第447話 分かるような、分からないような

 今回は久しぶりに新しめの話題。いや、だいぶ遅いかも。

 先日、テレビでアニメ映画「呪術廻戦 0」が放送されまして、適当に見ました。どう表現したら良いか、分かるような、分からないような。

 主人公の乙骨くんは声が碇シンジくんだったので、まずその時点でめちゃくちゃつまずいた。それはしかし、些細なことです。この作品の中心にある呪いがモンスター化した何かは、とりあえず見える人と見えない人がいる。そして、呪われると体調に影響があるが、モンスターの中には人間をすっかり飲み込む奴がいる。あれ? 飲み込まれる人間は呪いが見えている前提なんだろうか? ややこしいな。

 これはどうしても避けては通れないところですが、乙骨くんと女子の同級生が稽古をするシーンがあった。この時に乙骨くんが使う剣術が、馴染むような、馴染まないような。超実戦剣術、ということなんだろうけど、がむしゃらに打ちかかることは、実戦はもとより、稽古として意味があるのか? これもかなりややこしい。まぁ、それを言ったら最後のシーンで敵の人がものすごい力でぶん殴られて、すっ飛ぶけど、その後も平然としているので、あまり考えても仕方ないか。

 さて、これは個人的な感覚の問題ですが、学校ってどんなものだろう。例えば、生徒が何人くらいいるとか、カリキュラムとか、そんなものが僕には気になる。呪術高専は、生徒の数がものすごく少ないらしい。それは生徒を選り好みしているのではなく、素質の持ち主がそもそも少ないらしい。では、どんな運営が行われているんだろう? カリキュラムも、武術の稽古はしていても、超能力的なものは訓練しているようではない。これはこれで、難しい。これもまたややこしい。

 というわけで、僕は野暮を承知で、変なところに引っかかりながら、最後まで見た。

 これはアニメという表現の問題だけど、二十年前とか十年前とかとは表現のレベルが段違いになったけど、結局、みんな同じようになった。表現の個性を出していくのが難しい。もうカメラの視点が複雑に動き回るのはみんなやっているけど、それ以上の工夫が欲しい。わがままだろうか。

 あと、これは驚きだけど、「鬼滅の刃」をテレビで見た時にも感じたことで、主人公たちが敵に対して「殺す!」みたいなことを普通に口走るのは、僕にはどうしても馴染めない。いや、殺しちゃいけないのでは? となるけど、一般的な感覚では悪は殺して良い、ということなのかな。相手を殺すことに抵抗がないのだろうか。例えば蚊を殺すみたいに?

 そもそもからして十代の子どもが人を殺せる力を自由に行使できるのは、かなり怖いというか、どうやって管理するんだろう? と思う。力が暴走したり、制御が効かなくなる時、誰がどう止めるのかも問題だけど、それよりも暴走した瞬間、何かしらが失われてしまう展開が容易に想像できるのは、どう解釈されるのだろう。主人公の倫理観は決して破綻せず、主人公は決して過ちを犯さない、という部分をどうやって担保するかが見えてこないのが、かなり僕には負担ではある。

 とにかく、勉強になった。どうにも、僕の感覚はかなり古いな……。



2023/7/7

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