第390話 リスクとシステム

 今回は目から鱗だった話。

 NHK Eテレの「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」をチェックしてますが、アメリカの十年代の第三回で、リスクの話とシステムの話があった。これが意外に、ネット小説における難しさと鏡写しなのでは、と思った。

 リスクを回避しようとしてさまざまなものが均質化するとしたら、ランキングなんかは、明らかに均質化している。同じジャンル、同じ要素が多くあって、支持されるのは、おそらく最初に成功した作品に「近い要素」を組み込むことがリスクの低減だと、素人目にも分かったからだと思われる。大勢がリスクの低いものを作るようになる一方、読む側、消費する側もリスクを減らそうとする。時間が有限なので、その限られた時間を無駄にせず、面白いと確信できる要素を選んでいく。この、発信する側と受け取る側がリスクをひたすら避けていくことになると、極端に同じようなものしか見えてこなくなる気がする。

 個人的には、読者選考は出版する側のある種のリスク管理、リスク回避なのかな、と思ったりした。公募の作品は基本的に公開されないので、選考する側はそれぞれの感性で、世に問えるかを考えなくちゃいけないけど、読者選考ではその読みが外れるリスクをある程度は回避できる。まぁ、これは考え過ぎかも。最終的には出版する側が大きなリスクを背負うことに変わりはない。

 さて、番組では、サブカルチャーが資本主義のシステムに組み込まれて、というような場面もあった。これも何かに似ているなぁ、と思っていたら、創作論と呼ばれるものが似ている。創作手法や手段を考えるのではなく、PVの稼ぎ方を考えていくのは、創作のシステムを考えているのではなく、評価されるシステムを考えている。それはそれで良いですし、カクヨムとはつまり、創作のレベルを高めたり、創作の新境地を探るよりも、PVや評価を稼ぐことが優先される場です。これは著しい矛盾ですが、ネット小説に作品を発表しても、九割方は流れに流されて誰にも届かない。創作として優れているとしても、読まれなければ無いと同じになる。読まれない理由が、タイトルやキャッチコピー、タグなどによってしまうのが、紛れもない事実。こうなると、読まれるための正しいアプローチは、創作としての技術の向上より、効率的な集客を模索する、ということになる。効率的というのは露骨にいえば、十万字の文章を完璧に仕上げるよりも、十数文字のタイトル、数十字のキャッチコピー、単語で成り立つタグを工夫する方が、はるかに効率がいい、ということです。

「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」のアメリカ編を見ていて、七十年代、八十年代が特集されて放送されている時、僕は当時の「サブカルチャー」というものが、今の「サブカルチャー」と違うな、と感じました。当時のアメリカのサブカルチャーは、行動が伴っている。しかし現代日本のサブカルチャーは、趣味嗜好の一側面に過ぎないように感じる。遊びの一部というか、一部の人の遊びというか。僕は自分で趣味で文章を書いたり、ラジオにメールしたりしていても、強いメッセージなんて組み込めていない。それもまた、システム化の結果であり、リスク回避の結果なのかもしれません。



2023/2/26

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