第421話 「機動戦士ガンダム 水星の魔女」がいい感じになってきた
今回は久しぶりにアニメの話。
「機動戦士ガンダム 水星の魔女」は、最初こそあまり興味がなかったのですが、「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」のテレビ版を見たあたりで、ガンダムって良いな! となった。
さて、「水星の魔女」ですが、これがなんというか、シーズン2になって激変した。シーズン1が学園ものであったり、ちょっと百合っぽく見せたりして、穏やかな内容が多かったのですが、終盤で全てがひっくり返り、シーズン2は目まぐるしい展開です。
これはきっと最初の「機動戦士ガンダム」の時点から通底しているもので、「死」をどう解釈するか、というものがある。あるいは「殺人」かもしれない。アムロはあまり悩まないというか、地球で母親と再会した時、「戦争なんだよ!」みたいに叫んだりして、彼には彼なりの解釈が一応はある。「水星の魔女」においては、シーズン1の最後で、スレッタがテロリストを物理的に叩き潰して、それでもヘラヘラしてところへ、ミオリネが至極当然なことを口走る。シーズン2のこれを書いている現段階においても、この「殺人」の解釈にミオリネはまだ苦しんでいる。
これは脇役(のはず)のグエルにも言えて、彼は極端な「殺人」を背負わされるわけで、どうやらこの辺りの感覚というか、認識に一石を投じるのが「水星の魔女」の一つのキモらしい。
一方で、今の所のストーリーだと、宇宙生活者のスペーシアンと、地球生活者のアーシアンの対立が解消されたり、劇的に改善されるとは思えない。その点では、この作品は大きな題材を扱いながら、それは「社会的」な重要課題ではなく、「個人的」な課題に焦点が当たり、ストーリーの向かう先は「個人的」な課題の克服であろうと思われる。僕がしっかり見たガンダム作品は「SEED」、「SEED DESTINY」、「00」、「U.C.」くらいなので、あまり大きな括りでは語れませんが、世界がどうこう、というようなことには「水星の魔女」はならないとなると、これはある意味では、かつては「セカイ系」と呼ばれていたストーリー展開をうまく整理して描いているようにも思う。
「水星の魔女」が仮に小さな範囲しか描かないとしても、それは間違いではないし、むしろ視聴者には受け入れやすいのでは。世界を救うのはなるほど、カッコいいし、革命を起こすのも、もしかしたら素晴らしいかもしれない。でも、十代の子どもにそれを背負わせることは、あまり普通ではない。大人には大人の戦場があり、子どもには子どもの戦場がある。「水星の魔女」の学園での決闘は子どもの戦場だった。それがシーズン2で、大人の戦争と混ざり合っていて、この作品のテーマの一つに「通過儀礼」があるのかもしれない、と思わせる。つまり、子どもが大人になる、という物語です。グエルの親離れ(というには過激だけど)もそうだし、ミオリネがスレッタや地球寮の生徒と会社を作るのもそうだし、あるいはこれから描かれるはずのミオリネとデリングの親子の関係の変化や、何よりまるで洗脳状態のスレッタとプロスペラの娘と母の関係がどんな関係に変化するかも、ある種の成長物語になるのでは、と思ったりする。
ともかく、この作品は凄い内容になってきました。要注目です!
2023/5/6
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