第354話 一つに全てを求めずに、選択肢を持つこと

 なんとなく感じていることが、今回のお話。

 僕は今はiPhone一台しか持ってないのですが、一時期、iPhoneとiPodをそれぞれ使っていた。他にも、iPhoneにKindleのアプリが入ってるけど、Kindleの端末も持っている。

 さて、例えばスマホがあると大概のことはできる。時間もわかる、スケジュールもわかる、連絡先もわかる、電話もできる、音楽も聞ける。では、スマホがなんらかの理由で使えなくなったら、どうしよう。何も大袈裟なことではなく、手が滑って水没させるとか、拾えないところに落ちるとか、もっと簡単にバッテリーが切れるとか。

 そんな時に、リスク回避にいくつかの端末を持つことは意味がある、ような気がしていた。

 最近、政治がかなり難しくなっていて、全てをフォローするのは難しいように思われる。福祉にお金を使う必要がある一方、国防に関するお金も必要になる。燃料は高騰して、発電も容易ではなくなりつつある。全てが解決される方法、そんなものはおそらくない。「たった一つの冴えたやり方」は存在しない。そうなると、選択肢をいくつか用意していくのが、なんとか無難に生きる方法になるのかな、とは思う。老後の生活費を年金に頼らないように、最初から少しは余裕があるように生きる必要がある。税金を多く、どんどん取られるとしてもやはり、余裕を作るしかない。医療にまつわることもそうで、公的なもの以外の何かを頼ることが無難に思われる。

 それは国の怠慢で、政治や行政が機能していないという指摘もあるだろうけど、この世界にある国家で、幸福しかない国家は存在しないのではないか、と僕は思っている。それと強く結びつく問題として、国家は凋落しないのか、という問題もあるけれど。いつからいつまでのことを言うかは知りませんが「失われた10年」と呼ばれる期間があった。おそらくバブル崩壊後のことでしょう。この「失われた」というのは、発展が停滞した、という意味だろうけど、では、無制限に、どこまでも経済や産業が発展する、天井知らずに国力が上昇し続ける、ということがあるかといえば、おそらくはない。日本は何故か世界第二位の経済大国になったりしたけど、これからはおそらく落ち目になる。日本は日本人には住みやすい土地だけど、例えば、日本から人が流出する可能性もある。それもまた、可能性、選択肢を用意することです。

 僕の人生で一番困惑したのは、一つの企業に勤め続けるのが当たり前ではない、と知った時です。これはカルチャーショックだった。そんな選択肢があるとは知らなかった。他の道を用意しておく、のは楽じゃないけれど、他の道がある、というのは思考の硬直を防げると思う。選択肢がないと、何が何でもそれにしがみついてしまうので、あまりよろしくない。まぁ、思考の硬直より、社会の硬直が難しい要素かもしれないけど。

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