第398話 表現の限界に憂鬱になる

 今回はまったく個人的な嘆き。

 最近、「機動戦士ガンダム 水星の魔女」とか「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」とかの影響で、宇宙を舞台にした人型のロボット乗りの物語が書きたくなってきた。しかしなかなかこれが難しい。

 例えば装置に関する知識がないし、ネーミングも難しい。地味に問題になるのが、物理に関する問題で、ガンダム関係だと、モビルスーツが宇宙を飛び回る時、鋭角的な動きをしたりするのは、文章でどうやって描写できるだろう。「そんなんありえないだろ!」って突っ込まれるのはあまり怖くなくて、それよりもまず自分で自分に突っ込んでしまって、うまく文章に落とし込めない。

 アニメを見ていると頻繁に意識しますが、文章での表現では決して到達できない領域が動画には存在する。他にも、音声の表現なども文章とはまるで違うアプローチがあって、難しい。ただ、この難題に何十年、あるいは何百年と挑んできた人たちがいるわけで、僕もその一員になりたいと思うこともある。末席で大した役には立たないけど。

 とにかく、アニメで明快に描かれているものを、なんとか文章に置き換えないといけない。まったく憂鬱な難題ではあるけれど、逃げていてはいけません。何とか自分を騙して、文章に起こしたい。

 いきなり脱線しますが、僕が文章を書くときは頭の中にある映像を文章に変えていくんですが、BGMみたいなものはないので、その辺りにも僕がアニメに対してある種の劣等感を抱く理由があるのかも。僕の頭の中にあるものには決定的な欠陥があって、さらに文章化で劣化して、うーん、とにかく苦しく、苦しむ。まぁまぁ、仕方ないので、頑張りましょうか。

 ちょっと話を戻して、先に書いた通り、僕の文章は頭の中の映像を言葉に置き換えるんですが、ユニークなことに頭の中の映像は俯瞰というより、映画的な動きをしています。例えば「ナイフが首筋を掠める」みたいな時は、首の辺りのズームで、ゆっくりとナイフの切先が掠めていくズームの映像が僕の頭の中にあるわけです。この辺りがやはりロボットものには難しい。例えば映像だったら、急制動とかを演出の工夫で描くことができるとしても、文章では、どうやって急制動をかけたのか、どんな仕組みでそれは機能しているのか、そもそも何という名前の装置なのか、それを説明しないといけない。

 それを言い始めたら別の問題もあるわけで、例えばアニメ「機動戦士ガンダム」では、「ジオン公国」とか「ニュータイプ」とか、そういう言葉だけで全体像が曖昧なところがあるのが、文章ではなんとかしないといけない。「ジオン公国」は「ザビ家の独裁」国家です、としても、では具体的には誰が運営しているか、となると、説明が必要になる。「ニュータイプ」も、「エスパー」とマチルダさんが表現したりしてましたが、未来を予測するとか、高い洞察力で先を読むとか、とにかく説明しないといけない気もする。これが、ギレンの演説で「ジーク・ジオン!」と叫ぶ大衆を描いたり、アムロが敵を圧倒したりする場面を描くことで、細かな説明はいらないのが、アニメの凄いところ。うーん、羨ましいなぁ。

 あまり深く考えず、適当に書いていくかぁ。憂鬱にばかり囚われていても仕方ないので。



2023/3/18

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