強大な攻撃力を持つ魔法使い。


 ゲイルに対して最も有効な攻撃手段がある少女を最初に――


(……いや、もう一人いる)


 存在感が薄くて忘れてしまっていたが、もう一人いた。

 素足で、一行から一歩身を引いているような少女が。


 荷物を持たされているが、武器らしい物は帯びていない。靴を履いていないのもそうだが、服装もどうも薄布一枚という様子で。



(首に……)


 首輪が、嵌められている。

 息遣いから察知して、少女が首輪をしていることがわかった。

 その首輪には覚えがある。アヴィと同じだ。


 だとすれば――


 少女は、で上を見ていた。


 ゲイルからは見えないが、その赤い瞳には天井に張り付く黒い大きな塊が、はっきりと映し出されていた。


(清廊族!)


 迷うべきではなかったのだ。

 ゲイルはこの時、迷うべきではなかった。迷わずこの少女を殺して、そのまま崖下に逃げてしまうことを選べば良かったのに。



(アヴィと、同じ)


 それが判断を誤らせた。


「あ」


 少女が声を発した。

 仲間たちに――彼女の敵である人間たちに、危険を知らせる声を。


「上に魔物が」


(しまった!)


 飛びかかる。

 自由落下だけではなく天井を蹴って飛びかかる。

 魔法使いらしい少女を目掛けて。



「マルセナ!」


 若い男が、瞬時にゲイルと少女の間に入った。


(速すぎる!)


 その動きは異常なほどの素早さで、驚愕している間にゲイルは吹き飛ばされた。


 吹き飛ばされたのか。

 男が振り払った拳の、それが巻き起こした風圧で。


「大丈夫か、マルセナ?」


 すぐ近くに味方がいたので、咄嗟に剣を抜かなかったらしい。

 庇う動きも、拳を振るう動作も、人間としては異常なほどの力だった。


(これは、まずい)


 こんな力を持った連中が相手などとは思わなかった。

 一対一でも勝てる気がしない。ましてや相手は五人。


(いや、一人は清廊族だ)


 彼女は奴隷として連れられているだけ。戦力は四人だが、どちらでも勝ち目が薄い。



「こいつが噂のブラックウーズね!」


「む」


 体内に取り込んでおいた尖った石を、まとめて相手に向かって打ち出す。清廊族の少女は彼らから少し離れた位置にいるので攻撃範囲外になる。


 小石の散弾。

 ゲイルとて攻撃手段の手数を増やしていたのだが。


「マルセナ、下がって」


 若い男は、後ろに魔法使いの少女――マルセナというらしいが、それを庇いながら降り注ぐ散弾を剣で正確に払い落していた。

 他の二人は身を伏せて躱しているが、少しだけ掠めていた。



(よかった)


 確かに強いが、異常な強さなのは一人だけだ。

 銃弾を払い落とすような真似が出来るのは若い男一人。


「ぬおぉ!」


 石が掠めたにも関わらず、大男が猛然とゲイルに突っ込んできた。

 そして廻し蹴り。

 丸太のような足が凄まじい勢いで、ゲイルの体の中央辺りを通り抜けていった。


「核がない」


 何の話だと思うが、計算が狂ったらしい。


「ラザム!」


 ゲイルを蹴りぬいた足のあたりの服が少し溶けている。

 速かったが、ほんの少しだけゲイルの消化液の効果があった。



 大男は警戒するようにバックステップで距離を取るが、安心する間もなくその背中を飛び越えて女が躍りかかってきた。


(あれは!)


 手にしているのは、見覚えのある神洙草。その枯草。

 やはり持っていた。ゲイルに対する有効な手段として準備していたのか。


「これでも食べれば!」


 それはごめんだ。

 投げつけられたそれに対してゲイルは、自分の体の一部を切り出して吐き出す。

 ぺっと吐き出されたゲル塊が、神洙草の出涸らしと衝突して蒸発した。


「うそっ!」


 今度はこちらの番だ。

 飛び込んできた勢いでゲイルの目の前に着地した女を、体の粘液全体を倒すようにして飲み込む。


「あっぶぁ!?」



(まず一人!)


 一気に消化を、と思う間もなかった。



 若い男の踏み込みからの一撃は、カイザーアントの一撃よりも早く、重かった。


(中の仲間ごと!)


 幸運だったのは、幸運だったのは、飲み込まれそうになって逃げようと反対を向いていたこと。


 仲間の下に戻ろうとして。

 そこに立つ若い男が剣を構えるのを見て、咄嗟に自分の武器で自分を守ろうと体の前に二本の短剣を構えたことだろう。


 ゲイル諸共に斬られそうになった彼女を、交差した短剣が受け止めて、衝撃で後ろに吹っ飛ぶ。

 彼女にへばりついたゲイルもまとめて、その衝撃で後ろに吹き飛ばされた。壁に叩きつけられるゲイルと、その前に転がる女。



「うっげほっぶっ」


 咳き込みながら、四つん這いで離れていく女の様子を認識しながら、叩きつけられた壁からゲルの体を収束させるゲイル。

 這い戻っていく女に魔法使いの少女が駆け寄り、彼らも一度体勢を整えようという様子だった。



(あの男……)


 強いだけではない。瞬時の判断で仲間ごと切り捨てようとした。

 リーダーとして当然の行いなのかもしれないし、結果として女は助かったが。



、それはどうなんだ)


 戻ってきたゲルの体を蠢かせつつ、ゲイルはそんなことを思う自分に心中で苦笑するのだった。


 

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