第517話 「死にたい」と「生きたい」の
今回は長い近況です。
ここ十日くらい、全ての隙間時間を書く作業に突っ込んで、とりあえず十万字ぴったりで一つ出来上がって、一安心です。しかし、この十日はかつてないほどしんどかったな。まず気候の変化を甘くみていて、頭痛は酷いし、倦怠感もするし、とにかく体調が悪すぎた。それに読書を途中で放り出す形になったので、早く本を読まなくては、という思いを振り切れずに精神的にもよろしくなかった。他にも色々なものが噛み合わなくて、一日で九千字くらい進んでもなんかまったく書けてないような、進んでいないような気がして、とにかくしんどかった。まぁ、終わって助かった。今年の課題はこれで完結かな。気楽になれた。
そんな中で、酸欠少女さユりさんの訃報があって、僕はこの人を「花の塔」という曲でしか知らなかったんだけど、まったくの自己満足として動画投稿サイトとかSNSで追い始めた。「ミカヅキ」なんかも良いんだけど、僕がめちゃくちゃ狼狽したのは「birthday song」という曲です。この曲の歌詞は、とにかく凄い。とにかくもっと大勢に聞いて欲しい。
前もどこかに書いた気がしますが、僕が歌詞に求めるものの一つに、「当たり前のことを書いている」ということがあって、これがとにかく難しい。それが出来るのはある種の才能なんじゃないかな、と思っている。文章表現はとにかく何かしらの「観念」みたいなものを、「脚色」というか、「比喩」や「暗喩」などの形で焼き直していくことになるので、同じものを違う表現で形にすることが多くなる。もちろん、そういう表現手法が芸術になる場面もあるのだけど、僕はどんどん単純化させるのが良いんじゃないかな、と思っている。
いきなりですが、大抵の人は、「生きていたい」と思ったり、逆に「死にたい」と思ったりすることがあると思う。常識的な人だと、そんな気持ちとか、そういうことを思ったことをわざわざ他人に話したりはしないけど、でも、あるでしょう? そういうところに表現する人が目を向けるべきものがある気がする。それを示したのが「birthday song」という曲です。当たり前を、当たり前に形にする、ということなんですが、うーん、うまく表現できた自信がない。
とにかくさユりさんの「birthday song」を聞いてください。そこに本当の表現が見える気がします。
それはそうと、今回のことで感じたのは、亡くなった人を思い出すことが「悼む」ということで、亡くなった人のことを忘れることが「葬る」ということなのかな、ということ。いえ、これは単なる個人的な感覚です。
少し前に田中敦子さんの訃報もありましたね。そのことはいずれ、触れるかもしれません。
あぁ、なんというか、本当に悲しい。そんな近況でした。
2024/10/3
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