第6話 初めての人間_1
しばらく、と言っても時間の感覚が曖昧。
それなりにまた時が過ぎたのだと思う。
ここが深い洞窟だと思っていたのは、ゲイルの主観的感覚だったからなのかもしれない。
何しろ移動速度が遅い。
ナメクジが這う速度よりは速いはずだが、時速どの程度かと言われたらよくわからなかった。
今の自分の体の大きさと比較するものが怪しい生物ばかりなのだから。大トカゲだって人間から見たら数センチなのかもしれないし、その場合にアリはそのまま蟻んこの大きさなのかもしれなかった。
だがそれが違うとわかる。わかった。
複数の足音と、
話し声だ。
会話をする生物が、ゲイルのいる場所に近付いてきている。
足音の響き方からすると、異なる質感のものが地面に接している。普通、同種の生物同士なら、足音の質感が異なるなどということはない。
靴を履いている。
(人間か)
靴を履いて二足歩行で移動している会話を行う生物だとすれば、何か多少の違いはあるかもしれないが種別とすれば人間系統だと思っていいのではないだろうか。
数は、五体。
一人は足音を忍ばせるような靴を履いて気を付けている。
(野生の感覚には意味がないな。人間同士ならわからないかもしれないけれど)
洞窟に潜み住むよう出来ているゲイルにとっては、その程度の忍び足は児戯にもならなかった。
地面に接触しているゲイルの体全てが聴覚の役割も果たす感覚器官なのだから、鋭敏に知覚出来るのは当たり前なのだが。
五人は何かしらの報告らしい言葉を交わしながらゲイルのいる方へ近づいてくる。
大きさは、およそアリと同じくらい。
あのアリは大きいと思ったが、人間と同じくらいの大きさということになる。そしてゲイルはその倍の体積で、大トカゲはさらに倍以上。
何を喋っているのか言葉がわからないが、何かの足跡があるだとか何かを拾得したとかそういうことを報告しているようだ。
(洞窟探検家とか冒険者とか、そういうのだな)
足音の他にも金属の音がするのは武器や何かだろう。
彼らは松明を掲げていて、そこから何かイヤな臭いが広がっていた。
その臭いのせいか、洞窟に広く分布するアリが寄ってこない。便利なものがあるものだ。
ゲイルもその臭いは嫌いだが、逃げ出すほどでもなかった。彼らより大きな体だが、壁の隙間にぬるりと入ってしまえば見つかることはなさそうだった。
「※$#$&~?」
意味の分からないことを言いながら進んでいく。ゲイルの潜む前を、そのまま奥へと。
松明の灯り程度では凸凹だらけの壁の隙間など見えないだろうし、見えてもゲイルが動かなければただの水溜まりのように思うかもしれない。
彼らの武器がゲイルを傷つけられるのかどうかは不明だったが、燃えている松明を当てられたらダメージになるだろう。
体の大きさでは勝っているが、数では圧倒的に負けている。それにどのような攻撃手段を持っているのかも不明だ。
そのままやり過ごす。
彼らの進む先には、ゲイルが警戒する別のものが待っているのだから、やり過ごして彼らの行動を観察してみようと思ったのだ。
あわよくば、どちらかが死体になれば食べられるかも、という気持ちもあった。
※ ※ ※
パーティ『剛の連星』はこの数年間で有名になった五人組の冒険者だ。
リーダーのガランは二十代後半の男性で、彼が中心となってメンバーを集めた。
ガランと同じく接近戦を得意とする戦士のウルバと、斥候のチェイス、治癒と防御を担当するコーズに魔術士のビラセス。
全員を男で組んだことで面倒もない。男という理由だけではなく腕が立つとガランが認めたから組んだわけだが。
女関係で揉めるのは厄介だし、パーティ内に異性がいると気を遣うこともある。命がかかっている時にその遠慮が命取りになることも。
だから最初から本音で話せるような相手だけを選んだ。そしてそれは間違いではなかったと、ガランはそう思っている。
「大したお宝はなさそうだ。メラニアントの大群ってもこの針木の松明さえありゃ姿も見せねえし」
「メラニアント以外にもモンスターは出る。注意しろ」
「へいへい、まあ伝説の魔神でも出てくりゃ面白いだろうに。おっと」
軽口をたたく斥候のチェイスを窘めるが、愚痴っぽい言葉が止まらない。
「あのな」
「まあまあガラン、チェイスの気持ちもわかりますよ。ここまでまともなモンスターの一匹とも遭遇してないんですから」
「コーズの言う通りじゃな。黒涎山の風穴などと恐れられておったが、噂だけじゃったかの」
「ビラセスまで……こういう時が一番危ないんだぞ。なあ、ウルバ」
「……ああ」
ガランの言葉に低い声で頷き返したウルバに、他の三人がやれやれと顔を合わせた。
彼らの気持ちはわかる。ガランとて同じような気分だが、リーダーとして言わなければいけないから言っている。
チェイスが軽口を叩きながらも己の仕事はきちんとこなしているのもわかってはいるのだが。
