第13話 他者に映る己_1
じゅるじゅると啜るように食事をするゲイルを、彼女は黙って見ていた。
少女のようにも思える一方で、長い時間くたびれた人生を送ってきたようにも感じられる。
小柄であることはわかっているし、ゲイルに向けてお母さんと呼んだことを思えばやはり老女ではあるまい。
まあ老女なら、今ほどの男どもが彼女に強いていた行為もおかしいので、やはり年若な女の子なのだろう。
「……」
見ていて楽しいのだろうか。人間が溶かされて食われる姿は。
(ただの人間ってわけじゃないか)
彼女を苦しめていた人間だ。見ていて楽しいのかもしれない。復讐心とか。
暗い洞窟でゲル状生物に食われる憎い男の末路を、恨み言を口にするでもなく見ているだけ。
そういえば、人間は殺しても体内に小さな石が出来ない。その代わりなのか、摂取できるエネルギーが多いように感じる。
「……」
食事をじっと見られるというのは落ち着かない。ゲルだって落ち着かない。
何か悪いことをしている気分だ。人間の目から見たら相当なものだろうが、まあこれは自然の摂理。
もぞもぞ、と触腕を伸ばして男どもが残した荷物を漁る。
食料があった。当然準備しているはずだった。。
それを少女の前に置いてみる。
(自分だけ食べてるのは落ち着かないんだよ)
目の前に少女を置いて、自分だけ食事をしているだとか。
人の心は忘れたはずだが、こうして他人を前にしてみるとそんな感情が沸き起こるから不思議だ。
他人とは自分の心を映す鑑だとか、そんな名言があったかもしれない。
他者と相対することで己という生き物が見えてくるのだとか、そんな感じだった。
「……」
食料があるのが見えていないのだろうか。
そう思うくらい、彼女は反応を示さない。
見えていないのだとすれば物音に反応しそうなものだ。見えていて反応しないのか。
少しだけ身じろぎしたかと思うと、首に巻かれた白い首輪を気にする動作をした。
(首輪、ね)
奴隷なのだろうと思う。
少なくとも男どもの扱いは対等な人間へのそれではなかった。
着ているものは襤褸切れだけ。それにしてはその首輪だけは少し上等な造りをしているように感じられる。
何か意味がある。
(魔法とかもあるなら、何か強制的な命令を出来る道具なのかもしれない)
手を伸ばす。ゲル状の触腕を。
少女は反応を示さない。逃げようとしない。
男どもが食われているのを見て、次は自分だと思っているのか。
むしろその様子は、ゲイルがそうすることを望み、受け入れようとしているようだった。
(食べるのはいつでも出来るけど)
首に手を回す。
白い首輪に、ゲル状の自分の手を這わせる。
首輪の内側は細かい棘のように彼女の肌に噛みついていて、中で炎症を起こしていた。痛いだろう。
(かなり頑丈だな。継ぎ目もないし)
どうやって取り付けたのかわからないが、首輪にはどこにも繋いだ箇所がない。
やはり不思議な力を持った道具なのか。無理に外そうとすれば少女の首を傷つけ、場合によっては重要な血管を切ってしまうのかもしれない。
奴隷の首輪。
(こんなもの、とりあえずもういらないだろ。食べるにしても邪魔だし)
時間をかけて首輪を溶かす。
急にやろうとすると少女の方も溶かしてしまいそうだったので、ゆっくりと。
少女はゲイルが自分を食べようとしているのだと思ったのか、やはり何も言わずにゲイルをただ見つめている。
「……あ」
小さな声が漏れたのは、首輪が外れたから。
今まで自分を締め付け、痛めつけ、縛ってきた枷が外れる。
ゲイルが触腕を引くと、自らの手で首周りに触れてみていた。
まだ傷跡は残っている。ずっと残ってしまうかもしれないが、少なくとも彼女の首に食らいついていた枷は外れた。
暗い洞窟の中。枷から解放された少女と、捕えた獲物を消化するゲイルが無言で向き合う。
ぴと、と。水滴が落ちる音が響いた。
「母さん」
(いや、だから母さんじゃねえって)
たまたま覚えている中の言葉だったので理解できるが、間違いを指摘することは出来ない。
ゲイルには発声器官がない。それに父の場合になんて言うのかを知らない。
(いや、父親でもねえし)
自分の思考に思わず苦笑する。顔もないゲル状の体なので、心中で苦笑する。
つい父親だと主張するところだった。
「母さん!」
強かった。
声は静かだったが強い語気でそう呼ぶと、少女はゲイルに飛び込んでくる。
そのゲル状の体内に。
(うぉっとぉ!?)
