第7話 初めての人間_2
「逃げろウルバ!」
彼らが何を言っているのかはわからない。
ただ、大トカゲに出会ったことは彼らにとって災難だったことは間違いない。
大慌てで逃げ出そうとしているが、あの大トカゲはゲイルほど鈍くはない。即座に背中を向けてさよならというわけにはいかなさそうだ。
一人の剣士らしい男が対峙して斬りかかっていったが、体格差がありすぎる。
その剣撃も力の乗った重い一撃だったように風切り音からは感じられたが、大トカゲの鱗で弾かれていた。
他のメンバーが荷物を搔き集めて逃げようとしている中、その剣士ともう一人だけが大トカゲに向かっている。
もう一人は、少し距離を置いているようだが。
「いと巌しき壁の守護を!」
何かを叫ぶが、ゲイルには意味がわからない。
だが、剣士を襲った大トカゲの爪が、空気中に突如現れた壁により遮られたのを、音と空気の流れで感じる。
(魔法?)
不可思議な現象だった。この洞窟内であのような現象を見たことがない。
そんなことができるのか、と。先走って襲い掛かったりしなくて良かった。
「もういい、逃げるぞウルバ! コーズ!」
一斉に、という所だが、既に一人は駆け出している。足音を忍ばせるやつだ。
「コーズ、そっちはダメだ!」
「無理です! 後で合流を……」
彼らが言いかけている間に、大トカゲが息を吸い込み終わったのがわかった。
当然、その後には――
「ゴオオオオォオォォォオォォォォ!」
猛烈な火炎が吐き出されると、大トカゲの前方を焼き尽くそうとする。
先ほど空気中に現れた壁がまだ残っていたようで、いくらかはそれに跳ねのけられ、そして壁が霧散した。
炎で気流が乱れて、状況が掴みにくくなる。
ゲイルが隠れているのは彼らが戦っている場所から離れた小道だ。大トカゲが入ってくるには狭すぎる道。
体積で言えばゲイルにとっても窮屈な場所なわけだが、不定形のこの体であれば関係がない。
人間たちが歩く程度には問題がない。当然、この細い道に逃げ込んでくる。
数は、三人。
少し感覚を研ぎ澄ましてみると、別方向に向かう足音も響いていた。大きな道の方だ。
もう一人は、どうやら今の炎に焼かれて息絶えたようだった。大トカゲがその死体を咥えて、ごくりと飲み込む。
とりあえず一人を食べた大トカゲは、大きな道を逃げた人間を追うことを選んだようで、ゲイルのいる場所からは離れていく。
(こっちが一人の方がよかったけど)
獲物をきっちりと仕留めるのなら一匹ずつがいい。
とはいえ、こうして慌てて逃げてくる獲物というものを見過ごす手もない。
まあ見過ごそうとしたところで既に遅いのだが。
ゲイルはその小道の窪みにゲル状の体を這わせて水溜まりのように待ち構えていた。先頭を逃げてくる足音が近すぎた。
「うっぶわぁっ!?」
ゲイルの体に足を突っ込んだ男が盛大に転ぶ。
転んで、ゲイルの体に頭を突っ込んだ。
荷物を周囲にまき散らしながら、ぬかるみのようになっていたゲイルの体の中へ。
「ぶ、ぶぐぁぇ、ぼ……」
もがく男だが、逃がすわけにはいかない。これほどうまく獲物がかかるのも珍しいくらいだ。
(完璧)
呼吸をしようともがく男を、そのまま体内に取り込んで窒息させる。
生きたまま捕食した方がエネルギー摂取とすればいいのかもしれないが、この後もあるのだ。遊んでいる余裕はない。
少し遅れて走ってきた人間二人がゲイルの前で足を止めた。息を飲むように、空気が凍る。
最初の男が落とした松明が転がっていた。
それに照らされたゲイルの液体状の体の中に、もがきくるしむ仲間の体がある。
「あ……あぁ……」
「ブラックウーズ、じゃと……? このような、でかさで」
何となく、色の対比がわかる。
松明に照らされて、その光の吸収率で色がわかる。彼らの肌はそれなりに反射するが、ゲイルの体は光を反射しにくい。
自分はきっと黒いのだろう。
暗いのだろう。
「しっかりせんか! ええい、祝焦の炎篝より、立て焼尽の赤塔!」
片方の人間が何事かを叫んでゲイルに武器を向けた。
(っ!)