「少し休もう」
「そうしようぜ。戦闘よりも持ってきた荷物でくたびれるわ」
少し開けた場所に出たのでガランがそう言うと、チェイスは真っ先に荷物を置いて腰を下ろした。
全員、荷物が多い。
不満の一つはこれだ。準備を万端にと思っていつもより多めの荷物になっている。
黒涎山というのは、近隣の町から歩いて数日程度というそれほど遠くない場所にある山で、長いこと人が踏み入ることがなかった魔境でもある。
それほど遠くないのに、人が入らない。
実際には向かった人間もいたのだが、帰らぬ人になったり、命からがら逃げだしたりしてその山の中がどうなっているのか不明だった。
メラニアントというのは非常に大きなアリのモンスターで、何より恐ろしいのは大群で襲ってくることだ。その巣があるというのは聞いていたから、メラニアントが最も嫌がる臭いを出す松明を大量に買い込んできた。
それ以外にも、山の洞窟などによく出るタイプのモンスターがいるのではないかと対策をしてきたのだが、今のところは無駄になっている。
ラージバットなど大した金になるモンスターでもない。魔石だけ取ってもそれも二束三文だ。
いや、冒険者を始めた頃であればその魔石の金も貴重だったが、ベテランになった今では一回の飲食代金程度。
「女神と魔神の決戦の地なんて言っても、宝の一つもありゃしねえや」
「ここが何もない場所だったから女神も決戦地にしたって話だから、宝箱はないだろうさ」
遥か太古の時代に、女神と魔神が戦った場所だと言われている。
今進んでいる洞窟も、魔神の流した血で山が溶けて出来たのだとか言われているが、神話の時代の話でどこまでが本当なのやら。
「せめて魔神の角の欠片でも残っていてくれればいいんだがね」
「私は女神の遺物の方がいいですね。せっかくなら」
「違いないのぉ、ふぉっふぉっふぉ」
戦いの後、この山は火に包まれていたのだという。
百年の間燃え続け、火が鎮まったらその後はモンスターの巣窟になってしまったと。
ただ、場所的に辺鄙なところだったし、失われた財宝が眠っているというわけでもなく、誰もこの山に入る理由がなかった。
モンスターの巣などどこにでもある。
それに、この山がそのようになった頃にはこの大陸には
黒涎山はずっとそのままで、その後に近くに町が出来て、原住民の古い伝承からこの山が女神と魔神の決戦の地だったと知られた。
物好きな冒険者が探索してみたら中にはメラニアントの大群。探索の魅力もなく、ただ放置されていただけの場所。
「ここを踏破すれば、俺たち剛の連星もいよいよ魔境制覇の箔がつくってわけだ。楽な仕事ならそれでいいじゃないか」
「そうですね」
冒険者の仕事の一つ、人跡未踏の地の調査と報告。未知の世界を切り開くこと。
それを成し遂げたという肩書がつけば、今のような傭兵稼業よりもっといい仕事も出来るしこの先につながる。
冒険者としての名はある程度高まったからこそ、次の段階に進みたいと。
そういう中で、この新大陸に残っている魔境の一つであるこの黒涎山に目を付けたのだ。
運がいい。
メラニアントは確かに厄介だが、対策さえしてしまえば何も問題はない。
「おそらく、この山のモンスターはメラニアントにあらかた食われてしまったんじゃな」
「ああ、ビラセスもそう思うか」
「そいつぁラッキーだったな。じゃあ松明がなくなるまで安全に調査できるじゃねえか」
チェイスの言葉に笑いが起きる。
確かに、ここまでモンスターが出ないところを見ると、この洞窟内のモンスターは小さなものを除いてメラニアントの餌食になってしまったのだろう。
だから非常に数が少なく、針木の松明を燃やしているガラン達にはそのメラニアントも寄ってこない。
(やったな、これは)
油断するなと仲間には言うものの、ガランにもつい笑みが浮かんでしまう。
色々な噂話から敬遠されていたが、ここに来て良かった。楽勝だ、と。
「……」
ウルバが洞窟の奥を睨んだまま動かない。
暗い。松明の光では届かない闇の向こうを見つめたまま、彼の愛用の武器である大剣を手に握りしめている。
「ウルバ……?」
「来た」
彼が立ち上がる。
と同時に、闇の向こう側にぎらりと光るものがあった。
一斉に立ち上がり、それぞれの役割に沿って戦闘態勢に入った。
「で、でかい」
松明の光を反射するのはおそらく瞳だろうが、ガランの頭上よりかなり高い位置にある。
人間の四倍ほどの大きさの――
「光よ!」
ビラセスの声が響くと、かっと周囲に光が満ちる。
その巨体を照らし出したのは、正解だったと言えるだろうか。
「グィタードラゴン!」
「まじかよ」
洞窟の奥から姿を現した暗い赤褐色の巨体は、勇者の冒険譚に出てくるような領域の魔物だった。
※ ※ ※
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