第496話 変なこだわり
今回はこだわりの話。
さなコン2024に短編を一つ、放り込みましたが、こだわりすぎて変な未練が生じてきたので、締め切りの一週間前に放り込んで当たって砕けろということになりました。
芸術は細部に宿る、とはいうものの、何故、変な方言を盛り込んだのかは自分でもわからない。好きなラジオ番組で聞いているうちに、盛り込まずにはいられなくなってしまった。
ちょっと考えてみると、AIに関する発想や、SFに関する考え方にも変なこだわりがあるかも。ちょうどこれを書いている時、生成AIか何かで、AIの感情とやらがニュースになっているけど、AIに感情はないだろwww、と思っている。ざっくりと自論を表現すると、どれだけ言語表現や映像的に感情を真似しても、それは真似に過ぎないのでは? ということです。
いきなり脱線しますが、では、人間の感情は真似事ではないのか? と問われれば、真似ではないと思ってます。行動自体は真似ですが、その行動を取らせる根本にあるものが本質的な感情ではなかろうか、と思うからです。極端に言えば、赤子が周りの人間がみんな嬉しい時に肌を掻きむしっている環境で生きて育てば、赤子は嬉しければ肌を掻きむしるようになるのでは。もちろんそこまで単純じゃなくて逆転する場面もある。親から暴力を振るわれて育った人は、自分が親になった時は絶対に子供に暴力を振るわないと誓うかもしれない。いずれにせよ、感情というのは声音や言葉選び、顔や行動という表面に存在するものではないはず。泣いている人と一緒に泣く人もいれば、その人を叱りつける人もいる。さて、そんな多様性をAIが持てるかな?
ちょっと話を戻して、僕の中では「アンドロイド」はまだ使い道のあるSFガジェットだと思うけど、もしかしたら古いかもしれない。つい最近に書いたもので、僕は「コピー人間」的なものをテーマにしたけど、これも古いけれど、何かガジェットとして使えそうな気がした。アンドロイドは、現時点の現実の科学では実現してないので、まだ味がありそうな気がする。ちょっと具体的に書けば、現実の給仕ロボットとの対比、もしくは延長でアンドロイドは使えそう。コピー人間は、クローン技術の発生などで一時期、注目されたけど、僕の中では「個人」を定義するものは何か、という点でまだ使えそうな気がした。ただ、クローン=個人の完全なる複製みたいなイメージには対抗しきれなかった。一番分かりやすい表現を使えば、一卵性双生児は同じ遺伝子を持っていても、別々の個性を持つ、ということです。髪型が同じでも、体格が似てても、別人です。ちなみに個人的な経験から言うと、一卵性双生児はほぼ同じ声で話しますが、話し方、口調は違います。こんなところにも人間独特の、AIにはない個性がありますね。あぁ、AIがこういう本筋とは関係ない個性を持てるかは、ちょっと興味がありますね。無駄な個性というか。
そんな具合で、もっと発展的なこだわりがあれば良いものを、細かなところにこだわって理解されない、説得力を持てないのは、なんとも歯がゆい。
これが、細かすぎて伝わらないSF選手権、か……。
2024/5/25
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