第435話 なんとなくテーマにしてしまう要素

 今回は完全なる自分語りです。

 さなコンというものに参加して、短編をいくつか書いたのですが、そのうちの一つが「義足」が登場するものでした。

 僕が特に短編を書く時にやることは、テーマなようなものを決めることです。その中でも繰り返し登場する要素があって、その一つが「義足」です。全く個人的に身近なテーマでもあるのですが、ひとつ、強いイメージがあるからです。

 どこで読んだか、忘れてしまいましたが、対人地雷は踏んだ人間を殺すほどの威力を持たせないらしい。負傷させ、後方に運ばせることで、その輸送のために兵士を最前線から余計に減らせるから、らしいです。これってすごく残酷なんですけど、何故か、僕の頭から離れない。

 他にも、これは桜庭一樹さんのエッセイでチラッと見た、病的に痩せている女性モデルの話も頭に残っている。まだこれは使ったことがないテーマ、イメージですが、拒食症、薬物中毒のようなものも、短編としてはなんらかの力があるように思える。

 短編、一万字程度に求められるものは何か、というのは、なかなか難しい。入り組んだ構造の物語は向いていない。それなら文章の美しさか、舞台装置だろうか。僕が繰り返し使う「義足」は舞台装置といえば、舞台装置です。ただ、常に同じではない。背景が変わることで、「義足」の意味するものが変わっている、と思っています。

 僕が好きなのは結局、そういう曖昧で、何かを暗示するけど、何を暗示しているかはわからないもの、なのかもしれない。痩せ細った女の人も、想像してみると何かが感じられる。何を感じさせるか、誘導していくのが書き手の役目とはいえ、これはあまり容易ではない。僕は、送り手であろうとしながら、受け手としての自分を抜け出せない。受け取ったものを解体することはできる、自分の感覚で並べ直すこともできる、でも理路整然と作り替えて倒立させることはできない。これが歯痒い。

 先日、別サイトでしたが、僕の書いた物語を「しんどい」と指摘してくれた方がいて、これは本当にありがたかった。それはつまり、僕の書いたものが読まれているという証左であるのと同時に、自分でも把握していない欠陥というか、書き手にはわからない、読み手にしかわからないことを教えてもらえたからです。

 たぶん、僕がしつこく「義足」を繰り返すことが「しんどい」人もいると思われる。もちろん、ある場面では「しんどい」気持ちになるのが狙い通りなんだけど、ともかく、もっと細やかな表現ができると信じたい。満足いくまで突き詰められたら、書き手としては最高ですね。



2023/6/12

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