第492話 そこはあーだこーだいうのが面白いのでは?
今回はXのお話。
全く適当にしか追わなかったのですが、半額弁当を買う人が困窮しているどうのこうのとか、半額弁当を買うより自炊すべしとか、そんな議論があった。そしたらそこへ、なんか有名っぽいアカウントが「そんな議論をしている状況こそ豊かではない」みたいなポストをしていて、そうじゃないのでは? と思ってしまった。
結局、みんな騒ぎたいだけで、言葉を選ばなければ、好き勝手に言いたいことを言いたいだけであって、別に日本や日本国民が豊かとか豊かではないとか、そんなことはどうでも良いのでは?
この件で面白かったのは、賛成でも反対でもないそれっぽいことを意見すると、何か有識者っぽい、ということです。ただ、そんな意見が何かを動かしていくかはイマイチ、分からなかった。どうしたいか、どうしていきたいかがはっきりしないからです。半額弁当の件でいえば、誰も半額弁当を買わないような社会にしたいとか、誰もが自炊するような社会にしたいとか、そういう方向性が中庸には存在しない。ただ、くだらない議論に必死になるのをやめよう、という意見にはある種の方向性があるのかもしれない。もっとも、僕の感覚からすると不毛な議論という娯楽には、それなりに意味も価値もある。大半の人は、半額弁当が買いたければ買うし、自炊したければ自炊するので、本当に半額弁当VS自炊の議論に真剣にはならないし、さして影響を受けない。そういう人はこのどうでもいい議論を眺めて楽しんでるわけです。その楽しみを前にすれば、有識者っぽい人もある意味では滑稽になるのもユニークな発見だった。
これはつい最近のことだけど、インフルエンサーを名乗る車椅子の方が、映画館での対応についてポストして、炎上と言ってもいい事態になった。僕が感じたのは、車椅子の人に過ごしやすい社会になるべき、とか、車椅子の人が何をしても良いわけではない、とか、そんな感想ではなく、この車椅子生活をしている自称インフルエンサーは、本当にインフルエンサーなんだな、ということでした。僕がフォローしているライトノベル作家の人は頻繁に際どいポストをするし、今はフォローしていない声優の人も過激なポストをしまくるのでフォロー解除したのですが、そんな人たちの発言の方が燃えそうだった。しかし燃えない。つまり作家より声優より、車椅子のインフルエンサーの方がまさに影響力がある。これには驚かされました。こんなことを書いていると、まさに僕が有識者ぶって中庸を選択しているようでもありますが。
それにしてもみんな、議論が大好きで、たまに愚かしいし、言葉も選ばれていないけど、バチバチやり合うのは側から見ていて面白い。いいぞ、もっとやれ! という感じです。
2024/3/16
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます