第497話 AIと感情と社会
今回はもうちょっとAIの感情について考えてみる話。
とりあえずAIには感情はないと僕は考えてるけど、さて、AIに「感情を持たせる」ことは可能だろうか。
これには二つのアプローチがあるかもしれない。感情を「組み込む」か、「学習させるか」です。
ちょっと視点をずらして、人間の感情とはどんな時にどんな風に作用するだろう。例えば嬉しいとか楽しいというのは、何かを成す原動力になる。悲しみは、大なり小なりあるけど、無くていいとする人もいればあった方がいいとする人もいるかな、という感じ。怒りも似たような感じか、な?
では、社会というものを考えたときはどうだろう。自分の中の楽しさや嬉しさを知らなければ、他人にそれを与えることはできない。悲しみや怒りも、知らなければ他人にそれを与えてしまう。ちょっとユニークなのは、他人を楽しませたり喜ばせることは無制限に必要に見えて、他人を悲しませたり怒らせるのは最小限にしたいという心理があるはずで、正反対です。これはもちろん自分自身に対しても言える。
では、AIに感情を持たせる時、どうなるか。AIは人間を無制限に楽しませたり喜ばせることは出来るかもしれない。まさしくトライアンドエラーを繰り返せば良いと思われる。では、悲しみや怒りを最小限に出来るだろうか。これをトライアンドエラーしていくのは、かなり厳しい気がする。AIに腹を立てるほど意味不明なことはないけど、実際、AIがうまく働かないと腹は立つ。まぁ、誰かが腹を立てて、そんな人が大勢になった時に、真理をAIが学習する可能性はある。かなり細い線に思えるけど。
ここまではどちらかと言えば「学習させる」ということですが、もしかしたら面白くなるのは「組み込む」というパターンです。つまり、最初からパッケージとしてAIの基礎に感情を用意するわけですが、これは人間の赤ん坊が何も学習してなくても人間である、というのをイメージできる。ただ、感情の基礎とは何か、は、甚だ不透明ですが。
ともかく二つのパターンを合わせて、感情学習の基本パッケージと、実際の経験値を組み合わせれば、感情のようなものをかなり生々しく持てそうだけど、うーん、やはり気になるのは自発的な感情の有無であろうと個人的には思われる。極端なことを言えば、絶望して泣いている人の背中を平手で強く叩く、みたいな、そんな行動をとって欲しい。嬉しくて泣くみたいな次元はもう弱すぎるかな。もっと複雑で、無秩序なものが人間にはあるのでは。もちろん、あまりにとっぴな人間は社会から逸脱するけど。
つまり、AIが持つ感情はどこまで行っても、世間一般的な人間社会の中に収まることになってしまうし、その枠に収まる限りは人間のような不規則さは生じないのでは。そして、AIが収まる枠は、人間社会という枠の中で細分化された小さな枠になる。
それに、例えばAIがわざと相手を怒らせるだろうか? 仮に怒らせたとして、その社会に悪影響を与える選択を、自身がした、することをAI自身はどう解釈するのか?
変な発想ですが、AIは自分が組み込まれた社会から逸脱できるのか? 世捨て人というか、無頼派のようなAIは発生しうるのか? 発生する意味とは?
AIのことを考えると、人間のことを考えることになるのは面白い現象ではあるな……。
2024/5/25
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます