第409話 歪であるというデザイン
今回は素人感覚のデザインの話。
例えば、生物をデザインする時、目が三つあるとやや不自然に見える。腕が四本だとやや受け入れやすくても、五本だとどこか不自然になる。あるいはそれは対称性の問題かもしれない。脚が三本だとやはりおかしいけど、脚が三本あると歩きづらいか。しかし「ドラゴンボール」における孫悟空が尻尾を使う描写からすれば、意外に脚が三本あればあったで、歩くというか、移動はしやすくなるかもしれない。ちなみに漫画「トライガン マキシマム 」において、とあるキャラクターが三本の腕があるデザインになっている。これはなかなか、興味深い。
さて、漫画「ファイブスター物語」の連載の中に、奇妙なデザインの存在が出てきて、やはりデザインは面白い、と感じてます。常識や当たり前から逸脱しながら、認識の限界は突破しない、際どいラインがそこにはある。
これは自分でも不思議なんですが、イラストにおける人の顔を描くデザインは、目や鼻、口、輪郭のバランスに描き手の個性が出る。これが、まったくの素人にも存在する個性だけど、子どもが描いた絵のように、受け入れられない個性が表出することがある。これはイラストとしてのデザイン、バランスには許容範囲があることを示す一方、僕は正反対のことを最近、実感した。つまり、リアルな人間、現実の人間、実際に人間の顔のデザイン、つまり個性にも、さまざまある、ということです。当たり前かもしれませんが。
さまざまありながら、人間はそれを都合よくデザインし直すことがあるのでは、と思い至った。それは頭の中における、改変です。美化、とも言えるかもしれません。
それを不自然な形で思い知ったのは、乃木坂46の弓木奈於さんの映っている映像を見た時で、その時はそうは思わないのに、後になって思い出してみると、弓木さんの眼がかなり大きい印象を受ける。しかしもう一度、映像を見るとそこまで大きくはない。これは頭の中で、デザインが改変されていて、それは、現実を超えたデザインが記憶の中に生じる、ということらしい。実際の弓木さんの顔と、想像の中の弓木さんの顔には、それぞれ、ある種のデザイン性があり、整ってはいる。
何が整っていて、何が歪なのかは、人それぞれに許容される範囲がある。それは創作のデザインの場だけではなく、現実の、人が作ったものではない領域にさえ及んでいる。記憶の中、意識の中では、全てのデザインが改変の対象になるし、むしろ改変しないと記憶も意識もできないのかも。
文章表現さえも、あるいは一つのデザインで、逸脱があり、理想があり、どちらでもない曖昧模糊なものがあるらしい。
2023/4/9
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