第482話 意識とは無から生じるか、というSF問題
今回は、SFの一つの傾向から来る要素のお話。
さて、人間は一応、みんな「意識」を持っている。「精神」と言い換えても良いですが、これは一応、動物も持っている。植物は曖昧だし、無機質にはどうやら意識らしい意識はないらしい。
では、この意識と呼ばれるものは、何もないところから生じるだろうか?
この問題はおそらく使い古されているであろう、機械に心は宿るのか、という疑問でもある。そしてそこから先に進んだところに、無から意識は生じるか、という問題があるのでは。
僕の個人的な感覚では、心や意識と呼ばれるものは、三次元的な物体を介さないと生じないのでは、ということになる。正確には、既存の意識的なものは、ということになりますが。
意識とは何か、を考えた時に、「思考できる」というだけのものではない。それならコンピュータどころか、電卓だって非常にささやかとはいえ意識を持つことになってしまう。そうなると、「思考できる」と同時に「感知できる」が必要になるのでは。これが難しいのは、電卓も「感知」はしている点です。ボタンとセンサーという感覚器があるからです。なので、あるいは電卓を魔改造すれば、電卓に意識を持たせられるかもしれない。
この「思考」と「感知」から、おそらく「感情」が生まれるし、そこから「記憶」的なものが生じてくるように思われる。「記録」ではなく「記憶」です。ここまで来ると人間らしい気もする。この辺の順番は逆にも出来ますね。「記憶」から「感情」が生じる、ということです。
では、この辺りの必須要項が、物体的な端末無しに生じるかは、かなり怪しい気がする。仮想空間とかが出現したわけですが、どこまでを再現するかによるし、再現できてない些細なことが大問題になるかもしれない。
あまり良い例ではありませんが、一流の体操選手がめちゃくちゃな離れ技をやりますが、それはおそらく人間と同等の機能の端末が存在して、然るべき学習を経れば再現できる。ただ、その体操選手ロボットが再現に至るまでの間の無数の失敗を、体操選手と同じように理解して、体感するかは微妙なところになる。高揚感や恐怖感、緊張感をロボットが感じることが出来れば、それは意識の発生のきっかけに近いですが、ただのトライアンドエラーで終わってしまうとロボットのままです。こんな具合で、仮に仮想空間で鉄棒とかを再現して、仮想的な存在に体操選手の技を教えても、その存在がリアルの体操選手に近い意識を持つのは至難になる。現実そのままの仮想空間が作れれば分かりませんが。
いずれにせよ、心、意識、精神は三次元世界の不規則性、事故から生じて変化していくので、人間的知性は、現在の環境や文明における肉体の存在無しでは、再現が難しいように思える。まぁ、この辺は「星霊の艦隊」的ではあるか。
かなり脱線しますが、現実そのままの仮想空間が作れるとしたら、どれくらいの情報量になるんだろう? それはめちゃくちゃ気になる。量子コンピュータの時代に答えが出るのかな?
2024/1/10
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