第24話 新大陸の若き勇者_1
「壊滅したって、不滅の戦神が?」
イリアが知る限り、彼がそんな声を出すのは滅多にないことだった。
驚き、戸惑い。およそ信じられないというようなやや甲高い声で聞き返してから、自分の口元に手を当てた。
自分の声の大きさに自分で驚いたようだ。
訪れた酒場でそんな話を聞いて、つい動揺して声を上げてしまった。
「ああ、結構前の話だぜ」
彼にその情報を伝えた相手はそう言って、ぐびりと酒を飲み干した。
――最近、不滅の戦神はどうしている?
その質問に答えた形だったが、返ってきた答えは珍しく彼――シフィークの心を大きく揺らしたらしい。
「まあ、誰もあいつらのことなんざ同情してねえ。喜んだ奴の方が多いってのは間違いねえな」
「あ、ああ……そうだろうな。ありがとう」
構わんぜ、と言いながら杯を掲げて去っていく男。その一杯はシフィークの奢りだったので、情報料とすれば十分すぎたのだろう。
男が去ってからも、シフィークは少し信じられないという顔で息を吐いた。
「知ってるの、シフィーク?」
彼の様子に意外そうに訊ねた目の前の女性――イリアに対して、一瞬だけ視線を外してから微笑を浮かべて頷く。
「有名じゃないか、不滅の戦神なんて」
「それはそうだけど」
シフィークの返事に不自然な気配を感じたのか、彼の隣に座る別の女に視線を向けた。
「知り合いみたいな驚き方だったから。ねえ、マルセナ」
「シフィークが大きな声だすのは珍しいですもの。わたくしもびっくりしました」
マルセナはシフィークに体を寄せて首を傾げる。
マルセナは若い。シフィークから見れば10歳近く年下のはずで成熟した女性ではないが、どこかその仕種には艶を感じさせた。
男女の関係のある間柄。
シフィークが、冒険者としての力量とは別にマルセナを連れている理由は明白だ。
彼ほどの冒険者であれば、いくら才気に溢れるとはいえ駆け出しの少女を同行させる必要はないはず。副次的な意義がある。
「わたくしより長くシフィークと付き合っているイリアでも見たことないんですね」
「そうね、戦っている時以外では、シフィークの驚く声なんて滅多に聞かないから」
ベッドの上でもね、とは言わない。
年少のマルセナが、先輩であるイリアにシフィークの寵愛を受けていることを誇示しようとする態度は理解している。
まだ幼い。彼がマルセナにどんな甘い言葉を囁いているのか、大体想像は出来た。自分も聞いてきたのだから。
イリアとしては決して面白いわけではないが、シフィークが望むのなら今はそれでいい。
そうして夢を見て、そして去っていった女たちをイリアは知っている。見てきた。シフィークの傍で。
(捨てられた、の方が正しいわね)
何も知らないマルセナの瞳が、憧れと熱情を伴ってシフィークを見つめる姿を見て、暗い優越感に浸る。
彼女が残るのか、捨てられるのか。マルセナについてはおそらく後者になると思っているが、自分は違う。
身勝手な行いを許されるシフィークと共に冒険を続けてきて、今も同行している女は自分だけだと。
「知り合いってわけじゃない」
二人の女の想いを察しているのかどうか、シフィークは気を取り直すように杯を傾けた。
「昔、まだマルセナより若い頃に見たことがあるだけだよ」
「こっちにいたんだっけ?」
イリアの質問に頷いたシフィークの苦笑いを見て、あまり話したくないのかと察する。
シフィークとの付き合いも七年になるし、それなりの親密さもあった。
「南部にいたんですか?」
知り合ってから一年足らずのマルセナにはわからない。
そういう機微がわからない少女に苛立ちを覚えると共に、反対にやはり彼のことがわかっていないのだと見下す気持ちもある。
新大陸の冒険者の中でも頂点に数えられるシフィークのことを、自分の方が理解していると思えば悪くない気分だ。
「人の過去を聞きたがるものではない」
ぼそりと、イリアの横から声が発せられた。
先ほどまで黙って水を飲んでいた男だ。黒一色の貫頭衣を身に着けた大男。
静かにしていると存在していることをつい忘れる。
「いいんだ、ラザム」
不安げにシフィークと男を見比べたマルセナを庇うようにシフィークが少し明るい声で応じた。
気に食わない。
小娘の気持ちを慮ってフォローするなど。イリアに対してならそんなことをしないのではないか。
やや乱暴に卓にあった杯を手にして、一息に煽る。
「同じのもう一杯ちょうだい!」
「飲みすぎじゃないですか、イリア」
誰のせいだと思っているのか、マルセナの責めるような言葉に、再度シフィークから構わないという声がかかった。
彼はわかっている。彼は、イリアの気持ちがわかっている。
新大陸最高位の冒険者ともなれば女が寄ってくるのは仕方がない。イリアはそれを咎めるつもりはないし、口出しする権利もない。
シフィークの行動は許される。それだけの力があり、名声を得ているのだから。
いずれ一線を退く頃には、どこかの町の領主側近などという形で迎えられるのではないか。
ただの荒くれものの冒険者と違ってシフィークは理性的だ。女性関係はだらしないが、それも若く才能あふれる男とすれば不思議な話ではない。
イリアはそれを理解して、許容して、彼にとって都合の良い仲間として付き合ってきた。
