第2話 物心ついたらゲル状の生き物_2
生まれ変わったと考えてから、少し違和感を覚える。
ずっとこんなことを続けていたような気がする――のではない。続けていた。
やや意識が明瞭になってきて、これまでのことを認識する。
どれくらいの時間なのかわからないが、決して短くない時間をこの泥の底を這いずり続けていたのだと。
はずみで。何かのきっかけというか、その時を超えた瞬間に自分を認識出来るようになった。
自我の芽生えというか、物心がつく瞬間というか。
それまでは生物としての本能として生きてきたものが、自己を認識する知恵を得た。
(大きさ、かな)
自分の体積が、這いずっている間に増えているのを自覚する。
比較するものがないのでどの程度かわからないが、成長したと実感できるものは体の大きさだった。
劇的に、急激に増えたという感じはないので、ある一定以上の大きさになって知性が芽生えたという所。知性に目覚めたというところ。
(
皮肉気に自嘲する。取り立てて知恵者というわけではないどころか、愚鈍と呼ばれても仕方がないと。
感情の起伏は、こういう生物なのであまり大きく揺れないようではあったが、思考力があるのでゼロではないらしい。
それもまた、日ノ本で暮らしていた頃に愛読していた別の著書でも目にしたことがある。異形の生物(?)になったが為に人間らしい感情が制限される、と。
今なら理解できる。自覚できる。
生物としての本能以上に優先されるものがない。
食って、生きる。
そういう意思がある以上はこのゲル状の塊は生命体なのだろう。無機物や不死者ではなく、生命体。
考えている間も、泥の底を進む。
進むのはただ進行するということではなく、そこにある栄養素を摂取しながら、体内に吸収していくためだ。
泥の底には色々なものが沈んでいるようだった。
コケや水草などといった植物。
消化しやすいものもあれば、違うものも。中には熱のような痛みを感じる草もあり、それは避けていく。
薄っすらと発光するような草は、触れると激しい苦痛をもたらす。おそらく毒性が高いのだろう。それはいらない。
魚なのか、水生生物の死骸。
腐っていてもあまり関係がない。腹を下す心配はなかったし、目も見えないが味覚もないようだ。ただ栄養素として取り込めるものを取り込んでいった。
吸収すると、わずかに体積が増していく。
吸収したものの体積とイコールではない。人間だって、摂取したものの体積や重量と同じだけ増えるわけでもない。
排泄している感覚はないが、どういう体の仕組みなのかは理解できなかった。
取り込んだ魚の死骸の骨が、ゆっくりと時間をかけて溶けて消えていくのが感じられた。
染み込む。
そういう食事方法らしい。
あまりコミカルな感じではないので絵面とすれば最悪だろう。悪魔的というか。
もし映像化するのなら、スプラッターとかそういう方向でしか考えられない。汚濁に塗れた食事風景。
救えない。
救われない生き物。それはそうだ、元々は忌み嫌われる怪物の類。
英雄譚の中で言えば、主人公側などではもちろんなく、その道すがら片手間に退治されるような存在なのだから。
(モンスターか)
なんでこんなことに、もっと愛される姿になれなかったのか。
そういう気持ちがゼロではないと思うのだが、あまり強く思わないのはやはり感情がこの生き物的になっているからかもしれない。
或いは、生前――日ノ本で暮らしていた頃も、他者との関りを煩わしく思っていたからだろうか。
(これはこれで悪くない)
受け入れることが出来た。今の自分を。
しかし同時に思うこともある。
(モンスターってことだと、危険もあるかな)
ここがどこなのかわからないが、自分がモンスターだとすれば、それを殺すことを生業とするものがいても不思議はない。
見つからないようひっそりと生きていくべきだ。
生態としてそういうものなのだろうから、変な勘違いをして大冒険の旅路になどと夢を見ないこと。
ゲル状生物の英雄などを目指すことなく、身の程を弁えた生き方を。
泥の底。
静かだというわけではなかった。水の中は意外と色々な音があり、よく響く。
視覚はないのだが、表面の触覚で受けた振動が音として伝わってきた。
水の流れる音、何かが跳ねる音、水生生物の唸り声。
ミチミチと小さな音を立てるのは、水草が成長する時の音のようだ。薄っすらと差し込む光で生育しているのか。
雑多な音の中で、ただ食って生きる。
案外と悪くないと思えた。
(底辺を這いずるのは得意だからな)
生まれ変わりというのは、やはり生前の生き様に影響するのだろうか。
だとしても、他者に気を遣わないで済むこの生き方を悪くは思わない。
丹下英朗はそう感じるのだった。
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