第353話 大は小を兼ねる、というか

 今回は、日和りまくった話。

 2022年の僕の一つの目標が、吉川英治さんの「三国志」を揃えて買うことでした。で、どうなったかといえば、買えなかった。手元に読んでない本が多すぎたし、一気に揃えるお金が用意できなかった。なんだかんだでちょっとずつ、日々の中でお金が必要なんですよねぇ。

 で、そこにもう一つ、芽生えた欲望が、たまたま本屋で見かけた、宮城谷昌光さんの「三国志」です。吉川英治版は全十巻ですが、宮城谷版は十二冊くらいあるのかな。なんとなく、宮城谷版が気になっている。こうなると、俄然、予算が足りない。

 というわけで、この計画は頓挫した上に脱線し、もはや放棄しました。

 その代わりに、なんとなく神林長平さんの「敵は海賊」シリーズを揃える気になった。こちらは既刊が九冊なんですが、すでに手元に七冊はある。そして二冊を手に入れる予算は充分にある。これを2023年には読もうかな、という感じになりました。

 大は小を兼ねる、って言葉は結構、好きなんですが、今回もそんな感じではある。十冊を買う大きな予算には少し足りなかったけど、二冊を買うには足りた。それはそうと、三国志という大きな物語と、SFシリーズという物語のスケールの差は、もはや、大きいとか小さいとかではない、という理屈はある。十冊と二冊の価値は遜色ないのです。それにしても、本来的には「三国志」を諦めてはいけないはずで、この十冊を買えない予算で二冊を買ったのは、結局は十冊を買えない予算が、八冊を買えない予算になったことになる。これはいかにも厳しい。まぁ、時間と共に余裕は生じるわけだけど、先送りには違いない。

 こうなると大は小を兼ねるって言葉は、その場ではいいかもしれないけど、小を選んだら、大は大ではなくなってしまうのかもしれない。

 これは、文章を書く時間にも言えるかも。十万字を書くか、一万字を書くかは、選べるわけです。ただ、一万字を書くと、十万字を書く時間は確実に削られる。どちらが良いわけでもなく、十万字を書く時間で一万字を十本書く、という選択肢もある。世の中の人の大半は、十万字を書く時間が容易には用意できないと思いますが、仮に一万字を書いていると、十万字に必要な時間はどんどん失われていく。

 ここまで来ると、最後をどこに設定するか、が重要になる。僕の「三国志」の計画も、例えば一年や二年をしっかり用意すれば、予算なんて容易に用意できる。ただ、二年後を終着には設定しないので、近場に限界が設定される。書くことも、一年以内に、とか決めると、大を選べるかどうかは難解になる。それよりも重大な問題として、自分の命がいつまで続くのか、今の自分の生活がいつまで続くのか、いつまで読めるのか、いつまで書けるのか、を考えると、途端にこの問題はややこしい。無限には生きられないし、体力も、集中力も、健康も、仕事も、ありとあらゆるものには、終わりがある。いつ終わるかわからない、と思うからこそ、終わりをとりあえず決めておく、というのが僕の感覚です。

 しかし、たった文庫本十冊が買えないとは、我が身が恨めしい。

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