第432話 「無敵の人」と「無敵と勘違いしている人」
今回はどうしても思い悩む話。
とある重大事件の報道に触れているうちに、どうにも悩ましい感覚になっています。
あまり僕自身が使ったり触れたりする表現ではないですが、「無敵の人」という表現がある。これはおそらく「人生に絶望して何でもできる人」みたいな趣旨だと思われるけど、ともかく、歯止めが効かないような人のことだと思われる。
これとはまるで違うのですが、「無敵の人」と限りなく近い「無敵だと勘違いしている人」がいるように見える。
すでに故人になったのですが、僕の祖母がお客が来ると、徹底的に知り合いや近所の人のプライベートを散々に噂話として撒き散らしていて、僕自身が不快だったのもあるけど、それよりも、噂話をしていることを聞きつけた誰かが恨んで包丁でも持って家に乗り込んでくるのでは、と気が気じゃなかった。
これは祖母に直接に聞く機会はなかったけど、祖母はそういう展開を考えなかったのだろうか。逆の立場になって、自分の個人的なことが不特定多数に噂として流れることを想像しなかったのだろうか。ここに、本来的な「無敵の人」とはまた別種の「無敵の人」がいるように見える。何をされても気にしない、どう思われても気にしない、という「無敵の人」です。
僕は噂話や陰口が正直、好きではない。したくもないし、して欲しくもない。そういう気持ちが分かる人と分からない人がいて、もっと別の形では、噂話は無くせない、という主張を展開する人もいる。
この、自分は気にしないから相手も気にしないだろう、という態度は、今回の件ではかなり危険だとわかる。ちょっと本筋を脱線しますが、田舎だから凶悪事件が起きない、というのは錯覚だと思う。田舎の変な人間関係の方が極めて危険な場面がある。隣に住んでいる人を知らない、より、隣に住んでいる人を知っている、の方が危ないように思う。これは、小さな社会の空気を想像すれば解釈できるのでは。知らない人間の集団には生じない空気が、知り合いしかいない集団には出現するように思う。
この世の人ではない人に真実を確認できないけど、下手なことを、些細にでも口にしたり、態度で見せたりすると、思わぬところで火の手が上がってしまう。言論の自由、などという表現があるけど、相手を選んだり、場所を選ぶ必要は最低限、必要だ思われる。
火薬庫で火遊びをしてはいけないけれど、火遊びを取り締まるべきか、火薬の管理を厳密にするか、は悩ましい。これはおそらく、解決は不可能です。火遊びや火薬庫から物理的に遠ざかっているのが一番良いと思われる。
2023/5/29
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