第25話 新大陸の若き勇者_2
シフィークは勇者だ。世間ではそう言われる。
新大陸の未開地を切り開き、人々にさらなる発展をもたらす勇者だと。
人間がこの新大陸に入植してから百五十年になる。
西南の一角から始まったそれは、瞬く間に西部を、南部を、人々の生活圏にした。
新大陸にいた影陋族などの原住民を従えながら、活動範囲を広げていく。その中で魔境や原住民の集落などの問題はいくらでもある。
それらを解決するための冒険者だ。時には大規模な作戦で協力することもあるが、基本的には大体がチーム単位でまとまって行動している。
単純に分け前が減るから。
人間の成長は早い。
影陋族と比べて三分の一ほどの時間で成熟し、その数を増やしていく。
これは身体的な成熟という意味とは別の意味でも、その成長速度の明らかな違いがあった。
魔物を倒すと、その体内に魔石ができる。
これは人間にとっては周知の事実だった。
魔物が死にあたって体内のエネルギーが魔石となる時に、漏れ出すエネルギーがある。
無色のエネルギーという呼び名が付けられているそれは、魔物を殺した者に吸収されて、その力となる。
魔物を多く殺せば殺すほど強くなる理由を、過去の学者が解明した結果だ。
そのエネルギーによる成長も、影陋族と人間とでは三倍以上の差があった。
人間が三百匹の同じ魔物を殺すと、おおよそその魔物一匹と同等の力を得られるという。年齢的な衰えは別として。
影陋族の場合は、一千匹でそれと同等になる。成長速度が遅い。
長寿であるが故のことなのかもしれないが、この事実は人間と影陋族との戦力差に大きく影響した。
もともと影陋族は自然との対話などと言って無暗に魔物を殺そうとしなかった為、その差は広がる一方だったのだ。
既に新大陸の半分以上が人間の支配下となり、原住民は極寒の北部と辺境の東部に追いやられていた。
それとは別に、人間に従属する形で存在する者もいるのだが。
シフィークは、勇者と呼ばれる。
強いから。だから勇者としての扱いを受けられる。
その強さがどこから来たのかといえば、これも単純な話だった。
シフィークは、人間の中でもさらに成長が早い。魔物を倒した際に吸収するエネルギーの効率が、他の人間の三倍ほどだった。
だから若くして一流の冒険者と認められたし、強くなったことでさらにその成長は加速した。
今ではシフィークの名を聞いて知らない者など、よほどの田舎者くらいだ。
そんな彼でも、駆け出しの頃はあった。新米で、まだ強くなる前――と言ってもそれなりには強かったが、他を圧倒できるほどの強さがなかった頃。
「……くそっ」
思わず言葉が漏れる。
計画が狂ってしまったことに、暗い部屋で一人になってつい汚い言葉が口から出た。
その彼の言葉にびくりと震える影がある。
一人になったシフィークの部屋で、隅で震える影。
人間ではない、一匹の影陋族の姿があった。
戯れに短く切り裂いた黒髪に、怯えるように震える赤い目。
苛立つ気持ちを静めようとシフィークはなるべく静かに呟く。
「跪け」
白い首輪をした影陋族の少女が、宿の部屋の床に膝をつく。
そこに向けて、粗末な干し肉を投げた。
「這え」
襤褸切れを纏った少女が、干し肉の投げられた床に這いつくばる。
下賤な生き物だが、所有者として餌は与えなければならない。
「食え」
床に這い、投げられた干し肉を咀嚼する影陋族の少女。
見苦しい。愚鈍な生き物だ。
だがシフィークの言葉に素直に従うことには価値がある。
決して女としての魅力は感じないが、上位者の命令に従うという行為は見ていて落ち着くものだ。
「汚いな。食べかすを床に残すなよ」
這いつくばって食べているせいで食べかすが床に零れている。命令に従い床を舐めてそれらを食す姿を見ながら、シフィークは自分の感情を整理した。
「あのクズどもが今も偉そうな顔していたら、僕が殺してやったんだけどな」
計画が狂ったことに再び怒りを覚えないでもないが、少しだけ考え直す。
「まあ似合いの末路か。洞窟でおぞましい魔物に食われて死ぬなんて、奴らにはちょうどいい」
ブラックウーズに食われている死体を少し前に見た。あれと同じだとすれば、実に陰惨な死に様だと言えよう。
憎い男どもの顔をその記憶に当て嵌めてみると、少しばかり涼やかな気分になる。
その姿が見られなかったことは残念だが、その頃は大陸西部方面に行っていたのだから仕方がない。
十分な力を蓄える為と、もう一つの目的も果たした。
天然の、影陋族の奴隷。
集落の一つを潰して、その中から一匹を奴隷として呪枷を付けた。
人間が影陋族を支配するようになってから、影陋族は数を大きく減らした。このままでは西部、南部の影陋族は絶滅するというほど。
影陋族は人間と近い容姿で長寿の生き物だ。それらを惜しむ声もあった。
主に金持ちの愛玩用に、影陋族の交配、繁殖をさせる施設がある。そこで養殖されたものを買うことも出来るが、どうせなら
あの時に、とシフィークの脳裏に思い出される情景がある。
かつてまだ自分の力が不十分だった頃。
自分の連れていた少女の冒険者を、あの三人組に奪われた時のことだ。
ちょっとした正義感と、悪者退治という安易で愚直な発想で首を突っ込み、返り討ちにあった。
連れの少女については、もう名前も思い出せないが、シフィークを叩きのめしたついでの戦利品として奪われた形になる。後で戻ってきたが、何を話したのかも覚えていない。
その女のことはどうでもいい。
影陋族がいた。
三人組――不滅の戦神は、一匹の影陋族を連れていた。
正直なところを言えば、あの時はシフィークも若かった。影陋族のそれを美しいと思ってしまった。
悪行三昧の三人組を倒せば、ついでにそれも手に入ると思って挑んだという事実も、シフィークは認められないが、実際はそうだった。
その時の意趣返しと、自分用の影陋族の奴隷を欲してみたのだが。
いざ手に入れてしまえば、天然というか野生の影陋族などどんな病気を有しているか知れたものではないし、人間未満の物に欲情する気にはなれない。
だからこうして、世間では勇者と称えられるシフィークの精神の波を安定させる為に使っている。
使い道があれば道具として所有していてもいい。
「それにしても、ブラックウーズか」
駆け出しから不滅の戦神に絡むまでの短い期間だったが、シフィークはこの辺りで冒険者をやっていた。
だから黒涎山の話は聞いたことがあったし、その巨大なブラックウーズの噂も耳にしていた。
西部や、元大陸から入ってくる話から、それに類似する噂を聞いたことがある。
「神話、だな」
噂話というにはやや荒唐無稽な、神話伝承の類の話の中に。
「
その言い伝えは、誰も見たことがない為に、嘘か本当か知りようのない話だった。
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