「南部にいたのは本当にマルセナくらいの頃だけさ。僕はまだ新米の冒険者で、不滅の戦神はその頃にはもう結構有名なパーティだったから」
一度見たことがあるだけだよ、と。
先ほども言ったことを繰り返したのは意味があるのか。
シフィークの言う通りだとすれば十年以上前ということになる。今では勇者の序列にある彼が新米だった頃など想像も出来ないが、新米の頃には誰にでも苦い経験の一つや二つはあるものだ。
彼が聞かれたくないことを聞くほどイリアはバカではない。
「それにしたって、不滅の戦神ってあれでしょ。評判は最悪だけど腕は一流の三人組っていうんだから」
過去の話ではなく今の話に誘導した。
今でもないだろうが、少なくともシフィークの過去とは関係がない。
「黒涎山でブラックウーズなんかにって、有り得るのかしらね」
「……わからないな」
シフィークは頭を振った。彼の記憶の中の不滅の戦神も、そう簡単に死ぬようなイメージではないらしい。
ブラックウーズというのは暗がりに出没する魔物で、洞窟などにいけば当たり前にいる。
黒涎山はこの町から数日の場所にあるモンスターの巣窟で、およそ六十年ほど前にそこに入ったパーティが壊滅しつつ持ち帰った情報により多少の賑わいを見せた魔境だ。
曰く、メラニアントの大群がいる。
曰く、巨大なブラックウーズがいる。
曰く、洞窟の奥にはグィタードラゴンが住んでいる。
それらの情報と共に、生き残った冒険者が持ち帰ったもの。
千年以上、月明かりだけを溜め続けた泉に生育すると言われる神の植物。その末端だった。
伝説にしか伝えられないそれだったが、男が持ち帰った神洙草の噂を聞いた豪商が、娘の病気が治せるのならとそれを買い上げて与えたことで本物だと知られた。
万病に効く薬になるということで、それを採取に行く冒険者もいた。
ただこういう場合には得てしてよからぬことを思いつく者もいて、神洙草と偽ってただの野草を煎じたものを高値で売るなどの詐欺も横行。
結局、本当に必要な者が、信用できる冒険者などを雇って採取に行かせるという程度に落ち着く。
洞窟内部については、労力に見合わないという理由でほとんど手つかずの状態だった。
「ブラックウーズですか。イヤですわね」
マルセナが、その姿を想像したのか小さく肩を震わせた。
半年ほど前に、ブラックウーズの群れに溶かされかけていた人間の死体を見たことがあった。思い出したのだろう。
マルセナの魔法で、死体もろともに吹き飛ばしてしまったのだが。
「また吹っ飛ばすのはナシよ。あんたにへばりついた粘液を取るの大変だったんだから」
「も、もうやりませんわ!」
失敗を思い出して顔を赤くしながら言い返すマルセナ。
まだ発展途上の、だが滑らかな肌触りの胸の間に滑り込んだ粘液を拭き取るのが、どれだけ面倒で不快だったか。
暴れるマルセナに、意地悪で粘液を塗りたくってみたりもしたが、その程度の憂さ晴らしは許してもらう。
「いるのか?」
不意に、黙っていたラザムが疑念の声を上げる。
彼の言葉は短く、要領を得ない。
「いるかって……ブラックウーズ? そりゃあ洞窟ならいるでしょ」
「とっても迷惑ですけど」
「巨大な……人間の倍のブラックウーズがいるのか?」
ああ、とラザムの疑問を理解する。
噂に言われるような巨大なブラックウーズが存在するのかと言われたら、それは眉唾だった。
「見たことないわね。っていうか、あれそんなに大きくなれるの?」
「いつも潰れているので大きさってよくわかりませんけど」
考えてみて、あまり思いつかない。
見たことがあるのは、人間の膝よりも低い位置で蠢く粘体。ナメクジのように這いずりながら、腐肉などを溶かして啜っている。
複数のものが重なっていることもあるが、それでも下半身より大きいものは見たことがない。
横幅を含めて、人間との体積を比べることは難しいのだが、人間の倍の大きさと表現される形は想像しにくかった。
「僕も昔、その噂を聞いたけど。やっぱり有り得ないかな」
シフィークが言えば全員が頷く。彼がこのパーティの中心だ。
「ブラックウーズは一定の大きさになると自分の体を支えきれなくなる。そうすると二つに分裂するって話だから。黒涎山の伝説は、たくさんのブラックウーズの群れを見たんじゃないかって話だよ」
腐肉を食らい、体を増やして分裂する。おぞましい生き物だ。
見つけ次第駆除したい魔物。物理的に始末するには、中心核ごと吹っ飛ばす必要がある。
そうすると魔石が取れなくて無駄な労力になるので、普通なら外側から焼いて炙って殺すのだが。そうすれば焦げた体の内側から魔石が取れるので。
「炎の魔法、またバカみたいに強烈なの使わないでよ」
「わかっていますわ! イリアに言われなくっても」
それならいいのだが、差し迫ると何でも全力を出そうとするマルセナの行動には何度も困らされてきている。
何度でも言ってやらないといけない。脳への栄養が性欲に向かっているような女なのだから。
女同士の言い合いに苦笑しながら、シフィークは空っぽになった杯の底を見つめて呟いた。
「それとも、違う何かなのか」
ラザムはそれを聞いていたのか、やはりシフィークと同じく自分の杯の底に溜まった濁りを見ながら、何も言わなかった。
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