第457話 ユニークな共通点
今回は、あるなぁ、と思った話。
ラジオ番組「東京ポッド許可局」を毎週、聞いてますが、先日の放送で「お前は誰なんだ?」みたいなテーマのトークがあった。詳細はポッドキャストで聞いて欲しいですが、要点は、ただの視聴者が専門家みたいな立場でものを言う、という感じです。
これって、僕自身にも言えることで、大相撲関係のエッセイ「相撲談義」がまさにこれです。僕はただ二十年近く相撲を見ているだけで、実際に相撲経験はないし、例えば相撲部屋に見学に行ったこともない。力士に直接、話を聞いたこともない。つまり、本当の専門家からすれば、僕のエッセイは「お前はいったい、どういう立場で理屈をこねてるんだ?」となるのは間違いない。
SNSの発展で、いろんなジャンルに専門家がいることは分かってきたけど、たまに専門家なのかどうか、よく分からない専門家が登場する。すぐに浮かぶエピソードは、司馬遼太郎さんの小説は小説であって、史実ではない、と言うような主張がある。他にも塩野七生さんの作品も似たような評価をされることがある。どちらの作家さんも僕は好きですが、小説を読むと、なんとなく理解した気になって、危うく胸を張って識者のように振る舞いそうになるのは、褒められたことではない。本当の専門家、研究者の理屈や資料こそが、本当の識者が身につける知識だろうな、と思う。
お前はいったい誰なんだ? と言いたくなる場面が出現してしまうのは、やはりメディアが身近になりすぎた、誰もが発信者になってしまう、ということがありそう。今もそうだろうけど、テレビに出られる人は限られる。元政治家、学者、タレント、アイドル、芸人、いろいろな立場があるけど、誰でもが出られるわけではない。様々な理由で選ばれた人が出ている。しかし、視聴者からすると、その選考理由は分からない。理由はつけられるけど、真相はわからない。そうなると、ある部分では「誰でも出られる」と言う認識が生じてしまう。誰でも出られるなら、誰でも意見を言えるわけで、なら誰もが意見を言ってもいいことになるのでは。その上で、テレビには誰もが出られないけど、ネット上なら誰でも意見を言える。こうなると、本当に誰なのか分からない人の意見が氾濫する。この僕の理屈さえもが、お前は誰なんだ? と言われてもおかしくないものです。
なんか、ユニークな現象です。本当に、僕はいったい、誰なんだ?
2023/8/12
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