第464話 有頂天になっていた

 今回は急に冷静になった話。

 電撃大賞でちょっと上手くいったりして、どうやら正気を失っていたらしい。というのも、これを書いている半日前まで、かぐやSFコンテストの最終に残れるのでは? と本気で考えていた。結果はまったく不明ですが、よーくよーく考えれば、そうそう上手く行くわけもない。構想に十五分か二十分、書くのと直すのとに一時間の、一夜城とも呼べない作品が上手くいったら、それは奇跡です。

 あまり真剣に考えたことがなかったけど、書いている時にはそういう有頂天な状態、気分が良いということは都合がいいかも。筆が乗るというか、自分を疑わずに自由に書ける。逆に結果が出ない状態だと疑心暗鬼になる。

 いろんなところで書いてますが、ネット小説のPVや評価が作者を駆動させる一方、公募の場合はそれがないので、一次を抜かない限り、書くことの継続、モチベーションの維持が難しい。しかしこれは裏を返すと、公募でうまく行き始めると、自分のことを省みる場面がなくなって、どんどんおかしな方向へ進んでしまうのかも。引き返せないわけではないけど、不自然な観念が支配的になって苦労するように思える。まぁ、小説には答えがない、正答がないので、進む方向は自由だし、どちらに進んでも突き進めば何かしらには辿り着ける可能性はあるとも言えます。

 それにしても、まったく、自分の傲慢さが鼻につく。冷静にならなければ。

 我がことながら不思議だけど、こういう気持ちの浮き沈みは僕には頻繁に起こる。他の人もそうですか?

 それを言ったら、公募だから評価やPVはどうでも良い、などということをそれとなくオブラートに包んで、遠回しに口走ってしまうあたりも迂闊だ。ここは公募ではなく、ネット上だぞ! ということを自分に教えたい。お前は完全に埋もれて、畑の土の中に落ちてる小粒のジャガイモよりも発見されないぞ! という感じです。埋もれてるってことは大きさも発見されてない、などという強がりは通用しませんね。たぶん。たぶん? そういう往生際の悪さがまた鼻につく……。

 そんな具合で、スニーカー大賞用の長編を直してるんですが、もはやダメダメな予感しかしない。く、苦しい……。

 まったく視点を変えますが、この「感覚」みたいなものって読んでいる小説に影響されるかもしれない。僕は基本的に紙の本かKindle本しか読まないので、とにかく変な様式美がある。ネット社会の様式美とは違うようにみえる。僕が好んでいる様式美は、古典の様式美です。ネット小説のトレンドの、最新の様式美は僕の中にはない。この辺りに自分で自分を評価しつつ、ネットや公募で評価されようとすることの困難さ、作品を問うた時の複雑な判断、実感、体感があるのかもしれない。

 しかし、ちょっと傲慢になりすぎたな。発表の日を震えて待つことにしよう。



2023/8/30

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