まだ体内に残っていた男どもの肉を後ろに追いやりながら少女を受け止める。
どぶん、と。
小さな体をゲル状の体内に飲み込みながら、どこも痛みがないように適度な弾力で包む。
消化もしない。
(って、出来るか?)
今まで体内に取り込んできた生物的な物は全て消化してきた。
意識的に消化を遅らせることは出来たが、完全に消化しないということが出来るのかどうか。
(ええい、とにかくとにかく。食べちゃダメだ。食べちゃダメ、これは食べない)
念じる。念じれば叶うというものでもないかもしれないが、とりあえず意識を集中する。
後ろの方の男どもの死骸は消化してもいい。前の方はダメ。
胃の中ではなくて、口の中で転がすように。そういえば魚には口内で子供を危険から守って育てるタイプがいたはず。
そのイメージで。
(……)
そっと口を開けて、少女の顔がゲイルの体内から出るようにした。
にゅるっと少女が顔を出して、やや粘りのある液体で濡れた髪が重力に沿って垂れる。
「……母さん」
もうどうでもいいや、という気分になってきていた。
たぶんゲル状生物には雄雌の区別はないだろうし、呼び名にこだわる必要もない。
なぜこの子を溶かさないように気を遣ったんだかわからないが、何とかなったようだった。
とりあえず、ゲル内に捕えた彼女の口元まで食事を突き付けてみる。
クッキーというか小麦粉的な物を練り固めて焼いた保存食のようだった。
「……んむ」
食べる。
他にしようがなかったのか、観念したように口を開けてクッキーもどきを齧る。
口に入れてしまえば、体が空腹だと訴えるのに逆らえなかったのだろう。
あっという間に頬張って口いっぱいにもごもごしている。
ゲイルの食事風景と少し似ていることをおかしく思う。
(おかしい、ねえ)
そうだ。おかしい、面白いと感じていた。
こんな粘液状の地べたを這いずるモンスターになってみて初めての感情。
生存に関わる危機感や安堵とか、敵に対する怒りや憎しみとは違う。楽しいという感情が芽生える。
(これが、感情……これが、涙……?)
なんて思うわけではないが。とりあえず自分の中にこのように感じる部分があったのかと。
救えないこんな生き物の体で、薄暗い洞窟の中で。
少女の体には傷跡が確認できる。ひどい扱いを受けていた小さな身に刻まれた傷が、その体を包み込むゲイルにはわかってしまう。
救えない。
ゲル状生物のゲイルに、本当の意味で彼女の人生を救うことなど出来ない。
出来ることがあるとするなら、なるべく苦しまずに本当の母の下に送ってやることくらいか。
「ん、ぐ……」
乾燥した粉っぽい食料を頬張り過ぎた彼女に、荷物の中から水を取ってやる。
「ん、んっく……ふはぁ」
息を吐く少女に、なぜかゲイルの肩――肩に相当する部分も安堵するように下がった。
少女は、ゲイルが彼女の為にそうしたことを疑問に思ったように、また無言でじっと見つめてくる。
赤い瞳の中に、黒っぽいゲイルの姿が映っているのを、ゲイルは見ることができない。視覚がない。
ただ少女の動作は文字通り手に取るようにわかる。
「……母さん」
人間の言葉を覚える教材にもなる。差し当たり食べ物に飢えているわけでもないから、このままでもいいかと。
(母さんじゃねえけど)
少女の瞳にゲイルが映るように、ゲイルの体にも少女の姿が映っていた。
ゲイルにはわからなかったが、不定形のゲルに映り込む少女の姿は、場合により大きく見えていたのかもしれない。
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