第336話 何が好きなのか、が定義できない問題
今回はアイドルから始まる「定義」の問題。
乃木坂46の齋藤飛鳥さんが卒業される、ということで、僕の中では言葉にできない何かが渦巻いている。僕は齋藤飛鳥さんを推していたわけではないので、推しがいなくなって寂しい、という意味合いではないのですが、どことなく寂しい。これは、生田絵梨花さんの卒業や新内眞衣さんの卒業にも似た感覚があった。
これがもし、乃木坂46が変化してしまう、という観測から生じるのなら、さて、僕の中の「乃木坂46」の定義とは何なのか。どこかの段階で、乃木坂46が存在するにも関わらず、メンバーが変わったことで、僕の中での「乃木坂46」が消えてしまうのだろうか。そして、僕はそのうちに乃木坂46を応援しなくなり、過去の存在として扱う? 今も活動しているメンバーがいるのに?
これと似たものが、SFの場でかなり強く意識される。例えば僕は星新一は人生で文庫一冊しか読んでなくて、あまりピンと来ていない。逆に「でたまか」や「銀河英雄伝説」、「スターウォーズ」などは物凄く好きだ。つまり僕の中でのSFは「スペースオペラ」みたいな定義がとりあえずは一つ、あるらしい。でも世の中では、星新一が至高で、スペースオペラは軟派なSFとする人もいるように見える。例えば「機龍警察」などの警察がテーマ、ロボットがテーマだったり、「戦闘妖精雪風」などのミリタリー、戦闘機がテーマ、というのもおそらく一部の人は受け入れないのでは。
人は自分が何を好きなのか、自問する場面があるのでは、と想像することはある。それはもしかしたら労力を省いて、合理的に生きようとしているのかもしれない。好きなものに溺れたい、というか。嫌な思いをしたくない、という感覚もあるかもしれない。
さて、では全てが定義可能かと言えば、難しいところですが、好き嫌いは定義不可能な部分がたぶんにある。アイドルや小説の内容くらいならいいですが、例えば恋人はどうだろう。これは相手との掛け合い、コミュニケーションと相互理解の段階があるとはいえ、理想像そのままの人間と出会える人はこの世にほとんどいないと思われる。僕の感覚だと、むしろ自分のうちの理想像の方が変わりますね、目の前にいる人に合わせて。いや、もしかしたら、恋に落ちる相手は全く自分が想像しなかった価値観を与えてくれる、のかもしれない。恋人像は少なくとも、事前に「定義」することは不可能だと思われる。
逆に進むと、僕は乃木坂46を追いかけ始めてから、自分の中で「乃木坂46」を「定義」してしまったと思われる。そしてその定義の中に、メンバーという要素があるために、今、困惑している。どこかで再定義することになるのか、あるいは意識する対象を整理するかは、ちょっと推測できない。少なくともSFに関しては、僕の中ではだいぶ流動的にはなりました。ただそれはSF小説というジャンルが広大だから可能なのであって、乃木坂46の選抜の二十名程度という狭い空間では難しいかもなぁ。アンダーも五期生も推そうかな。全推しか。昔でいうところのDDがここで復活するとは……。
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