第433話 久しぶりに五桁の買い物
今回は、貧乏人の散財の話。
まったくの偶然なんですが、一万円をポンと払う買い物を久しぶりにしました。スポーツ用品の量販店で、ジョギングシューズとジャージを買ったら一万円になった。ジャージを買うのは久しぶりだし、ジョギングシューズは普段よりやや値段設定高めの商品でしたね。
僕の日常において一回の支出で大きいのは、十日に一度くらいの食料品の買い出しですが、考えてみるとこれは額としてはたいして高くはない。それに、さらに思考してみると、本を買う時にはこの食料品に支払う額を突破することがままある。
十代の頃と比べると、自由になるお金は格段に増えた。増えたけど、十代の頃に夢見ていたほど自由ではない。
そういえば、この前、パーカーを二枚、手に入れた時も一万円を超える支出になった。これも今になってみると、思い切った買い物だった。一万円で買えるといえば、Appleの純正品のCD、DVDを読むドライバもずっと欲しいけど、買うのを先送りにしている。一万円を支出するのは考えれば考えるほど、難しくなるらしい。昔の、お金が自由にならなかった頃の感覚がまだ残っていて、蘇ってくるような気がする。
本当は一万円なんて簡単に出せるんだけど、五千円の支出にはない重さがあり、五千円の支出には千円の支出にない重さがある。そんな重さを撥ねつけられないのは、僕の弱さだろうか。本当の意味で大人になれていない、というように見える。自分の中の価値観と、正体不明の価値観が乖離していて、変なジレンマがあるのは、世の中の大半の人も感じている感覚だろうか。
ちなみに靴とジャージを買うことにはあまりプレッシャーはなかった。それよりも本を買うことの方がプレッシャーがある。何故だろう? 必要経費と認識していたからかな。遊びではない、とは思っていないか。ジョギングも読書も遊びだから。うーん、こんなところにも違う価値観が自分の中にあることがうかがえる。
五桁と言えば、アマゾンにギフト券を登録してあるけど、五桁が登録されているのと四桁が登録されているのでは、感覚が違う。五桁はやや大きすぎる気がしたり、四桁になるとやや不安になったり、バラバラでチグハグな感覚がある。
お金という概念は数字で表現されるけれど、その数字は、ただの数字ではなくなるらしい。前も今回と似たことを書いた気がしますが、お金という概念は僕の中では不可思議なものです。
2023/5/29
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