第372話 ニホンゴムズカシイ part.2

 今回は日本語の話。

 僕が学生時代、偉い先生が「みみざわり」という表現について、だいぶ憤っていた。これが「耳障り」が本来の使われ方なのに、何故か「耳触り」という使い方がされていて、この同音異義語はどうなのか、という主張だった。

 さて、最近、アニメ関係というか、声優関係というか、そういうラジオを聞いていると「おめでたい」という表現が頻用される。例文を作ると「○○さんが結婚されました! おめでたい!」みたい感じです。つまり「めでたい」を丁寧にするために「お」を頭にくっつけているわけです。意味はわからなくはないけど、本来的に捉えると、物凄い侮辱のような気もする。

 僕の感覚だと「おめでたい」の使い方は「おめでたい奴」みたいな感じで、辞書を見てはいませんが、能天気というか、調子に乗ってるというか、実際の深刻さに気づかずに喜んでいるというか、そんな感じです。少なくとも、誰かを祝う言葉ではない。

 日本語ってリアルタイムで変化していくものだなぁ、とは感じることは、テレビを見ているとたまにある。古い映像資料で、ナレーションの文章が少し固いように感じたりする。2023年からすると50年前に当たる1970年代でもおそらく今とは違うのでは。どこかで書いた気もするけど、テレビでキャンディーズのライブ映像を見ていたら、MCコーナーで「後ろの席の皆さん」みたいに呼びかけていて、ギョッとした。今の歌手は「後ろの人ー!」とかいうと思う。キャンディーズ、言葉遣いがめちゃくちゃ丁寧でしたね。そういう時代もあった、ということでしょう。

 それにしても、祝福の意味で「おめでたい」が定着したら、もう本来的というか、旧来の使い方は駆逐されるだろうなぁ。あまりに意味が違う、正反対なので、昔からの用法の方が間違っている、ということになるのでは。似たような形になった言葉を探してみると、うーん、「にわか」とかもそうだろうか。にわか、というのは、急に、みたいな使い方が本来的で、例としては、サッカー熱が盛り上がると「にわかにファンが増えた」と客観的に捉える表現として使われていたはずだけど、いつの間にか自虐的に「にわかなんですけど」と謙遜する表現になり、今はもう、自分から「にわか」と平然と言い出したりする。いきなり何かをする人を「にわか」と表現されるのもやや反則的な使用法だけど、そこには古くからその道を進んでいる人に対する自虐も含まれて、「にわか」の対義語はおそらく「古参」なんだろうけど、僕の感覚では「にわか」はライト層で、どことなくフレッシュに見える。「古参」はもはや沼から抜け出せないように感じる。まぁ、ハルキストみたいに古参であればあるほど胸が張れる環境もあるのだけど。

 何はともあれ、「にわか」は自分から「にわかなんですけど」と言い出した時点で、変容が始まっている。誰かが「おめでたい」と公の場で違う意味を込めて口走った時から、やはり変容が始まる。日本語はなかなか、難しい。



2023/1/18

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