第519話 僕が間違ってました
今回は反省の話。
パレスチナでの悲劇に関して、もう半年は前だと思いますが、僕はイスラエルを擁護するようなことをここに書きました。それは、間違っていました。
僕が錯覚していたのは、ホロコーストを経験しているユダヤ人は、同じことを他の誰にもしないだろう、という考え方だった。しかしそんなことはなかった。家族や親族、友人、知人が、ただユダヤ人であるというだけで殺されてしまう悲しみや絶望、そこから生じる憎悪のようなものを、ユダヤ人はより濃密に、より切実に感じていたはずなのに、今、パレスチナでは立場を入れ替えて、ユダヤ人国家のイスラエルが何の罪もない人を殺している。そんなことにならない、そんなことをしないのがイスラエルだと僕は思い込んでいた。
もう一つ、僕の中にあった認識で誤りだったのは、イスラエルやユダヤ人が、力をもつものに必要な分別というか、理性を持っていると信じていたこと。国を持たなかったユダヤ人は、国を持って、それに相応しい力を持った時に、それを正しく使い、正しく制御できるものだと思っていた。それが今は、理性を失っているとしか思えない。
ガザで起きていることは許しがたい。それがパレスチナの一部の人間によってイスラエルに仕掛けられた暴力から始まったものだとしても。
イスラエルとパレスチナの関係性をどこかで誰かが結び直す必要があると思うけれど、もはやそれは難しい。そもそもイスラエルという国そのものが、パレスチナに住む人たちとすれ違った形で成立してしまったのが問題をややこしくしている。シオニズムが現代でどれだけ強いのかは僕には把握できないし、パレスチナ難民の総意がどういうものかも把握しづらい。大抵の人は平穏に、落ち着いて生活したいのではないか、とは想像できても、ではどこの国、どんな土地でも構わないかとなると、そんなこともないはず。
理想的にはユダヤ人とアラブ人がうまく溶け合えれば良い。しかし、それはもう無理なのかもしれない。あまりに多くのことがあり、多くの人が多くのものを失い過ぎている。それでも、と理想を求めるのが人間の真なる理性と思いたい。そしてその理性が導き出す理想を、大勢の知性が形にすることを願う。僕がその一助になれれば、とも思うけど、僕にはそんな力はないらしい。
僕が以前にここでどんなことを書いたかは、恥ずかしくて消してしまいたいですが、リアルな当時の感情として残しておきます。
リアルタイムで起こっていること、それも大きなこと、複雑なことは、先が見通せないし、問題の性質が見えづらいと今回の件で実感しました。僕の思考や僕の論理は全く未熟で、問題をまったく理解していなかった。反省しました。
2024/10/19
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