第408話 びっくりするほどのすれ違い

 今回はなんというか、日本語って難しいな、という話。

 先日、よく聞いているラジオ番組で、「アスパラのベーコン巻き」の話があった。パーソナリティが、ラジオの収録の場である緊張からか、「アスパラのベーコン巻き」か「ベーコンのアスパラ巻き」か、混乱していた。それはまぁ、良いのですが、日本語って本当に些細な変化であべこべになる。例えばこんな表現はどうだろう。

「アスパラのベーコンに巻いた奴」

「アスパラのベーコンで巻いた奴」

 これはただ一文字違うだけですが、まったく別物になる。真逆と捉えてもおかしくない。ただ、やや日本語として、違和感が生じる。

 日本語表現で僕が最も違和感を感じるのは「全然」の使い方です。「全然ない」が自然に聞こえる一方、「全然ある」はどうも受け入れがたい。もっと長いテキストにすると「全然、想定していませんでした」という、否定に「全然」を付属させるのはおそらく本来的な用法で、「全然、楽しかったです」みたいな、肯定的な言葉に「全然」をつけるのはどこかおかしい。ただ、こういう用法の不自然さは言語というものにおいては、絶対遵守の対象ではない。それはスポーツ選手がインタビューで多用する「素直に嬉しいです」に近い。素直に嬉しいというのは、僕には実は理解できない。「正直に」という意味かもしれないけど、嬉しいに正直に何もない。あるいは、スポーツ選手は素直に喜べないシーンがあって、その結果、「素直に嬉しい」という場面が出現するのかもしれない。ただ、そこまで考えてしまうと、スポーツ選手が本当の内心を、正直にインタビューで答えていない、ということになってしまい、なんというか、不信感が蔓延する。

 言語に正解がないのは、そもそもからしてパズルのような組み合わせがその性質にあるからだと思われる。例えば「過ぎたこと」という表現がある。これも二つの意味がありますが、一つは「過去に起こったこと」で、一つは「行き過ぎたこと」となるだろうか。そのうちの一つ、「行き過ぎたこと」は面白い表現で、「度を越したこと」とも言い換えられるけど、「越したこと」という表現は存在しないらしい。では「度を過ぎた」という表現がありえないかと言えば、あるかもしれないし、ないかもしれない。ちなみに漢字の問題で「憐れむ」と「哀れむ」は同じ意味だろうか。漢字が違うので、意味は違うかもしれないけど、イメージと合う漢字を使用すればいい、という気もする。

 さて、たまにネット上の発言で、否定と肯定が食い違っているものがある。結局、言葉は受け取りたいように受け取るし、その「受け取る」という部分は、解釈というか、認識というものに近い。誰も、大会で優勝したスポーツ選手が結果に満足しない、などとは思わないように、どんな言葉も言葉以上に受け取る側の思い込みのような認識によって解釈される。

 僕の中では、「バカ」になることが正しいシーンがあるけれど、「バカ」が許されないシーンも確かにある。「バカ」はあるところでは罵倒でも、あるところでは褒め言葉という辺りに、言葉と認識とそのパズル性が見え隠れするように感じますね。



2023/4/9

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る