第393話 一次創作と二次創作の境界線

 今回はたまたま目にした何気ない表現から始まるお話。

 森博嗣さんの本で「森には森の風が吹く」みたいなタイトルの作品があって、作品というか、自作にまつわる話とか、各所に発表した短い文章をまとめてあるのですが、その中でミステリに関して「一次創作」という表現で触れている部分がある。本当にささやかですが、よろしければご覧ください。

 さて、物語を作っていると、一次創作と二次創作の境界線は極めて曖昧になる。それは「銀河帝国」みたいなものもそうだし、「スライム」もそうだと思う。ただ、それは前提となる知識が共有されているだけかもしれなくて、二次創作的な手法かどうかは判然としない。例えば僕の中ではSAOは間違いなく一次創作だけど、「ソードアート・オンライン」という作中作的なゲームというものは、やや二次創作的ではある。なので、SAO本編より、SAOPをどう解釈するべきかは難しい。確実に言えることは、SAOPのお約束が二次創作的ではあっても、物語自体は一次創作、ということは間違いない。もっとも、物語の物語的な部分が二次創作になってしまうと、それは盗作と変わらない。

 さて、お約束となった要素を導入するのは二次創作だろうか。ナーロッパ的な言われ方をする異世界は、細かな違いはあれど、その根底には共有される部分が大きいなら、どこまで行っても二次創作という指摘を受けるのか? VRMMOを導入するのも二次創作? 転生も悪役令嬢も二次創作? 成り上がりもざまぁも、二次創作?

 だいぶ昔ですが、僕はとにかくオリジナルにこだわっていた。一から全部を作るべき、と思っていた。頓挫したけれど、仮に時間と根性があれば、また違った気もする。結局、僕は流用できる言葉は流用しよう、と方針転換しました。

 先に書いた通り、物語における物語、ストーリーには二次創作は出現しない。書く人の個性で無限に変化する。ただ、どこかの段階で世界観の共有と同様に、ストーリーのまとめ方に共有が生じる気がする。世界観などの前提から着地させる場所が限定されたり、逆にざまぁや悪役令嬢的なものは、ストーリーのどこかで誰かしらが破滅したり、何かが覆る場面が存在しない限り、そのジャンルというか、設定の意味が生じなくなる。起点が違って、終点が違っても、同じ場所を通るしかないのは、一次創作としてはやや不本意なのでは、と僕は思ったりする。

 森博嗣さんがミステリについて言及するのは、ミステリが極端にシステム的だからだと思われます。適当な筋ですが、事件発生→探偵登場→推理→犯人が判明、という流れがどうしても存在するのがミステリです。その流れを変えようとするのが、現代的なミステリだろうと思います。なので、既存のミステリ的システムの流用が一次創作として相対的にやや弱いように見えるのと同様、他のジャンルでも何かがシステム化してしまうと、一次創作的な強さは薄れていく。

 お約束を取り込むのは有意義が創作手法で、読者も安心かもしれないけれど、そのお約束が読者に許容されなくなったら、どうなるだろう。そんなことを考えて真っ先に浮かんだのは、村上春樹さんの新刊が出るなぁ、ということでした。「騎士団長殺し」、未読なので、今年中に買って読もうかな。村上春樹世界、僕は大好きなんだけど、まだみんな、欲しているだろうか。ドーナツとコーヒーとブランデーとジャズ……。

 なんか、変な結びになってしまいました。


2023/3/12

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