第343話 待てど暮らせど

 今回は二つの「待てど暮らせど」の話。

 まず一つは、北方謙三さんの「チンギス紀」が完結しないこと。僕としては文庫になってから揃えたいのですが、おそらく完結してから文庫化で、しかし完結する気配がない。今、十五巻くらい出ていて、うーん、推測ですが二十巻くらいにはなるのでは。四ヶ月くらいで一冊が出るので、あと二年は完結しない、のだろうか? 信じられない、というか、信じたくない。待ちきれないな。

 もう一つは、Amazonのセール。プロテインがいつまでも安くならないのと、ポイントが普段より多くなるキャンペーンがあるはずが、なかなかピタッとハマらない。十一月下旬から十二月頭までのブラックフライデーが今年の最後のセールなのか、それとも、十二月にサイバーマンデーがあるのか、その辺りが、分からないのももどかしい。

 つまり僕はいろんなことを待っている、悪い言い方をすれば、せこいことをしているわけです。この少しでも得をしたいという発想は誰にもあるだろうけど、お金が絡んでくると、途端にいやらしくなる。

 あぁ、そう、コンテストの結果発表とかも待ってるかな。しかしこちらはおおよその発表時期が推測できるので、あまり待ってはいない。僕の中では、「待つ」は「待ち受ける」ような感じで、来るとわかっているものを待つのは「待ち構える」という感じだろうか。これはだいぶ言葉遊びですが。北方謙三さんの文庫本は「待ち構えている」感じで、Amazonのセールは「待ち受ける」かな。いや、待ち受ける、というのは、自発的な行動、能動的な行動ではなく、受動的な行動かもな。言葉、日本語は難しい。

 かなり脱線しますが、先日、ラジオを聞いていて、「喜びました」という表現をしている人がいて、これは面白い言葉だった。喜ぶ、という表現は普通だけど、この言葉が示す感情の変化は瞬間的なものに思える。つまり、喜ぶ、の現在進行形や、喜びの継続状態は、表現する言葉が難しい。ちなみに自分の感情を表現するより、他人の感情を表現する時に「○○は喜びました」となるかも。それもだいぶ苦しいけど。では、何が正しいかとなると、僕の中では「嬉しい」とか「嬉しかった」とかが正しいような気がする。あるいは「喜ばしい」みたいな表現もあるのかもしれないけど、この表現はめちゃくちゃ仰々しくて、現代的な日本語には当てはまらない、かな? ちなみに僕が聞いたラジオでの「喜びました」発言の方は、現役の高校生女子でした。まぁ、この辺りは年齢は関係ないかな。というか、ここで女子高校生が新しい日本語を作り上げていく可能性もある。その方が自然というか、起こり得る。かといって、「喜びました」が馴染むかは謎だけど。

 というわけで、最後は全く違う話になりました。

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