第388話 将棋というゲームの本質

 今回は、いつの間にか逆転した「将棋」のイメージ、認識について。

 藤井聡太さんの対局を気にしている人は大勢いて、ツイッターで調べるといろんな意見を見る。

 その中に、「AIと一致しない」という趣旨のものがあって、AIの登場で将棋というものの解釈が変わったんだな、と感じてます。

 例え話をすると、人間と機械がボーリングをしたらどうなるだろう。プロの腕前を持つボーラーはおそらくガターになることはないし、機械もボーリングのために作ればガターは投げない。当然、プロボーラー同士も、これに近い、というか、プロボーラーになるように機械を作るわけですが、何はともあれ、この設定では「ストライクを取る」ことが出来るかどうかで、勝敗が分かれます。では、素人の人間同士がボーリングをするとどうなるか。これはもちろん「ストライクを取れるか」が勝敗を分けるようだけど、別の要素として「ガターにならずに一本でもピンを倒す」ことができるかが勝敗を分ける、とも言える。

 何が言いたいかと言えば、AIがやってる将棋は、「正解を探す」という行為であって、人間がやっている将棋は「間違えない」ことを追求しているわけです。これは似ているようで違う。AIは計算さえすれば正解を見出せる。正解が見つかれば、確信が持てる。AIの確信と人間の確信もだいぶ違うとは思いますが。では、人間が正解を導き出せるかと言えば、おそらくプロになるとある意味では導き出せる。前に藤井対渡辺という対局があったけど、渡辺は事前の研究と同じ展開になり、中盤までは把握していた、と後に明かしたりしている。最新のAIは三十手先程度まで読むらしい。で、渡辺明に藤井聡太が挑むタイトル戦で、三十手の即詰みが出現したりするので、終盤ならプロもAIと同じくらいに読むことはできる。ただ、問題はまさに「確信」の有無になる。終盤なら条件が限定されるけど、序中盤は、おそらく確信などないのでは。最善手よりは、悪手、緩手を指さないことを考えるはず。

 これはAIが見つけ出す「正解」とは少し違う。対局している両者が共に「確信」を持てない以上、序中盤は探り合いになり、失敗しないことが大事になるように見える、という想像です。

 前も書きましたが、松尾歩というプロ棋士の方が感想戦の中で「(その手を指しても)まとめられる自信がなかった」というような言葉を漏らしていて、まさにそれが僕が気にしていることです。AIの手はおそらく正確で、間違いではない。でも人間には指せない。それは藤井聡太にも羽生善治にもできないことで、将棋とは本来、「間違えない」かどうかが重大だったはずで、プロとは「滅多に間違えない」という能力の持ち主だったのが、いつの間にか「正解を選べるか」が話題になるようになった。

 面白い要素として、実は将棋は間違ってもいい。それで相手も間違えて逆転に成功すれば、それで良いわけです。まぁ、プロは滅多に間違いませんが……。

 しかし、プロ棋士がAIの手と同じ手を指す時はいったい、何が下地になるのだろう。棋士の研ぎ澄まされた感覚なのか、AIから逆輸入した計算なのか。うーむ、極めて難解。


2023/2/18

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