その武器から炎が噴き出す。
大トカゲまでではないが、まぎれもない炎が。
(あつい! いたい、いたいっ)
直撃された。大トカゲの炎ほどではないとはいえ、正面から直撃というのは初めての経験だ。
ゲイルの体の表面が焼け、体積を減らす。
(魔法って……喋るだけでそんなことが出来るなんて)
さらに男が何かを叫ぼうとする。
ゲイルは咄嗟に、自分の中に取り込んでいた男を吐き出した。
「あ、ああっ! チェイス、チェイス! しっかりしろ!」
魔法を使った方ではない男が駆け寄る。
魔法使いの方は、仲間に炎を当てるのをためらったものの、ゲイルから警戒を解かない。
次の一撃を放とうと、タイミングを窺っていた。
(ずるい)
ゲイルの中に感情の炎が揺れる。
(ずるいじゃないか)
自分にはそんな技はない。喋れないし、何もない場所に炎を出すような力はない。
(喋るだけで攻撃出来るなんてずるい! それは
激しい怒り。
命の危機以外には感情の起伏を感じなかったはずのゲイルが、強い感情で揺さぶられる。
理不尽な力で傷つけられたことに、怒りを覚えた。
暗い感情が、絶対にこの人間を許さないと訴える。
ゲイルは他の二人を無視して、その男に近付いた。這い寄った。
「知性の欠片もない汚らわしい魔物じゃ。死ぬがよい」
再び武器を向けられる。
近付いた状態で再度の直撃を受けたらまずいかもしれない。
だからそうはさせないのだ。
「うん?」
魔法使いが、後ろを見る。
誰かに呼ばれたように、わずかに首を回して。
「むごぉっふぐ!?」
その喉の奥にゲイルの手が突っ込まれた。
這い寄りながら、岩陰に伸ばした手で彼の背中を引っ張った。
後ろから呼びかけようとする者だとすれば、彼にとっては仲間なのかと思ったはずだ。
一瞬だけ注意が逸れた。
(喋らせなければいい)
その喉を塞いでしまえば、炎を出すことはできないだろう。
ずるい行いを許さない。
魔法使いがゲイルをどう思っていたのかわからないが、ゲイルには多少の知性がある。相手の行動を予測することが出来た。
口に突っ込んだ触腕ごと魔法使いを自分の体内に取り込む。
男の手から炎を噴出させた武器が落ちた。
「あ、あぁっ! ビラセスを離せ、この化け物め!」
ようやく立ち直ったらしい最後の一人が、剣を片手にゲイルに斬りかかってくる。
(剣か。どうなんだろう)
どちらにしても、この距離では回避できない。
ゲイルは自分の遅い速度を自覚している。彼の剣を避けることはできないとわかっている。
だが、斬られたところでどうなのか。
「うらぁ!」
にゅるり、と。
剣がゲイルの体を通り過ぎていく。
斬られた時に剣に引っ付いた粘液が飛び散って、ほんの少しゲイルの体を減らした。
「こ、この!」
もう一度の攻撃は、動揺のせいか雑で、ゲイルが取り込みかけている魔法使いの男に傷をつけた。
「むうぅぅぅ!」
悲鳴とも抗議ともつかない呻き声が上がる。
「す、すまないビラセス。どうすれば……そうだ!」
剣では意味がないと思ったのか、男はばっと周囲を見回して落ちていた松明を拾った。
(ああ、それの方がマシだな)
剣よりは有効だろう。
ゲイルはぼんやりそんなことを考えながら、男の行動を見守る。
見守るというか、自分の動作が鈍重すぎて待ち構えるしか出来ないだけだが。
「これならどうだ!」
じゅうぅ、とゲイルの体が焼かれた。
「よし!」
効果があったと喜色を浮かべる男だが、しかし。
(……痛かったな。さっきの炎ほどじゃないけど)
松明を液体につけたらどうなるのか。
そんなに難しい話ではないと思うのだ。このゲル状生物が考える限り。
「あ、あっと……ひぃ」
当然、消える。酸素の供給がなくても燃え続けるようなことはないらしい。
消えた松明に混乱する彼の手から、その松明を奪い取る。
食えるだろうか? 食えるかもしれないがやめておこう。嫌な臭いがするし。
ぽいっと、そこらへ投げ出す。
最初に捕まえた男に当たって小さく呻いた。まだ生きている。
魔法使いの男は既に意識を失いかけていた。そうすると、残るのは一人。
「あ、ああっ……」
最後の一人は、頭を振りながら後ずさる。
ゲイルに取り込まれた仲間と、地面に倒れている仲間を見て、もう一度震えながら頭を振った。
「……すまん」
謝罪の言葉だったのだと思う。
「俺には、娘が……すまん」
ゲイルがそれを記憶している間に、男は背中を向けて逃げ出した。
途中、拾えた荷物だけを持って、走り去っていく。
(正しい判断だな)
彼が一人でこの洞窟を抜けられるのかはわからないが、ゲイルには追えるだけの速度がない。
少なくとも、このゲル状生物に殺されることだけはないのだ。
彼の攻撃手段ではどうやら有効打がなかったようなので、仲間を助けたいと思ったところで無駄なこと。
逃げた仲間を残された男たちがどう思うのかは別として、正しい判断だとゲイルは思う。
(さて、と)
炎の魔法で燃やされてちょっと熱くなってしまったが、どうやらゲイルの勝利のようだ。
残された食料をただ摂取してもいいのだが。
(……少しだけ、観察してみるか)
洞窟の奥の方から金属の音が響いた。一人だけ別方向に逃げた男だろう。
大トカゲの足音の位置と近い。どうやらあちらも無事に片付いてしまったようだ。
(あの大トカゲが強いのか、この人間が弱いのかわからないけど)
弱った大トカゲを捕食するという展開は難しそうだった。
※ ※ ※
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